言いかけたところで、ドアが開き二十二、三歳ぐらいの一人の青年が入ってきた。体格が良く、格闘家をイメージさせる。 「メリュジーヌ」と、青年が少女を呼ぶ。 「なあに、ライモンダン?」と、少女……メリュジーヌが応える。 建物の中に入り、青年……ライモンダンがメリュジーヌに言った。 「ロジェが来た」 瞬間、危機感と嫌悪感がメリュジーヌを支配する。だが、心を奮い立たせ、子ども達を見て言った。 「みんな、聖典は、しまいなさい」 子ども達が言葉に従って聖典をしまうのを確認すると、メリュジーヌは建物から出る。街へと向かう道を、馬に乗った一人の貴族の若者が現れた。服装から見て、狩りに出るのだろう。 トロットで馬を進め、教会の前の石畳に馬を駐めると、若者が馬から下りる。 「やあ、おはよう、メリュジーヌ」 「おはようございます、サー・ロジェ。今日は随分とお早いことですね」 少しばかり、嫌みを匂わせる物言いで返す。だが、この男はそんなことには気づかぬようだ。笑顔で歩み寄ってくる。 率直に言って、メリュジーヌはこの男が嫌いだった。顔つきはまるでヘビのよう、それどころかその性質も粘着質だった。 そして、この男はメリュジーヌに恋着しているのが、表情や態度、言葉から知れた。 ロジェはチラとライモンダンを見てから、メリュジーヌに向く。 「今日はクーロンビエの森に、狩猟に行く。僕に狩猟の神のご加護があるように、祈りを捧げてもらえないか? 出来たら、詩篇を読んで欲しい」 と言って、いやらしい笑みを口に貼り付け、ロジェはメリュジーヌの髪を右手で撫でる。 その手を力一杯はねのけたかったが、相手は領主トゥールーズ伯の御曹司なのだ。下手な真似は出来ない。 なので、身をよじらせて“それ”から逃れ、メリュジーヌは言った。 「出来ません。私は愚民、聖職者ではないのです」 すると、ロジェはチラと平屋を見る。木製の窓を上に上げてこちらを見ていた子ども達が、一斉に窓を閉じる。木枠と木の壁が「コトン」と音を立てた。 それを見てまたニヤリとすると、ロジェがささやくでもないが小声で言った。 「僕が何にも知らないとでも思っているのか? あのボロ小屋で君が何をしているか、教皇庁に報告すれば、君たちは……」 メリュジーヌはそれには応えない。
この国……いや、この世界において神の言葉が記された聖典の説教をしていいのは、聖職者だけ。それ以外の者が説教をするのは禁じられていた。だが、それに異を唱えた者がいた。名をピエール・ヴァルダン。元は富裕な商人であったが富のむなしさに気づき、それをなげうって清貧の徒となり、牧師のいない町や村を巡る巡回説教者となった。やがて、ヴァルダンに共鳴する者が増え、一つのコミューンを築くまでになった。 だが、それは教皇庁の敵視するところだった。聖職者でない者が説教をして回ることは、教会の権威を失墜させることに繋がるからだ。そのため、ヴァルダンは破門され、異端視された(ほかにもヴァルダンが異端視されたのは、金銭欲や物欲にまみれ堕落した教会に対し、清貧を貫く姿勢を見せたからだともいわれているが)。 以来、ヴァルダンたちの活動は地下に潜ったのだ。
ロジェがさらに顔を近づけてきたとき、ライモンダンが割って入った。 「サー・ロジェ、狩猟というのであれば、こんなところでお時間を潰されるのは、いかがか、と」 「……フン、また貴様か。貴様が騎士であったなら、この場で決闘を申し込み、僕の剣で突き殺しているところだ」 ロジェはライモンダンとメリュジーヌの関係を知っているようだ。まあ、この村の者が全員、知っているぐらいだから、頻繁にこの村にやってくるロジェが気づかぬはずはない。 今の言葉から察するに、ロジェもさすがに無辜の民を殺すような、異常な心理の持ち主ではないらしい。 もう一度、「フン」と鼻から息を漏らし、ロジェは去って行った。 ライモンダンがメリュジーヌの肩を抱く。 その暖かさが、メリュジーヌの心身をむしばんでいた不快なモノを、溶かしていった。
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