朝早く、領内を馬が駆け回り、中央の大広場に集まるよう触れ回った。何事だろうかと、それぞれの家の家長が朝食も摂らず、一人暮らしの者はとりあえず戸締まりをし、大広場へと向かった。 触れに来た騎士は宣布用の高い台の上に立ち、広場を見渡して、ある程度の人数が集まったと判断したのだろう、おもむろに一枚の巻紙を広げ、妙に格式張った調子で言葉を紡ぎ出した。 「シーレンベック侯ゴットフリート卿が一女、フロイライン・アストリットが昨夜遅く、夜の眠りの双子の兄弟によりて、お眠り遊ばされた。本日から数えること三日間、フロイラインの魂の良き眠りのため、領内の者に朝と夕の時間を、教会での祈りへの参加に費やすよう、ここに命ずるものである!」 広場にいた者たちが一斉にざわめき始めた。襲撃直後の現場を見ていた者たちは、口々にあのときのことが原因で死んだ、と騒いでいる。
集団を遠くに見ながら、サラマンダーはウンディーネに言った。 「俺は胡散臭いと思うね」 「へえ。あなたが言った『毒は即効性』っていうやつが引っかかってんのね?」 「ああ。今頃、死亡宣布なんて遅すぎる」 「でも」と、薄い笑みを浮かべてサラマンダーを見ながら、ウンディーネは言う。 「他の死因かも知れないわよ? 例えば階段から転げ落ちたとか。あるいは、どうにも“替え玉”が見つからなかったんで、死亡を発表したってことも考えられるわ」 サラマンダーは今一つ、納得できないところがあったが、ウンディーネの言うことももっともだと思い、頷いた。 「そうかもな。じゃ、どうする?」 フフン、と鼻でわらってウンディーネは応えた。 「することは変わらない。本当に死んだかどうか、確かめる。今ならまだ、死体は屋敷にあるはず。教会に運び込まれてから確かめる手もあるけど、私もあんたも向こうの騎士連中には面が割れてるから、厄介な騒ぎになりかねない。あるいは私たちが確認に行くことを見越して、罠が仕掛けられるかも」 「確かにな。罠っていうのは、考えられるか」 「じゃあ、予定通りに……」 「あのさ」 「? 何?」 「……もしかして、生きてるって思ってるか、シーレンベックの“あの”娘が?」 「……さあね?」 また薄い笑みで応えると、ウンディーネは屋敷への道を歩き始めた。 ため息をつき、サラマンダーは思う。
あの毒は即効性、まず即死するはず。死ななかったとしても、体に麻痺が残るさ。ウンディーネ、あんたはアストリットは死んだ振りをしてるって思いたいんだろ?
そしてその続きの言葉を、口に出した。 「あんたは“生きてる”あの娘にとどめを刺したいんだよな?」 サラマンダーも屋敷への道を歩き始めた。ウンディーネは侯爵邸の方を、サラマンダーは大シーレンベックの邸宅がある方へ。
え、と。 王都へ“(あたしが)死んじゃった”っていう連絡が行ったら、アンゲリカは間違いなく「ユミルの眼」を使って様子を見るはずだから。 「ゴットフリートさん、あたし、これからどうしたらいいですか? 騎士の服を着てからこういうことを言うのも、アレですけど」 朝食を終え、食後の紅茶を飲んでるときに、あたしは聞いた。 「うむ。それについては、用意が出来ている。皮肉、としか言いようがないんだが」 ゴットフリートさんがそう言うと、マクダレーナさんが困ったような表情になった。 ? ん? なんだろ、「皮肉としか言いようがない用意」って? 「父上、それは一体……?」 疑問符が頭の中に浮かんだあたしの代わりに、ヴィンフリート(真)が聞いた。こいつも知らないことなんだ。 「うむ。当時、私は何度か『イグドラシルの秘法』発動を確認したが、万が一、何らかの魔法的な障害でも起きて発動しなかったら、という懸念もあったのでな。お前が『スルトの剣』探索に出た後で、アストリットのデスマスク……いや、ライフマスクを作ったのだ」 「ライフマスク?」と、あたしが聞くとヴィンフリート(真)が答えた。 「いくらあなたでも、デスマスクは知っていますよね? 死後に作るからデスマスク、生前に作るからライフマスク、そういうことです」 言い終わり、ヴィンフリート(真)は心底呆れたかのような表情で、鼻から息を漏らした。 ああああ〜、こいつマジでブン殴りたいわあ〜! ……おっと、平常心平常心、……コホン。 デスマスクっていうのは、昔、主に故人を偲ぶ目的で作られたって聞いたことがある。今は写真があるけど、この世界のこの当時には、まだないみたいだし。 「じゃあ、そのライフマスクを使って、あたしの死体の偽物を作るんですか?」 「ああ。なので、大急ぎでライフマスクに着色しなければ」 ゴットフリートさんがそう言ったところで、ヘルミーナさんが食堂に入ってきて一礼してから言った。 「失礼致します。絵師の方がお見えになりました」 「おお、来たか」 「絵師?」 「ああ。今のままでは色のついていない、あからさまに作り物のマスクなのでな、まるで本物の人間に見えるように着色しなければならない。だから、ミカ、しばらくつき合ってくれ」 「わかりました。でも、いつウンディーネたちが来るか分からないので、誰か騎士の人に、そばについてて欲しいんですけど」 「わかった。手配する」
というわけで、あたしはライフマスクに塗る“色”を作るため、モデルになって椅子に座ってた。なんか、死んだ後の顔の色って、人によって違うんだって。だから今、生きてるあたしの顔の色を参考に、ライフマスクに塗る色を作るそうだ。 場所は応接室、その窓際。 で、あたしの近くに来てもらったのはガブリエラともう一人、若い男の騎士さん。すでに領内の人には“アストリット”の死亡を報せたそうだから、ウンディーネたちは何らかの動きを見せるはず。早ければ、今、この瞬間にも侵入してくるかも知れないんだ。だから、その連絡用に、あたしの近くに来てもらったわけ。 「何か、持病とか、ございましたか〜?」 ちょっとダルそうな感じで、絵師の人が聞く。 「いえ、特には」 「お酒は? 浴びるほどお飲みになってましたか〜? 酒で体壊した人は、肌が黄色っぽくなるんで〜」 「いいえ、あたし、未成年……ていうか、飲まないんで」 「どこか変なところへ通ってましたか〜? 例えばアヘン窟とか? 常用者の顔は青白かったり肌がカッサカサだったりしますので〜」 「アヘン……! いえ、ないですけど?」 「病気持ちと夜をともにしたことは? お貴族様って、アッチの方、乱れてるそうですし〜、顔に“できもの”が出来て……」 「いや、ないってば! 見りゃわかんでしょ! つか、アンタの貴族への偏見、ハンパないな!」 「ミカさ……お嬢さま、落ち着いてください!」 興奮しかかったあたしを、ガブリエラがたしなめる。 「ん、ごめん……」 ふう、と息をついて、椅子に座り直した。
邸宅のある敷地を囲う塀を見ていたサラマンダーは、探すべき場所を見つけ出した。 「なるほど。あそこが隠し扉の一つ、か」 石組みの模様を揃えて巧みに偽装してあるが、違和感がある。サラマンダーの背後は高い木が複数、壁を為すように立っていて人の目からも隠しやすい。サラマンダーが立っている場所、その幅は二十エル(約八メートル)ほどは、あるだろうか。 堀の幅は十五エル(約六メートル)ほど。越せない距離ではない。塀の高さは十エル(約四メートル)前後。 「ま、楽勝だな」 口に笑みを浮かべて呟くと、サラマンダーはしゃがんで左手を地面に着く。そして左腕の“力”を意識する。 「よっ!」 軽く気合いを入れ、一気に伸ばした左腕の力で宙へ跳び上がり、たやすく堀を越えると、身をひねって右手を塀の上に置く。そして、違和感のある塀の一部、その上端に左手の指を滑り込ませた。 「へへっ、あったり〜」 読み通り、その壁が上部の鎖に支えられ、下端を支点にして動き出した。
突然、あたしの脳裏に例の図面が浮かび上がった。そして一箇所に黒い人の形をしたマーク(ピクトグラムっていうんだっけ?)が現れて点滅を始めた。 「! ガブリエラ、侵入者! 思ってた以上に早かったわね、あいつら……」 瞬間、ガブリエラともう一人の騎士の表情に緊張の走ったのが分かった。 「場所は?」 ガブリエラの問いにあたしはイメージを引き出しながら答える。 「えっと、ゴットフリートさんのお父さんのお屋敷があるところの、こっち側に近いところ」 「どちらが来たか、分かりますか?」 「ちょっと待って……。多分、サラマンダーだと思う」 ピクトグラムの左腕が素早く点滅してる。これって、左腕にユミルの力があるって、そんな風に感じる 頷いてガブリエラがもう一人に指示を出す。もう一人が頷いて、応接室を飛び出す。 この先は、ここの騎士さんたちを信じるしかない。 誰も死なないでね!
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