「マイルストーン」をあとにしたあたしと西原さんは、とりあえず、街の中央公園へ行った。もう六時近いとあって、人は、まばら。 あたしたちは自動販売機で、それぞれの飲み物を買う。喫茶店帰りに飲み物を買うって、それは一体どうよ、て感じだけど、西原さんは緊張混じりに大久保先輩とお喋りしてて喉が渇いたそうだし、実はあたしも妙に喉が渇いてるんだ。なんていうか、思いもよらぬ出来事がやたらと起きたんで、汗が全身から流れてて、水分不足になってる感じ。 ああ、汗で気持ち悪い。早く、シャワー浴びたいな。
ココアのプルタブを引き開け、口に持っていこうとしたとき、急に西原さんがあたしの手を両手で握ってきた。 うわっととととととと! ココアがこぼれそうになったわ! 抗議を口にしようと西原さんを見ると、彼女の瞳にはいくつもの星が輝いていた。 「有り難う、小松崎さん!」 「え? あ、ああ、うん」 「今日はとっても実り多き日だったわ! 大久保さんと、あんなに盛り上がってたくさんお喋り出来るなんて!」 「盛り上がるっていうか、西原さん一人が喋ってたような気がするけど?」 「気のせいよ」 西原さんがキリッ!とした表情で応える。 「ああ、う、ん、そうね、そうだったわね……」
再び、西原さんが星を瞳に浮かべ、とろけた表情で言った。 「本当にありがとう! あなたがいなかったら、私、ずうっと大久保さんを見ているだけの、日陰の女になっていたわ! あなたは私の恩人! 私と大久保さんをくっつけてくれた天使! 今日からあなたのことを『キューピッド小松崎』って呼んでもいい?」 「それは遠慮するわ、胡散(うさん)臭(くさ)い『なんちゃってスピリチュアリスト』みたいだし。あたしのことは、普通に『小松崎さん』で」 心底、その呼び名を迷惑に思いながら苦笑を浮かべて応えると、あたしは続ける。 「それに、まだくっついたわけじゃあ……」 言いかけるあたしを無視して、西原さんは続ける。 「わかった。その呼び名は私の日記の中だけにする!」 「できれば、それもやめて……」 げんなりとなったあたしを、また無視して西原さんは言う。 「とにかく! 今日は、輝ける第一歩! 私、今日のこの日を絶対に忘れないわ! 結婚式には必ず呼ぶから、絶対来てね!」 そんなことを言って、西原さんはスキップでもしそうな勢いで、帰って行った。 「……大丈夫かな、西原さん。一人で盛り上がってるだけのような気がするけど。それに……」 ……それに? 「それに」、何? あたし、どんな言葉を続けるつもりなの? なんだか、釈然としない気持ちであたしはココアを飲み切る。 全然、甘みがしなかった。
中央公園を出て、家に向かう道を歩いていると、家から学校の通学路沿いにある公園にさしかかった。 あたしは、暗くなってきて、一本だけある防犯灯に照らされた公園をなんとなく見る。 さして広くない児童公園。小さい頃はよくここで遊んでた。あたしの視線は公園の中を泳ぎ、そして。 公園出入口近くにある花壇で止まる。 「そういえば、あの花壇で懐中時計を見たのよね」 立ちくらみが起きた後、その時計は跡形もなく消えてた。本当に、なんだったんだろう、あれ? 不思議に思っていると。 「よう、小松崎、ここにいたか」 声に振り返ると、街灯に照らされた大久保先輩が、あたしの方に歩いてくるところだった。 「あれ? 大久保先輩、どうしたんですか?」 「あの子……西原さんが、レシピノートを忘れていったんだ」 「レシピノート?」 「ああ」と、大久保さんは歩いてきながら、A5サイズのノートをあたしに掲げてみせる。 「彼女が自分なりにアレンジしたお菓子のレシピを、記録したノート。いやあ、彼女、勉強家だなあ、よく出来てるよ、このノート」 ピンク色をベースにした、ファンシーなキャラクターノートだ。 あたしのところまで来ると、先輩は言った。 「連絡先は交換したんだが、お前に預けて明日、返してもらう方が、手間がかからないと思ってな、お前の家に行ったんだが、まだ帰ってないって言われて。ここで会えて良かったよ」 「……大久保先輩、わかってないなあ」 「え? なんだ、それ?」 きょとんとして先輩はあたしを見る。 深ぁいため息をついて、あたしは言った。 「何のために連絡先を交換したんですか?」 「え? そりゃあ、お近づきの印(しるし)に、っていう、アレだろ? 社交辞令」 頭の中が「くわんくわん」と回るような錯覚を覚えながらも、消えそうになる正気をどうにか保って、あたしは言った。 「そうじゃないでしょうが! とにかく、些細なことでいいんです! 『今日はこんなことがあったよ』とか、『こんな食べ物が食べたいね』とか! そういう、ちっちゃいことから交流が深まるんですよ! だから、『ノートを忘れていったね』って、連絡を入れてあげなきゃ、ダメでしょ!」 「そういうもんか。お前、物知りだな、小松崎」 と、笑顔になる先輩。 あー、もー、この朴念仁(ぼくねんじん)がッ!
……あ、いけない、血圧が上がって、倒れそう。
あたしは「ふう」と、大きく息を吐いて、深呼吸を繰り返してから言った。 「もしかしたら、そのノート、西原さんが“わざと”忘れてったのかも知れないじゃないですか、先輩とお喋りしたくて」 「……そういうもんかなあ?」 「……もういいです。ノート、貸してください、あたしの方から返しておきますので」 「おう! 助かるよ!」 そう言って、輝くような笑顔で先輩はあたしにノートを差し出す。 それを(呆れながら)あたしが受け取るのを見て、先輩が真面目な表情になって言った。 「お前が悩んでたこと、解決しそうか?」 悩んでたこと。それは、夢津美のこと。 一瞬、肩がビクッとなった。それで先輩は察したらしい。 先輩が静かに言った。 「俺はさ、お前が抱えてる状況を細かく知らないから、無責任なことは言えない。でもな、親父も言ってるけど、やり直しの利かない人生なんてモノは、存在しないんじゃないかな? もちろん、人を殺した、とか、そういう大それたことじゃ、なくてさ」 「……あたしがやったことって、夢津美の心を殺したことと同じなんです」 あたしはうつむいて、そう言った。自虐でなく、そう思う。
「その子は、きっと助けを求めてる。……お前のね」
思ってもない言葉に、あたしは顔を上げて先輩を見る。そこには頼もしい笑顔の先輩がいた。 「お前はその子を裏切った。その子も裏切られたと思った。でも、心のどこかで、お前が本心から裏切ったんじゃない、って思ってるんじゃないか? そう信じたいんじゃないか? だったら、お前の『飾らない本心』を見せてやれ、その子に。その方法は俺にはわからないけどさ」 「……………………」 あたしの心の中に、少しだけ光が差したような気がした。 「じゃあ、そのノート、頼んだぜ」 そう言って、先輩は帰って行った。 「飾らない本心……」 先輩の言葉を繰り返す。 なんとなく、その言葉に希望のようなものを感じたとき。
それに、あたしだって先輩のことを……。
「!?」 心のどこかから、そんな言葉が浮かんで現れた。 「今のって、中央公園で口に出しかけた言葉……?」 その言葉の意味は……。 あたしの心の中で、色んな思いが渦巻き始めた。
|
|