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作品名:花街に生きて 作者:H・C・舟橋

第7回   救いか まやかしか
『リド』を始めてから四ヶ月経った梅雨の終わり頃、常連になっていた男が三人の男を引き連れて来店した。
 一行四名で一番奥の八人掛けテーブルに陣取り、ホステス二名を侍らせ談笑している。雨模様で客足が悪く、八時だと言うのにまだ三組しか来店していない。
 ママである真澄も、常連であるこの男に挨拶に赴いた。今日は接待でなく、部下の慰労だと言う。これまで男は接待する側で、大宮駅を挟んで『リド』と点対称の位置にある、与野落合の自動車セールスマンであることは知っていた。今日はお世辞も含めて、部下が男の仕事ぶりを披露した。ダンプやトラックといった大型車メーカー系のディーラーから、現職の乗用車・商用車のディーラーに転じ、すぐに頭角を顕して社長賞を二年連続で受けているトップセールスであること。大型車整備士上がりの技能を持ち、故障クレームを自ら修理する対応力で顧客から絶大な信頼を得、営業用車はこの男からしか買わないと決めている会社があること。

 まだまだ贅沢品である自動車だが、モータリゼーションは足元の大宮にも到来しつつあった。真澄が女工をしていた中島飛行機は自動車メーカーとなり、四年前に発売した安価な軽自動車スバル360は、近所の若旦那衆にも持つ者が増えている。この男はもっと高価な自動車を、月に六〜七台売っているそうである。真澄は篠崎弘文という、自らの腕一本で文明の利器を売りまくる男を、この街の男たちとは異なる、堅気の逞しい商人と見るようになった。

 ある九月の月曜。店を開けたばかりの午後六時、口開けに篠崎が一人でやってきてカウンター席に座った。世間話の後、子供に飛行機の模型をせがまれている。どこに売っているだろうか、と訊ねられた。子煩悩な父親だと感心しながら、川越新道の南側、大栄橋の側道を入ったところに模型屋があると教えた。小学三年の息子用に飛行機を見繕って買っておいてくれ、真澄に勘定とは別に聖徳太子の五千円札を渡した。

 その週の金曜にやってきた篠崎に飛行機を渡すと、以後、篠崎は足しげく『リド』に通い、カウンターで真澄の知らない世界を語って聞かせた。男の巧みな話術は、真澄をはじめ、ホステス皆が引き込まれた。やがて、真澄も客にはしない筈の身の上話を語るようになった。週に一度、三か月も通った頃、篠崎から、由紀子と嘉子を遊園地に連れて行かないかと誘われた。他の客から誘いを受けても、決して応じたことの無い真澄だったが、息子の世話になったお礼をしたいと再三言われるうちに、なぜか受け入れる気になった。

 秋晴れの日曜、篠崎のトヨペットクラウンに乗って、真澄母子は後楽園遊園地に遊んだ。女手ひとつに育てられ、せいぜい大宮公園の飛行塔くらいしか経験が無かった小学六年の由紀子と二年生の嘉子は、初めての本格的なジェットコースターや観覧車に歓声を上げた。二人とも、若葉山や亡くなった幸太郎よりも、篠崎を優しいおじさんだと思った。

 大宮銀座通りにクリスマスの装飾が掛かった頃、篠崎は真澄に一緒に暮らすことを提案した。篠崎には二人の息子がいるが、妻が外に男を作って家に戻らない。やむなく昼は知り合い、夜は老親に子供を見てもらっている。ママも二人の子供を抱えて大変だろう。自分はコミッション(歩合)セールスなので、収入が多い方だ。一緒になれば夜の仕事をしないで育児に専念できる。ぜひ一緒になって欲しいと。

 真澄は迷った。篠崎の申し出は嬉しい。子供たちのためにも専業主婦になることは喜ばしい。だが、石橋の養女であり嫁である自分が再婚などして良いのだろうか。真澄はまず、養母であるセンと、義姉征子に相談した。二人とも、石橋籍を抜ける事には異を唱えなかった。由紀夫の位牌を分けて行けば良いということだった。

 ところが、キヨが肯(がえん)じなかった。お前を買ったのは私だ、石橋の旦那じゃない。勝手に出ていくことは許さないと、一言の下に否定した。キヨは、長い花街暮らしでの果てに、ようやく回れた搾取する側の立場を奪われることが我慢ならなかった。

 幸太郎の死後、金銭の一切はキヨの差配の下に置かれている。『リド』の売上だけでなく、由紀夫の遺族恩給も。仕入代金支払いや食材の調達は、キヨから金を渡されて支払い、釣銭はキヨが一円まで勘定して、残さず自分の財布の戻すのだった。子供たちの学費や、毎週通わせている日本舞踊の月謝はキヨが直接出すが、その他の生計費は都度、キヨに恩着せがましい嫌味を言われながら貰っていた。その一方、キヨ自身は二階にしつらえた麻雀部屋で、花街の旦那衆と毎日牌打ちに興じていた。男達の良い鴨になって、しばしば酒屋の支払いを滞らせている。

 篠崎はそんな真澄の身上を聞いていたので、翌昭和三十八年の二月に、強引に高鼻町の借家に母子三人を転居させた。キヨは街の顔役を篠崎の職場まで乗り込ませ、机にドスを突き立てるなどの脅しをかけた。真澄は恩人の退官巡査の伝手で、大宮署に相談した。顔役は手を引き、キヨとの間で話がついた。篠崎との同居は認めるが、『リド』の仕事は今まで通り続ける。真澄と二人の娘はキヨの養子になって、老後を見ると約束する。キヨは終戦直後、宇都宮在住の姪を養子にしたが、まだ若く、老後を託すには不安があったのだ。

 高鼻町で暮らし始めてはいたが、篠崎が息子達を連れて来るまで半年かかった。男を作って逃げた筈の妻は、実はずっと子供達と共に夫の帰りを待っていたのだ。三歳上の妻の勝気さと、篠崎の尊大な性格は折り合わず、末子の弘和が生まれて後は夫婦喧嘩が絶えなかった。そんな折に『リド』で出会った真澄の純朴で、篠崎の法螺話も疑わずに全て真実として聞いてくれる態度に惹かれたのだった。息子たちの家庭を破壊尽くし、その心に生涯消えない傷を作ってまで真澄との暮らしを選んだのである。昭和三十八年の八月に、ようやく協議離婚が成立した。


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