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作品名:婚約破棄された令嬢は婚約者を奪った相手に復讐するのが習わしのようです 第二部〔再掲〕 作者:ジン 竜珠

第73回   剛王の帰還・前編
 朝の十時を回った頃、王城の中庭にある溜め池近くのテラスで、侍女たちに両手の爪の手入れをさせていたグレートヒェンは、突如、自分の体に起こった変化に、勢いよく立ち上がる。
 侍女たちが驚いて尻餅をついたが、構わず歩き出す。
「へ、陛下、いかがなされまし……」
「ええい、どきゃれ!」
 傍に控えていた侍女の一人が声をかけてきたが、それを手で半ば跳ね飛ばし、城内に入る。今回はやや余裕があるとはいえ、やはり時間が勝負なのだ。
 早足というより、もはや駆け出してグレートヒェンは地下室へ向かった。階段にある松明の火を、地下室に持って入り、壁にあるランプに火を灯す。ここまでは、照明用ガスのパイプは引いていない。
 そして、部屋を囲う四方の壁、その北面には、ある絵が描かれている。
 全裸の男。大きさは普通の人間より一回り大きいサイズだろうか。そしてその男を取り巻くように、色とりどりの玉が、円を描くように囲っている。その数、十個。その玉の中には、魔術文字による単語が刻まれている。
 グレートヒェンはその男の両足の中間辺りに左手を当て、繰り返し、呪文を唱える。
「テイロー・ケイハー・マイレー・ペイレー」
 九回目で左掌(ひだりてのひら)が熱くなり、そこにルーン文字に似た魔術文字が、赤い色で浮かび上がる。
 それを見たグレートヒェンは、くぐもった笑いを立ててから、高い声を上げて笑う。
「クッフフフフフ、フフフフ、ハハハハハ、アァッハハハハハハハ!」
 そして、もう一度、文字を見る。
「やったぞ、遂(つい)に我が呪術が功を奏した! 何周目になるかのう……。じゃが、遂に、遂に! 『ユミルの眼』が妾のものになったのじゃ! これで時を戻っても、もはやこの眼は妾から離れることはない! それに、時が戻るまでに二時間の“時”を得た! これだけの時間があれば!」
 そして昂揚した気分のまま、地下室を出る。王の執務室へ行き、王に声を掛ける。
「陛下、どうか妾とともに、おいで下さいませ」
 王が無表情で頷く。大臣が文官たちと顔を互いに見合わせてから言う。
「女王陛下、恐れながら今、臨時軍事予算の審議書について議会用の確認を……」
「黙れ!」
 一喝すると、黙ってしまった大臣たちを後に、王を連れて、地下室へ行く。

 地下室で、グレートヒェンは巨人を見上げて呪文を唱える。
「万能の神よ、大いなる円に来たまえ。永遠の幸福、神の徳、完全なる喜び、あふれんばかりの慈愛、永遠なる礼をもって、あらゆる敵を、排除したまえ……」
 そして、長々と続く呪文を唱え終わると、まとったものをすべて脱ぎ捨てる。意識を体に巡らせると、全身のあちこちに掌(てのひら)サイズの文字のようなもの、紋様のようなもの、紋章のようなもの、そして魔法円の様なものが浮かび上がる。その色は紫。
 振り返り、呆けたように無表情の王に向くと、グレートヒェンは床にある服からダガーを拾う。そのダガーには、柄にも刃にも文字や紋様が刻んである。
 グレートヒェンは、ゆっくりと王に近づき、呪文を唱える。
「スプレンド・マース・フリッデ・ツーイ・ボール。偉大なるアースの神オージン、オージンの魔法よ、偉大なるヴァンの女神フレーヤ、フレーヤの魔法よ。偉大なるセイズの力を我に与えたまえ」
 すると、彼女の全身に浮き出ていた文字や紋様などが、彼女から離れ宙を舞ったかと思うと、一本の紐のようになって王の口に吸い込まれていった。
 それを確認して満足げに微笑むと、グレートヒェンは最後の呪文を唱えた。
「夢は夢、現(うつつ)は現、夢は現に、すべては始めに、そしてともに同じ時間を」
 ダガーを王の左の頸動脈に当て、左下から右上に向けて一気に引いた!
 勢いよく、王の頸動脈から真っ赤な血潮が吹き出す。だが、その鮮血は壁に当たるでもグレートヒェンの肌を染めるでもなく、まるで生き物のように空中でうねって、天井まで行くとそこで渦巻き、床に下ってやがて人の形を形作る。さらに壁の巨人像から人形(ひとがた)に向かって、光の粒子が向かい、人形に細かな形と色を与え、赤一色の人形から、普通の人間……威容を誇る偉丈夫へと姿を変えた。
 そこに現れた男は。
「お父様……」
 万感極まってグレートヒェンは呟く。
 男は目を開け、グレートヒェンを見て、口を開いた。
「久しいな、アンゲリカ」
「わ、私がお分かりですか?」
「ああ、姿が変わろうと、愛しいアンゲリカであることは、魂が感じている」
 そう言って、男が微笑む。
「ああ、お父様!」
 グレートヒェンが男に抱きつく。男もアンゲリカを抱きしめた。
 その男は、死したときと変わらぬ姿のレオポルト・フォン・マイスナーその人であった。


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