あたしは、カバンを地面に置いてから、両手でパン!と頬を張った。 「よし! うだうだ悩んでたって始まらない! 向こうは迷惑に思うかも知れないけど、まず優先するべきなのは!」 気合いを入れたあたしは、カバンを拾って、夢津美の家に向かって走り出した。
夢津美の家は、学校を挟んで反対側になる。中学校の学区は隣町になるけど、バスを使えば十分ぐらいのところだ。 今いる児童公園から、バス通りに向かう。 そうよ、大久保先輩も言ったけど「やり直しの利かない人生」なんて、あってたまるか! もしそんなものがあるんだとしたら、人間は絶対に進歩しない! 失敗して失敗して、やり直して! だから人は、世の中を良くしようと努力出来るんだ! 「そうよ! だから、きっとあの“ループ”にも意味が……!!」 !?
「……………………なに、“ループ”って……………………?」
気がつくと、あたしの足は止まってた。 カバンを取り落としていることに気がついたのは、多分、数秒経ってから。 何か、大事なものを忘れているような気がしてならない。 何か、大事なことをしなければならない気がしてならない。 何か、大事な人たちを救けないといけない気がしてならない。 あたしの頭の中で、得体の知れないモノがグルグルと回転を始める。その「グルグル」は、パズルのピースのようで、どう組み合わせたらいいのかわからず、もどかしくてならない。 そのピースには、時々、人の顔や街並みが映し出される。知らないはずなのに、見たことないはずなのに、そのピースがフラッシュのように“知っている”何かを映し出す。 「これ、一体、なんなの……?」 目眩(めまい)がする。 脚がガクガク震えてきて、まともに立っていられない。 呼吸が荒くなって、あたしは右手で右目を軽く押さえる。 絵を映したピースは、その回転を速め、少しずつくっついていって、それぞれくっついたブロックが、またくっついていって、やがて……。
甲高い金属音、閃光とともに一枚の「絵」が出来上がった。 その絵に描かれているのは。 「……ハインリヒ、シェラ、ガブリエラ、それに、イルザ……」 ほかにも、いろんな人の顔や、中世ヨーロッパ風の街並みが描かれている。 知らないはずの人の名前を口に出した瞬間、まるで風船が破裂して中から色とりどりの紙吹雪が舞い出るように、あたしの頭の中に「ループの日々」の記憶が甦ってきた。 「……そう、そうだわ。あたし、なんでこんな大事なことを忘れてたの!?」 あのとき、あたしの背中に痛みが走ったと思ったら、記憶が飛んでここに戻ってきてた。 そうか、あたし、死んだんだ。でも、「イグドラシルの秘法」で甦ることはなく、原理は不明だけど、あたしはこっちに戻って来られたんだ。 あのときに抱いた何かに対する期待は、こっちに帰ってくるっていうことに対する期待。 でも、それはイルザたちにとっては、絶望かも知れない。 「あ、スルトの剣……」 あたしは自分の右腕を見る。あのときの魔術が効果を及ぼしていたら、スルトの剣は今、あたしとともにある。 「でも、だから、どうだっていうの?」 スルトの剣は、ラグナロクに対する切り札。 でも、それは今ここにあるはず。 「それじゃあ、イルザたちは……? あの国は、世界はどうなるの?」 ユミルの力を手にしたラグナロクは、おそらく自分たちの好きなように、その力を使う。 「……もしかしたら、世界をよりよい方向に持っていくために、ユミルの力を使うかも知れないじゃない、ハハハ、ハ……」 あたしは笑ってみる。 「アストリットを殺そうとしたのだって、『大を生かすために小を見捨てる』かも知れないし」 ほら、よくあるじゃん、そういうの。
どうか、世界を救って欲しい。君にこの世界を託す……
いきなり、あたしの脳裏に「ローラント」って名乗ったドイツ人青年の言葉が甦る。 「少なくとも、彼はラグナロクに危機を感じていた、ってことよね、あの言葉から考えると。……ただの夢……じゃないのよね、あたしが知らない知識もあったし」 もう、何が何だか、わからない。
でも、確かなのは! あたしは右手を拳に握り、口を真一文字に結んで頷いた。 「あたしは、あたしの“時”を進める! だから!」 振り向いて公園の方を見ると、宣言するようにあたしは言った。 「ちょっとだけ待ってて! あなたたちの“時”も進めるわ、必ず!」 公園にあった懐中時計からの返事は無かったけど。
あたしはバス停に向かって、再び走り出した。 止まってしまった、この“時”を進めるために!
|
|