その夜、メリュジーヌとライモンダンは、クーロンビエの森深くに分け入っていた。リョーンの村に異端審問官たちがやって来たのだ。そのときにはメリュジーヌたちは村を発っていたが、その話を近くの村で聞き、戻ったのだ。 カテリ派やヴァルダンの教えを奉ずる者たちは、子どもでさえ縄で縛められて街まで連行されたという。 村に残っていた者はメリュジーヌたちに逃げろと言い、それに従ったが、追っ手はやって来た。異端審問官だけでなく十人近い騎士も、混ざっていた。彼らがメリュジーヌとライモンダンの似顔絵を持っていたことに気づいたとき、すべてはロジェの企みだったことに気づいたが、どうすることもできない。 ライモンダンは騎士数名を相手に戦ったが、多勢に無勢、ライモンダンは傷を負い、どうにか夜陰に紛れて森の中に逃げたのだ。
メリュジーヌは服の袖を引きちぎり、近くの川で湿らせて、大木によりかかっているライモンダンの額に浮いた汗を拭う。斬られた左腕の傷は、持っていたストールで縛り、なんとか出血は止まっていたが、早く医者に診せないと命の危険がある。だからといって、出て行くと異端として連行され、最悪、処刑だ。 高熱を出し、荒い息をしているライモンダンを見てメリュジーヌは、自分がロジェのものになればライモンダンは助けてもらえるのではないかと思ったが。 「ううん、こんな悪辣なことをするなら、ロジェは狭量だわ。とてもじゃないけど、ライモンダンを助けてくれるなんてことは……」 どうしたものか。 冷たい川の水に浸したにも拘わらず、すでに湯に浸したかのように温まってしまった布を、また川に浸そうと立ち上がりかけると、ライモンダンが右手でメリュジーヌの手を握った。 「どうしたの、ライモンダン?」 「メリュジーヌ……。君、だけでも……逃……げ、ろ」 いくらライモンダンの言葉でも、聞くことは出来ない。メリュジーヌは気持ちを幾分、抑えて言った。 「いやよ。あなたを置いて逃げるぐらいなら、私もここで、ともに死ぬわ」 そして両手でライモンダンの熱い右手を、まるで彼自身を抱くように握る。 ライモンダンは首を横に振った。 「ダメだ、逃げろ……」 メリュジーヌは、今度は気持ちを抑えず、勢いよく首を横に振った。 ライモンダンは、辛そうに目を閉じる。出血は完全に止まっているわけではない。 メリュジーヌは心の中で祈った。
天の大いなる父よ、父が使わした御子よ、どうかライモンダンをお助け下さい。もし、叶わぬなら私の命を差し出します。それでも駄目なら。私は、悪魔に助けを求めます
“本当だな?”
メリュジーヌの問いかけに答えるように、声がした。 「え?」 声のした方を見ると、五エル(約二メートル)ほど先に、この暗闇でもはっきりと姿を捉えることの出来る一匹の黒いオオカミ。その大きさは人間ぐらいある。 襲われて喰われるのではないか、という恐怖で体が硬くなったとき、オオカミの輪郭が揺らいで一人の男になった。着ている服は、以前、版画で見た「ヴァイキング」のものに似ているように思う。髪は逆立ち、かなりの長身で体格も良い。大男と言ってもいいだろう。 男はイタズラっぽい……いや、見ようによっては邪悪な笑みを浮かべ、驚いているメリュジーヌに聞いた。 『お前、助かるためなら、悪魔でも助けを求めるんだな?』 不思議な声だった。このような声、人間に出せるわけがない。 メリュジーヌは、苦しげに速い呼吸を繰り返しているライモンダンを見た。そして、もう一度、男の方を向く。 「ええ。こういうときに助けて下さらない神など、信ずるに値しないわ」 『へへ。気に入った。いいだろう、助けてやる。お前に魔法の知識をやるよ。といっても、今、大陸に残っててお前に理解出来るものに限るけどな』 「魔法? そんなものがあるの? それにそもそも魔法など、天の大いなる……」 言いかけてメリュジーヌは気づいた。いつの間にか自分はこの大男と普通に会話している。それに自分は信仰を捨てたではないか。今さら「魔法などは天の大いなる父が認めていない」など、何を誰に対して言い訳しているのか。 メリュジーヌは決意し、立ち上がる。 「あなたに助けを求めます。私は何を捧げたらいいのですか?」 必要なら処女だろうとなんだろうと、捧げるつもりになっていた。 『アアッハッハッハッハ! 気に入った! 代償めいたものは要らない。ただ、“来るべき時”が来たら、役に立って欲しい』 「来るべき時?」 『ああ。予言された“神々との最終決戦”の時だ』 予言された最終決戦。それは幻視者ジャンが神に視せられたビジョン。“神々との最終決戦”という言い回しからして、この大男が神の敵すなわち悪魔の側であることは、間違いない。 「いいわ」 考える暇(いとま)もなく、メリュジーヌは答える。カソリカが信じるのも神、自分たちヴァルダン派が信じるのも神。どちらも“同じ神”を信じる者であるのに、何ゆえ、片方が片方を虐げるのか。もしかして、どちらかの信仰が間違っているのか?
ならば。
どちらが間違っていようが関係ない。自分は今、目の前にいるものを信じよう。 それがメリュジーヌの決意だ。 『決まりだな』 大男が近づき、メリュジーヌに開いた右手を向ける。瞬間、膨大な「魔法知識」が流れ込んできた。気が狂いそうな、あるいは頭が破裂しそうな錯覚。これはもはや拷問だ。 一体、いつまで続くのか。 だが、耐えてみせる! 頭の片隅にそんな思いを強く抱き、メリュジーヌは耐えた。 やがて、魔法知識が自分に定着したのが自覚出来たとき、先刻までの感覚がウソのように消えた。 『その知識と力、どう使おうが、お前の自由だ。使うという意志、結果に対する責任、それが伴うのが魔法。それさえ守れるなら、どう使おうと自由。使いこなせよ?』 ニヤリとしてそう言うと、男が去ろうとした。 「待って。あなたの名前は?」 霞に紛れるようにして消える刹那、男が答えた。
『ロキ』
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