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作品名:花街に生きて 作者:H・C・舟橋

第6回   生きる
 昭和二十九年は暮れていった。真澄は二人の幼子の育児に追われることで、夫の不在を紛らわせるように努めた。そんな師走の北風の吹く夜、寝付いた娘達の布団を見ていると、どうしようも無い寂しさと心細さに襲われた。
 隣組からあの戦争にご主人を取られ、白木の箱を『英霊』と渡されて悄然としていた奥さんを、ただお気の毒、と見ていた若い自分に罰が当たったのだろうか。あの奥さんもきっと同じだっただろう、人前では見せることのできなかった涙が落ちる。拭う指先は冷たい水仕事でひび割れている。唯一の暖房である、練炭火鉢に冷え切った手をかざしてこすり合わせる。土壁の隙間から入り込む細い風が背中に寒い。

 翌年、由紀夫の姉、征子が古鷹山の二人目の子である女の子を産んだ。嘉子とちょうど一年違いの従姉妹である。力の衰えを自覚した古鷹山は、引退を見据えて大宮の天沼に百坪の新居を建てた。征子と子供達を住まわせ、場所後の巡業までの静養場所としていた。古鷹山はそれから五年間、年六場所制となってからも幕内に留まり、昭和三十五年に十両に落ちてからも一年間相撲を取り続けた。

 昭和三十六年の古鷹山引退式直後、石橋幸太郎は脳溢血で急死した。引退式後の宴席で、したたか飲んで料亭で寝込み、そのまま二度と目覚めなかった。
 当主を失った石橋家は大揺れに揺れた。本来新戸主となるべきだった由紀夫は物故している。実子の征子の夫、古鷹山も養子であり、戦前ならば家督を継いで然るべしだった。

 ここで妾であるキヨが頭角を顕す。芸者あがりの遣り手婆気質で、幸太郎の生前に不動産の半分を自分名義に移していたのだった。その事実は、相続財産の目録作りをしていた弁護士が登記簿謄本を取って初めて露見した。移転登記申請の原本は、確かに幸太郎の実印が押下されている。弁護士は錯誤による移転登記訂正を申し立てたが、キヨ側も弁護士を雇って争った。結局、印影は真正と認められ、キヨ名義となった不動産は戻らなかった。

 真澄が暮らしていた離れは、母屋と共にキヨ名義となっている。名義が移転していなかった残りの土地家屋は古鷹山が相続した。家長制度の廃された戦後の新民法に従うならば、養子真澄は相続人、由紀夫の遺児二人は代襲相続人となるはずだ。だが、そんな教育も認識も無かった真澄は、本妻センの差配のまま、一切の遺産を相続することは無かった。センは古鷹山の家に移り、娘の征子とその子たちと暮らした。幸太郎に死なれては、いがみ合うキヨと同居する意味は無かった。真澄はセンの養女でもあったが、所詮は亡息子の嫁でしかなく、たまには孫の顔を見せに来なさいとだけ残して去っていった。


 二人の子を抱え、行くあてもなく途方に暮れる真澄に、同居と商売の提案をしたのはキヨだった。
 昭和三十三年の売春防止法施行後、待合は『達磨屋』と呼ばれる料理屋に擬態していたが、往時の繁盛とは程遠い経営状態だった。幸太郎の道楽は、資産の切り売りで維持しており、財産の枯渇は数年先に見えていた。幸か不幸か、そうなる前に幸太郎は亡くなった。
 そこで母屋と離れを潰し、その敷地に映画の『社長シリーズ』に出るような小洒落た洋風飲み屋、いわゆる『バー』を造るので、真澄にホステスの元締め、ママになって生業にせよと言うのだった。

 これはキヨのオリジナルアイデアではない。達磨屋を相続した古鷹山が、大枚が落とされる東京銀座のバーを飲み歩いた経験から、ちゃんこ料理屋より儲かる引退後の副業とすることを思いついたのである。
 料理屋を改装し、これを『バー・古鷹』と名付けてホステスを雇って商売を始めると、古鷹山の店ということで客が押し寄せ、大盛況になった。キヨは二匹目の泥鰌を狙ったのである。


 由紀夫の遺族恩給はあったが、とても母子三人で生きていける額では無い。茨城下妻の芸者置屋の、聞き分けの無い下女として折檻を受けていた十歳の時にキヨに買われて以後、石橋家跡取りの嫁とはなったが、キヨとの力関係は変わっていなかった。
 幸太郎の死で、石橋の援助が途絶える生計に不安はあったが、反面、どろどろとした得体の知れないものが渦巻く花街と縁が切れる、一種の解放感を感じていたのも事実だった。

 幸太郎の遺産を巡った争いのさなか、二十年前に約定書を書いてくれた退官巡査は真澄に忠告した。花街の人間は必ず不幸な死に方をする。女を売って金を得た一族は、末代まで祟られ、骨肉の争いや、不幸が襲う。売られた女の怨念は恐ろしい。由紀夫君は気の毒だったが、花街の人間の逃れられない運命だった。澄ちゃんも、この機会にここから離れなさい、と。

 幸太郎の前の家長は狂い死んだと聞く。この街に生業を営む家には、確かに争い、先天的な障害、心身の病気、横死が多いと感じていた。アクの強い幸太郎は笑い飛ばし、撥ね返していたようだが、優しい性格だった由紀夫は連れていかれたのかも知れない。
 間違いなく幸太郎の血を引く娘の由紀子と嘉子。そして自身も石橋家で養われた縁を持つ。恩人であり、花街の人々の『死に様』を見てきた巡査の言には重さがあった。子供たちと共に、この街から出て行くべきだろうか。

 再びキヨの膝下に跪いて支配される日々と、見知らぬ人の中で母子三人で生きていく将来を心の秤にかけた真澄であったが、子供達はここでの暮らしに馴染んでいる。やはり夫と暮らした日々の思い出の残るこの地に留まることにしよう。そう決心した。


『バー・古鷹』のある北銀座通りに、三十メートルあけて真澄の店『バー・リド』が開店した。『古鷹』にあぶれた客を、大ママ征子に紹介されて受け入れるところから始まり、誰の愚痴でも頷いて耳を傾ける真澄の接客術に魅かれた客たちの評判から、次第に常連客がつくようになっていった。世は高度成長期。東京オリンピックを二年後に控え、日本中が好景気に沸き立っていた。貸し売りであったが、社用族の豪快に空けるボトルに、『リド』は活気あふれる店となり、若いホステスの雇い入れも増えていった。


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