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作品名:花街に生きて 作者:H・C・舟橋

第10回   花街の呪いと祈りの日々
 昭和五十一年の新春、篠崎は中年男性の訪問を受けた。次女の勤める研究所の三十九歳の部長で、二人の幼子を遺して妻に先立たれ、嘉子を妻にしたいと申し入れた。まだ二十二歳である嘉子とは、歳の差が大きすぎる。一族は反対し、篠崎はこの吉村宅まで断りに出向いた。一流大学に学び、難関資格を取得していながら、決して偉ぶらない吉村を、逆によくできた人物と評価した。篠崎は一族を説得し、四月に式を挙げた。


 先に次女が嫁入りしたので、篠崎は長女と六年交際している薬学部七回生の富野家に乗り込んで、結婚の催促をした。
 勢いに押された父親の資産家富野は、同じ年の晩秋に挙式することを了承した。式の招待客はキヨの差配で花街の男衆が多く、新婦の由紀子すら眉をひそめた。真澄ともにキヨの養子で、及川家としての結婚式である。キヨが未だ入籍を許さない篠崎は新婦父、及川弘文として席次表に記載された。


 翌昭和五十二年。篠崎の中古車ブローカーのネットワークは全取引先の倒産で瓦解し、篠崎は生業を雇われ仕事に求めた。既に五十歳を過ぎ、かつてのトップセールスと言えど就職先は見つからなかった。新聞広告で得た運転手の仕事は一ヶ月で喧嘩して辞めた。オイルショックから続く景気低迷のため、夜の街も活気が無かった。昭和三十年代のまま改装もされない『リド』も、めっきり客足が減っていた。客の居ない店内から、中年ホステスのカラオケ声ばかりが外に漏れていた。

 真澄は八十坪ある篠崎の自宅土地を換金して、ジリ貧になる店を改装するか、廃業してビルを建てる提案をした。キヨからも了承を得て、次女の夫の紹介で土地の売却が決まり、キヨの麻雀部屋まで備えたビルの設計図まで決定した。
 土地売買契約の締結後間もなく、宇都宮にいるキヨの最初の養女から異議が挟まれた。『リド』跡ビルが篠崎との共同名義になることは認められないと言う。唆(そそのか)したその夫が乗り込んできて、そこに借金のあったキヨは、早々に宇都宮側に転んだ。
 既に自宅の退去引渡し期日も決まっていた篠崎と宇都宮側で怒鳴り合いの激しいやりとりがあったが、キヨの指示は覆らなかった。
 真澄はキヨに絶縁宣言をした。恩知らずと罵られながらも真澄は篠崎と入籍し、キヨの籍から抜けた。


 翌年、大宮本郷の土地売却代金を叩いて、篠崎は育った浦和の地に三十坪の土地付の小さな建売住宅を求めた。次女の夫にビル管理会社の事務職を斡旋してもらい、かつての稼ぎとは比べるべくも無い薄給取りとなった。だが、自尊心の強い篠崎は、事あるごとにトップセールス時代の自慢話を滔々と論じ、先輩社員たちに疎まれていた。一年半勤めた後の酒の席で、自慢話を揶揄されて激高し、喧嘩となってそのまま辞めた。

 真澄は浦和に移り住んで以来、家計の助けにするために、製本工場のパートに出ていた。愚痴を聞いてくれたパート仲間から、ゴタゴタが続くのは、何かが憑いてるからだと指摘され、川口の良く当たるイタコの占いを勧められた。

 幸せな一家に生まれていながら、一人だけ売られるような目に遭い、夫を失い、殆どただ働きさせられた半生。そして今の夫の酒癖の悪さと、その中年以降の仕事上のトラブル。やはり何かあるのかも知れないと、真澄は川口芝に盲目の霊媒師を訪ねた。

 拝み屋という風情だった老婆は、真澄の一族の名と生年月日を聞き取る中、嘉子のそれに反応した。この子が生まれるために、誰かが身代わりに持っていかれたと。由紀夫の事はまだ話していなかった真澄は驚愕した。そして前夫の名を出すと、老婆は顔を顰めた。
 この男の父が回収すべきだった業を背負ってしまったと。由紀子にも業がかかっているが、まだ由紀夫が守っている。しかし、その子供に出る恐れがある。
 石橋の家に憑いているのは多数の古い女の怨念。篠崎には今生の女の恨み。お前自身は前世の因縁。
 毎日先祖供養をすれば、先祖が業を和らげてくれるだろうと言うと、人形(ひとがた)に切った白い紙を一族分寄越した。各人の名を書いて、川に流せ。

 真澄はイタコの言に従って、小さな仏壇を求めた。過去帳に篠崎家、石橋家、実家まで一族の命日を書き込み、毎朝水を替え、線香と灯明を灯して供養の祈りを捧げた。

 真澄の祈りが通じたのか、篠崎は幸運にも大手中古車店の店舗開発責任者の職を得た。
 終戦直後に大型トラックメーカーの地方工場で世話した後輩で、篠崎が千葉のディーラーに転勤になった後、半ば強引に引き抜いた森嶋の紹介である。森嶋はその後千葉でセールスとして根付き、中古車販売店で成功を収めて千葉中古車協会の会長に就いていた。かつての伝手を頼って、千葉県のディーラーまで足を伸ばしたところを、来訪中の森嶋に声をかけられたのである。

 それからの篠崎は、六十歳まで中古車業界に身を置き、定年後は少年期にかい掘りで遊んだ別所坂下の白幡田んぼ跡に建つマンションに、通いの管理人を七十歳まで勤めた。

 その十年間で一度だけ、夫婦で東北地方を自動車で巡った。
 真澄の生まれ育った家はモダンなものに建て替えられていたし、浦和と同様、実家周辺は都市化で昭和初期の面影は無かったが、なにより両親の墓に四半世紀ぶりに詣でられることが嬉しかった。仏壇ではない、両親と先祖代々の墓前で、真澄は娘達の加護を祈った。


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