朝。 風吹く草原にテーブルと椅子。テーブルの上には、サンドイッチやコーヒーがある。 つまりは、朝食。
……………………。 うん、「こういうものだ」ってことにしとこう!
朝食を終え、コーヒーを飲み干してから、あたしはヒルダさんに聞いた。 「ねえ、どの時点に戻るか、わかるかな?」 遡ってどの時点に行くのかわかれば、対策を練ることも出来るはず。 ヒルダさんが首を横に振る。そしてアストリットを見ると、サンドイッチに「はく♡」って感じで咥(くわ)えついた彼女が、おずおずって感じで首を横に振った。 その仕草に頷いて、ヒルダさんがあたしを見る。 「もう時間を遡ることは出来ないわ」 「……え? それって、まさかアストリットの時間が……!」 イグドラシルの秘法は、死んでも時間を遡って甦る秘法。でも、遡った時間の、倍の時間が残り寿命から差し引かれるという。 その“遡り”が出来ないってことは、まさかアストリットには命の時間が残されてない……!? ヒルダさんがちょっとだけ厳しめの表情で言う。 「まだアストリットの時間は残っているわ、具体的な時間は言えないけど。でも、どのくらいの時間を遡るのかはまったく未知数。不確定なものに振り回されて事態をややこしくしたくなかったから、彼女にかけられた秘法の効力に、一時的なロックをかけたわ」 「え? それって、『イグドラシルの秘法』をキャンセルしたってこと?」 ヒルダさんは首を横に振る。 「残念だけれど、それは今のあたしにも出来ない。それに秘法のキャンセルは、あくまで人間世界でしか行えない。ダァトの知識に、かなりアクセス出来る今なら、ある程度までは分かるんだけどね、解呪の方法……。あの頃は、それを探るために随分と時間と労力を費やしたわ」 寂しげな笑みを浮かべたヒルダさんは、あたしに言った。 「あなた、あの懐中時計を渡されているわよね?」 「ええ。今は持ってないけど……。あれ?」 着ている薄手の服に、ポケットがあって、いつの間にやらそこに入っていた。 それを取り出すと、ヒルダさんが時計を見つめて述懐するように言った。
「あたし、自分にも『イグドラシルの秘法』を施術したの。もし万が一死んでも甦ることが出来る秘術、それがあれば不測の事態が起きても甦って対策を練り、家族と普通に笑顔で過ごすことが出来る。そう思っていたの。 でも、思った以上にペナルティーは大きかった。巻き戻った時間の、倍の時間を残った時間から削り取る。つまり、死ぬ回数が多ければ、確実に想定以上に早く死んでしまうの。人間って、命の残り時間が分からないから、日々を漫然と過ごせる。昨日生きていた人が、今日死ぬかも知れない、今日生きていた人が明日、死ぬかも知れない。 やり残したことがたくさんあっても、どうにもできない。 だからといって逆に分かってしまうと、人は時間に追われ、余程、胆力のある人でない限り、ヤケになったり発狂するかも知れない。そのぐらいデリケートなの、命の時間って。その禁忌にあたしは、違う形で触れてしまった。今回、使ってしまった時間は、残り時間にどのくらい影響を与えたのだろう、とか、やっておかないとならないことばかりが頭の中にあって、おかしくなりそうだったわ。日々、危険に過剰に敏感になって、家族との時間も楽しめなくなった。 そこで『イグドラシルの秘法』を解呪するために研究を重ねて作ったのが、その時計。 ……でも結局、その時計は『イグドラシルの秘法』による巻き戻りの影響を受けないだけのもので、解呪には至らなかったわ」
なんか、いろいろとあるんだな。ヒルダさんの表情を見てると、あたしも「死んでも甦ることが出来るって、便利じゃん」って思ってたのが、恥ずかしくなってくる。 イグドラシルの秘法によって、死の観念に敏感になってしまう。喩えるなら、秘法の副作用、ってところか。 ヒルダさんは、少しだけ表情を柔らかいものにしてあたしに言った。 「これまでのことを振り返ってみると、あなたは確実に危機を乗り越えてきている。それに素敵な仲間にも恵まれてるわ」 その言葉、特に「素敵な仲間に恵まれている」という言葉に、あたしは誇らしくなって思わず笑みがこぼれた。 つられたのか、ヒルダさんも笑顔を浮かべて言う。 なんか、初めて見る気がする、この人の“本心からの”笑顔って。 「あなたの仲間は、あなたを信じている。さあ、戻りなさい。実は『魂寄せの秘法』は、アンゲリカに解呪されたのに近い状態になってる。だからあなたは、一時的に元の世界に戻れた。でも、あなたの力が必要。だから、あたしはここにあなたを呼んだ。そして今度は、あたしが『魂寄せの秘法』を施術したわ」 「え? そうだったの!? 『魂寄せの秘法』ってキャンセルされてたの!?」 そうか、だから、元の世界に帰ることが出来たんだ。 「それに、戻りなさい、って、まだ時間があるんじゃ……?」 「一日、っていうのは、あくまで制限時間。その時間内であれば、好きなときに戻ることが出来るのよ」 そう言って、ヒルダさんがあたしの胸の中央を、軽く「トン」と押した。 たったそれだけのことなのに、あたしの体はまるで引っ張られるように、後ろへと進み始めた。足で踏ん張ろうにも、その足自体が動いているような気がする。 「ちょ、ちょっと、ヒルダさん!? あたし、まだ戻るわけには……! だって、考えないとならないこととかあるし!」 「ミカちゃん、なんとなく、あなたなら任せてもいいような気がしてきたの。それは多分、あたしじゃ思いつかないような無茶な方法を使うと思うから」 「え? なんですか、それ!?」 足の動きは止まらない。 「あたしたちの世界とあなたの世界、二つの世界を知ったあなただからこそ、思いつくムチャクチャな方法よ!」 そう言ってヒルダさんは笑顔で手を振った。「バイバイ」をするように。 おおぉーいいぃ! なんだ、それ!? 無責任にも程がある……!
言葉は口から出ることはなく、ヒルダさんとアストリットがお別れのように手を振るのを見ながら、あたしの体は淡い緑色と青色が混在する、トンネルの中に後ろ向きで吸い込まれていった……。
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