庭から戻ってベッドに横になったあたしは、ハインリヒの話を思い起こしていた。
「当時、アストリットには、ルーマン侯爵の令息サー・ヴァルターとの婚姻話が進んでいた。フォン・ルーマンの家は有力な貴族で、この家と縁を結ぶことはシーレンベック家にとっても悪い話ではなかった。その舞踏会に彼女が出席したのは、サー・ヴァルターとの婚姻が進んでいることをさりげなく示すという意味もあった。 ミカも知っての通り、シーレンベック家は今の女王グレートヒェンとは、遠い親戚になる。一方のルーマン家は、かつて選帝侯の家柄であった大カレンベルク公爵の子孫に当たる。つまりこの二つの家の婚姻は、グレートヒェンの実家であるザルツブルク公爵家……ザルツブルク家もかつて選帝侯だったが……この家にも匹敵する権力を手にすることも、可能になる。 だが、サー・ヴァルターは、すこぶる評判の悪い男でね。私も噂に聞いたことがあるのだが、どこかの邸宅を借りて同好の士を集め、麻薬作用のあるタバコを吸いながらの乱交パーティーを開いたり、どこかの街の貧民街で金をチラつかせて決闘まがいのことをさせたり。……若い娘の肉体を、拷問道具を使っていたぶるという趣味もあるらしい」 「ぐあ……。最ッ低ね、そいつ」 あたしは思い切り、引いてた。同時に憤慨もしてた。そんなゲス野郎と結婚させられようとしてたのか、アストリットは。ていうか。 「よく弟のヴィンフリートが、文句言わなかったわね? あの子なら、それこそゴットフリートさんに掴みかかって、その話をやめさせようとしそうだけど?」 ハインリヒが、ちょっとだけ困ったような笑みで言う。 「あとで知ったのだが、それに近いことはあったようだ。だが……。異世界から来た君には理解しがたいかも知れないが、貴族にとって“結婚”が勢力拡大の道具だというのは、ごく普通のことなんだ。特にシーレンベックにとっては、ザルツブルク家と遠い親戚になるとはいっても、それがなんらかの“力”を持つわけでは、なかったそうだからね。一方のルーマン家は、選帝侯でもあった大カレンベルクの子孫。そこと縁戚関係を結ぶのは悪い話じゃない」 「……ね、話の腰、バッキリ折ってもいい?」 「? なんだい、ミカ?」 「せんていこう、って何?」 少し置いて、ハインリヒは大きく長いため息をついて言った。 「すまない、そこからだったか。……そうだな、大雑把に説明すると……。今は王は世襲制になっている。だが、百年以上前は有力な家の中から選挙で選ばれてたんだ」 「え? 王様を選挙で選んでたの?」 「ああ」 驚いた! 国王を選挙で選んでたなんて! 「王位継承の段階で、争いが起きることは普通だったようだし、その争いが内乱に発展したこともあったようだ。だが、それでは他国の介入を許すことにもなる。そこで有力な貴族の中からいくつか選んで、教皇庁の許可のもと、王を選ぶ権利を持った選帝侯という制度が生まれた。 この選帝侯に選ばれた王によって、特定の家が力を持つ、あるいは贔屓(ひいき)にされるということは、ある種の弊害となっていたようだが、同時にこれがこの国の王制を安定させてもいた。 だが、百年ほど前、フォン・マイスナーによって選帝侯制度が白紙になり、さらに王家が世襲制になったことで、それまで選帝侯だった家は、後見人程度の立場になった。だから今は選帝侯は存在しない。しかし、その家の直系子孫は、かつてほどではないにせよ、それなりに大きな権力を持っている。だから」 「シーレンベックの家は、勢力拡大のためにルーマン家との婚姻を選んだ、ってことか。確かに、そんなゲス野郎とは結婚したくないけど、家のことを考えたら『イヤです』って拒否るのも難しいわよねえ」 実際に会ってみた感じだと、あの人、自分の意見を押し通すってタイプじゃなさそうだし。 ハインリヒが頷く。 「ああ、簡単に拒否もできない。だから、彼女は詩にしたんだ、『自分の腹を割いてみてくれ、そうすれば本当の気持ちが分かるから』と」 あたしだったら、どうするだろう? やっぱり全力で拒否るかも。 でも、実際にその状況になったら? ……わからないなあ、ちょっと想像出来ないもん。 「だから、私は決闘を申し込んだんだ、サー・ヴァルターに、……アストリットを賭けてね」 ハインリヒが微笑む。 「アストリットを賭けて決闘、って、出来るの、そんなこと!?」 「ああ。まだ正式に婚約を発表していなかったからね」 「…………あたしの場合、婚約してたんじゃなかったっけ? でも割り込んできたよね、ウンディーネのバカが。それに、復讐、なんて変な習わしもあったよね?」 「うーん」と、ハインリヒは困ったようなうめき声を出して夜空を仰いでから、あたしを見て言った。 「ミカがいた世界がどうだったか、わからないから、どう思われるかなんとも判断に苦しむんだが。私の国では、基本的に貴族の女子に結婚相手を選ぶ権利はない。もっとも大公や、公爵家の中でも有力なものは事情が違うし、爵位や何らかの力関係が違う場合にも事情が変わるんだが。それから、男の方で婚約後に違う女性を選べば、前の女性との婚約の破棄も出来る」 「つまり、普通の貴族の女の子は、勝手に結婚相手を決められたり捨てられたり、賭けの賞品にされても文句は言えないってわけね?」 「…………そう言われると、身もフタもないが。ま、まあ、ウンディーネは妙な魔術を使ってきたから、その思惑を探る必要があったし、アストリットの中に“君”という別の意識もあったから、それを探る必要もあったし」 ハインリヒが弱ったような笑みを浮かべて、言い訳を並べた。 「それはともかく、そんなわけで私がサー・ヴァルターとの決闘に勝ち、アストリットに求婚した。サー・ゴットフリートの思惑と違う部分もあって、許しをもらうのに少しばかり時間がかかったが、婚約することが出来た。その後、ある種の“魔力の流れ”を感じ、我がフォルバッハ家に伝わる魔導書と同じものがシーレンベック家に伝わっていることも分かった。以後の経緯はいつか話したとおりだ」
ベッドに寝転がり、組んだ手を枕代わりにして天井を眺めながら、あたしは思ったの。
クソだな、この世界。
ハインリヒは、あたしがどう思うのか判断に苦しむって言ってたけど、今のが率直にして偽らざる感想。一応、あたしたちの世界を、時代を少しばかりゴチャ混ぜにして、お手本にしてるってことらしいけど、一体どの辺りの時代をお手本にしたのかしら?
それはそうと。
明日は対策会議。 これからどうすればいいのか、話し合うことになってる。 とにかく、女王の好きにさせるわけにはいかない! それにウンディーネとか、サラマンダーとかも、まだいるし、そっちの対策も練らないと! そんな風に思う内、あたしの意識は静かに眠りに落ちていった……。
んで、ここにいる、と。 今あたしがいるのは、青空のもと、静かに風がそよいでいる草原。 そう、ヒルダさんたちとお話をした、あの世界だわね。
うん、ちょっと待とうか。 「……これ、あたし、死んじゃったってこと?」 ここって、殺されたとき、ループする前に来てるっていう世界じゃん! なんでまた、ここ来た!? あたし、また知らないうちに死んじゃったの!?
深夜、女王グレートヒェンは王宮内に作らせた瞑想室にいた。この部屋は王のもとに輿入れしたときに、魔術を使って「必要だから」と作らせた部屋だ。ここには、各種魔法円や魔法陣、そして占いのための道具もある。 テーブルの上にはロウソク一本。これがこの、国王の寝所ほどもありそうな部屋の全照明。そして同じテーブルの上には、両手で抱え持つ程度の大きさの水晶球。 その水晶球を眺めているグレートヒェンは、集中を解き、ため息をついた。 「どうだ、アンゲリカ?」 背後にいる愛しき父レオポルトの声に、振り返ったグレートヒェンことアンゲリカは、首を横に振る。 「わかりませんわ、『ユミルの右腕』の所在が。以前はアストリット・フォン・シーレンベックが持っていたのですけど」 「『ユミルの眼』は、お前のものになったのだろう?」 「ええ。『ユミルの脳髄』の感覚としても、確かにこの現世に存在するはずなのですが」 おそらくアストリットが死んだときに、「ユミルの眼」がアンゲリカのものになった。あのときはその嬉しさで気にも留めなかったが、本来なら「ユミルの右腕」もそのときにアンゲリカのものになっているはずだ。 レオポルトが言った。 「『ユミルの右腕』がないと、世界の創世は不可能なのか?」 「ええ。巨人ユミルのパーツにはそれぞれの意味があります。右腕には、地上世界、そして気象を思いのままに操るという、力と意味が篭められているのです」 「なるほど。確かに、それでは不完全だな。やはりアストリット・フォン・シーレンベックが持っているのではないか?」 「そうですね」と、アンゲリカは少しだけ考える。 「アストリットが死んだのは確かです。ですが、まだシーレンベック家からはそのような連絡は来ておりません」 「ふむ」 と、レオポルトはしばし考える素振りを見せてから言った。 「では、シーレンベックに探りを入れてみてはどうだ?」 「そうですわね。どのみち、クーフリンに替わる連絡役が必要でしたし。明日、連絡役を誰ぞに新たに任じて、シーレンベック領を調べてみましょう」 その言葉に、レオポルトが頷いた。
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