少しおいて、グレートヒェンは言った。 「わからぬようじゃのう? よかろう、教えてやる。本来はあの術の正しき式法を知る者は、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンから繋がった血筋の者以外にはいないはずだった。そしてその血筋の者の内、その術を記した写本を受け継ぐ者は、フォン・フォルバッハとフォン・シーレンベックにおる。じゃがのう?」 と、グレートヒェンは妖しい笑みを浮かべる。ヘルモーズが感じたのは、本能的な恐怖だ。 グレートヒェンは口の端を歪めて嗤う。 「そもそもあの術を解読したのは、妾じゃ。正確には、前世の妾、アンゲリカ・フォン・マイスナーなのじゃ」 様々な状況、そして知識が頭の中で繋がる。 「昨日も、勅書で、その名を見たが……。マイスナー家は、ずっと昔に、断絶したはずでは?」 「言ったろう、前世である、と。アンゲリカは、グレートヒェンとして転生を果たした。故に、妾も『イグドラシルの秘法』を知っておるし、そもそもあの魔術書群のすべてを暗記しておる。じゃから、今世で新しい術を生み出すことも出来る。じゃから、いきなり『時』が巻き戻った時に悟ったのじゃ。何者かが『イグドラシルの秘法』」を行使したとな?」 もはや驚きを通り越して、恐怖しかない。 どうにか、ヘルモーズは喉から言葉を絞り出した。 「で、では、俺が実行した、『イグドラシルの秘法』とは、なんだったのだ……?」 「さあのう? いつの時期かは分からぬが、件(くだん)の写本を書き写した者が外におって、研究家を自称する知ったかぶり辺りが、解読ミスをやらかしたものであろうよ」 そう言って、また小さく嗤ってグレートヒェン、否アンゲリカは続けた。 「何者が『イグドラシルの秘法』を使ったのか、それを探知する魔術を編み出し、探査した。てっきりシーレンベックの『あの娘』じゃと思うたら、もう一人おったので、驚いたぞ? で、いろいろと精査したら」 椅子から、やや身を乗り出し、アンゲリカは言った。 「貴公であると知れた。しかも、不完全どころか、間違ったものを実行したのだとな」 「ま、間違……い……?」 「そうじゃ。貴公のものは不完全ゆえ、術を施した者施された者たちとの間に、巻き戻った時間、及び記憶の繋がりはない。じゃから、なんらかの連携を取ることは出来ぬ。それに本来の『イグドラシルの秘法』は、己の命、その時間を削り取るもの。じゃが、貴公のものは回数制限。死んでも一定の時間を戻るその代わりに、その回数が限られておる。そしてその残り回数は……」 そう言ってグレートヒェンが目を細める。 この挙動で、ヘルモーズは残り回数を知った。 ヘルモーズはまぶたを閉じ、心の中で呟いた。
“すまない、世界の者たち、俺はラグナロクを止められなかった。それに、遙か遠い世界の友……我が父と同じ名を持つ、奇(く)しき縁(えにし)の友ローラント。俺は君の願いを果たせなかった。すまない”
銃声が轟いた。
「いかがなされましたか、陛下!?」 衛兵たちが飛び込んできた。ノームはすでに身を隠している。 一発目は聞こえないように、部屋の壁に魔法障壁を作っておいたが、二発目の音までは防げなかったようだ。この魔法、まだまだ改良の余地がある。 「すまぬ。アイヒェンドルフ公が乱心した故(ゆえ)、独断で処断した」 「はあ……。ですが……」 最前列の衛兵が、ヘルモーズの死骸を見た後、言った。 「アイヒェンドルフ公には二つの銃創。ですが、銃声は一つ。それに、この様子では一発目はアイヒェンドルフ公よりも、おそらく高い位置から……」 「速(すみ)やかに、そのゴミを処分せよ!」 一喝とまではいかないまでも、妙な詮索を断ち切るため、ピシャリと言ってやる。 「ご、ゴミ……ですか?」 「ゴミ」という単語に、衛兵たちが少なからず、動揺する。中には明らかに怒りの表情を見せた者もいた。 ある衛兵が言った。 「畏(おそ)れながら、アイヒェンドルフ家は国王陛下の遠祖から繋がる尊い家柄で……」 「今の国王陛下は誰(たれ)ぞ?」 「…………」 「御名(おんな)を言うてみよ」 一呼吸の後、衛兵は一礼し、一同でヘルモーズの死骸を片付けるよう、専任の者を呼びに動いた。 その様子を見ながら、グレートヒェンは心中(しんちゅう)で呟く。
“これで私とお父様の邪魔をする者は、いなくなった。後は、ユミルを甦らせ、その力を使うこと。そうすれば、世界は思うがままに……いや、私たちはまさしく、神になることが出来る……!”
グレートヒェンは、くぐもった笑いを立てる。 その笑いは、あまりに小さくて。 しかし、あまりに巨大な野望を確信するものであった。
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