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作品名:婚約破棄された令嬢は婚約者を奪った相手に復讐するのが習わしのようです 第三部 作者:ジン 竜珠

第55回   ヒルダとの出逢い
 屋敷の中に入り、廊下を歩き階段を昇ってアストリットの部屋へと向かう。そして誰にも出会うことことなく、アストリットの部屋までたどり着いた。部屋の前には、ガブリエラという女性騎士(デイム)と、そして一人のメイド。メイドの髪は夜目にも鮮やかな紅色、それはまるで溶かしたルビーで染め上げたかのようだ。
 名前はシェエラザード、ハインリヒがアストリットの魔術的な警護の為に、彼が派遣したメイド兼呪術師である。
「ここまで誰にも会わなかったが、シェラ、君が何か術を使ったのか?」
「はい。人に出会うと面倒なことになりますので、アストリット様のご命令で、人払いの術をかけておきました」
 シェラが頷いて応える。
「そうか」
 いろいろと事情を把握して、その上で必要な手を打つ。以前のアストリットからは考えられない行動力だ。やはりミカの存在は大きかったようだ。シェラがドアを開けると、ガブリエラが手に持ったランプで、ハインリヒを先導する。
 アストリットをベッドの上に横たえると、あとのことをシェラに託し、ハインリヒは賓客用の部屋に戻る。
 そしてすぐさまペンと紙、そして羊皮紙をカバンから出す。使うことはないだろうと思いながら、それでも念のために筆記具と羊皮紙を持ってきておいて良かったと思いながら、己の中に畳み込まれた呪文(スペル)を紙に、魔法円を羊皮紙に書き留める。見たこともないものだったが、それに対して感想を抱いている余裕はない。半ば自動書記の要領で、ハインリヒは魔法円と、呪文(スペル)を記していく。
 時間にして三十分ぐらいだろうか。自分の“中”にある情報を書き終えたハインリヒは、軽く呪文(スペル)を流し読みしてみる。
「E F L Lonsa Aldon……。読み方は、アイ、エフ、ラー、ロンシー、アー・エル・ドー・ノオ。確かに、このような呪文は初めて見る。どういう体系を持ったものか、興味はあるが、今は、これを使ってアストリットから聞いた、特殊な空間へ行かなければ!」
 呪文に、筆記ミスはないはずだ。必ず、行けるだろう。魔法円は非常に複雑なものが一つ、もう一つは円というより正方形(スクエア)というべきものだ。こちらは形状自体は単純だが、書かれている文字は、見たことがあるものと見たことのないものが混在している。
「一度ほどけた図形が、再び組み合わさってこのような複雑な魔法円になるとはな」
 しばし、羊皮紙に描いた魔法円を眺める。丸の中に七芒星、さらにその中に五芒星が描かれており、円を形作るラインの中だけでなく芒星のラインの中にも魔法文字や記号が描かれている。
 おもむろに、
「よし!」
 とハインリヒは気合いを入れる。正方形(スクエア)を枕の下に入れ、魔法円を記した羊皮紙を、持参した本でベッドのフットボードに押さえつけて固定する。
 ベッドの上であぐらを掻くと、ハインリヒは呼吸を整える。呼吸が整ったところで意識の集中に入る。集中する先は魔法円だ。集中と同時に魔法円を凝視する。
 しばらく凝視していると、魔法円に描かれた文字や線が……否、魔法円そのものが周囲に淡い光りを帯びてきた。その状態でハインリヒは顔を上げて天井を見る。すると、黒いインクで描かれた魔法円が、白い残像として天井に投影される。
 その魔法円の残像を見ながら、ハインリヒは呪文を唱えていく。改めて記憶する必要などない。自分の中に畳み込まれ、筆記することで“かたち”になったものを唱えれば良い。
 だが、ただ呪文を唱えるだけでは不足だ。口から出ていった呪文が一文字一文字、魔法円の残像に吸い込まれていくところをイメージし、それを視覚化しなければならない。
 実際に文字が魔法円に吸い込まれていくところを“見なければ”ならないのだ。
 この視覚化の部分については、これまでの魔術の実践で無意識のレベルで刻みつけられていたから容易だったが、それがかえって不利に働いてしまう場面があった。
 魔法円の残像に刻まれた見たこともない記号が、いつの間にか己の知っている記号に置き換わってしまう、そんなミスが起きてしまうのだ。ある意味、“慣れ”のようなものだろうか、既知の文字列に似た記号の並びが魔法円に存在するために、無意識に残像の方を「間違い」だと解釈して、半ば自動的に修正してしまうらしかった。
 かくして最初からやり直すこと六度、七度目にしてようやく完全に儀式を終えることが出来た。
 その安堵のせいか、それとも儀式の効果か、ハインリヒの意識は静かに沈んでいった……。

 気がつくと、晴天の下、涼やかな風の吹く草原に、ハインリヒは立っていた。
 周囲には、人家らしい物はない。山や林などが見えるが、こういう場所には覚えがない。
 何かの気配に気づいて振り返ると、そこには二人の女性、いや、一人は少女というべきか。どちらにも見覚えはない。
「え、と。あなた方は一体……?」
 そう問うてみると、三十歳手前に見える女性が笑顔とともに言った。
「あたしの名前はヒルデガルト・フォン・フォルバッハ。あなたの高祖母に当たる者よ」
「あ、あなたが!?」
 驚いた。今、自分がいるところが一体なんなのか、そういった疑問もあるが、話に聞くだけだった高祖母が目の前にいる、という事実が、それを吹き飛ばすほどの驚きだったのだ。
 にわかには信じられない思いだが、言われてみれば、確かに、フォン・ヴィッテンベルクに嫁いだという曾祖母ノーラの若い頃の肖像画に似ているように思う。
「不思議な思いだわ、こうして実際に子孫と顔を合わせるのは」と、ヒルデガルトと名乗った女性が、しみじみと言う。
「え、ええ、確かに、私も、なんとも言葉に出来ない思いです」
 そうとだけ、ハインリヒは答える。
 そしてもう一人の少女を見る。面差しは、この国のものではなく、明らかに異民族のようだ。以前、東方と取引があるという商人からMing(ミン)という大国の、貴婦人の肖像画を見せてもらったことがあるが、あれに似ている気がする。だが、もう少し西方寄りのようだ。といってもシェラのような中東方面とも違う。
 考えていて、ふと気づいた。
「もしかして、君がミカ……なのか?」
 見たことのない風貌、それは、こことは違う異世界人ゆえのことかも知れない。
 少女が何やら困惑したような表情と仕草で頷く。そして。
「ど、ども、初めましてコマツザキミカっていいます」
 と、やはり所在なげに言う。
「そうか、やはり異世界人というのは、独特の風貌をしているんだね」
 笑顔とともに言うと、「…………」と、ミカは何かボソリ、と呟いたようだったが、少し置いて、言った。
「なんか、落ち着かないな、いつも“アストリット”として会ってたから」
 と、苦笑して頭を掻く。そして自分の右隣の下を見る。そのあと、またこちらを見た。
「? どうした、ミカ?」
「え?」と、ミカが驚いたような表情をする。そしてまた自分の右隣下を見てから、またこちらを見た。
「?」
 ミカの行動が理解出来ず首を傾げていると、高祖母ヒルデガルトが苦笑いとともに言った。
「彼は、“ここに来る魔術”だけを実践しているから、多分、感知出来ないと思うわ」
「ああ、そうなんだ」
 ミカは理解したようだが、ハインリヒにはまったく理解出来ない。
 一体なんのやりとりをしているのかと思っていると、ヒルデガルトが言った。
「ハインリヒ、あなたには今後のことについて、いろいろと教えておかないとならないわ。あのコテージまでついてきなさい」
 命令口調だが、決して不快なモノではない。ハインリヒは「はい」と応え、ヒルデガルトの後についていった。


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