男は、対戦相手を見る。 篝火(かがりび)による夜間照明だが、明らかにまだ子どもだというのが見て取れた。おそらく十四、五程度だろう。これなら楽勝だ。 ここキースリング領の棄民街の外れでは、時折、賭け闘技が行われている。これに勝って優勝すればそれなりの金がもらえるし、ここでは手に入らない物資が手に入ることもある。滅多にないが“外”の女を抱くことも出来る。 主宰者、つまり出資者がどこぞの貴族ということで、対戦相手を殺すのはご法度だが、殺さない程度なら痛めつけてもいい。 男は一段高いところで椅子に座り、執事らしき初老の男を傍に立たせている主宰者を見る。着けている仮面は違うが、以前も来たことのある青年だ。前回、ある男の体から吹き出した血しぶきを、身を乗り出して見て、興奮していた。あの時は、その対戦相手に、「特別手当」なるものを、執事越しに渡していた。なかなかに腐った男だ。いや、貴族など、その程度のもの。なんとしても王家もろとも、一掃しなければならないが、棄民街(ここ)に収容されては、それも叶わない。 それなら、ここに来たときに引っ捕らえ、人質にしてここから脱出を、と考えたこともあったが、同じようなことを考えたヤツらがいて、実行したところ、凄腕の護衛たちに容赦なく斬り殺され、たたき殺され、五体バラバラにされたり、ミンチにされたりして、袋詰めにされた。その袋は、そのままゴミ捨て場に放り込まれていた。 いっそ、連中の方を棄民街(ここ)に隔離した方がいいんじゃないか、と、あの時は思ったものだ。
男は、改めて対戦相手の少年を見る。棄民街(ここ)では見たことがない。ということは、賭け闘技の噂を聞きつけて“外”から来た者だろう。 審判役の若者が、お互いの武器を確認する。男の得物はバスタードソード、そして対戦相手の少年は、ナイフを結んだロープだ。 「おい、小僧、そんなもので俺に勝てると思ってるのか?」 挑発してやると、少年はニヤリとする。 「やってみなくちゃ、わからねえだろ?」 そう言って、ロープを体側でグルグルと回転させる。その回転のさせ方を見るに、あの武器の扱いには慣れているようだが、所詮はナイフ、どの程度のことが出来るか。 審判が開始の合図を出し、闘技が始まった!
「悪いな、小僧、手加減してやる気はねえんだ、覚悟しな!」 男は剣を手に、少年目がけてダッシュした。 およそ二十エル(約八メートル)ほどあった間合いを一気に詰めて躍りかかる。だが、その瞬間! 「おおうっ!?」 目の前に、ナイフの切っ先が飛んできた! 急制動をかけて止まるが、次々に『ナイフが目の前に飛んでくる。それはまるで男を後方へ追いやるようで、事実、男はバックステップを踏んで後方へ逃れている。 そして男はナイフに誘導されるように、フィールド内をグルグルと回る。あの武器の扱いに慣れているといったレベルではない、正確に鼻先にナイフを飛ばしてくる腕前は、間違いない、戦いのプロだ! 「それなら!」 男は身を沈め、剣でロープを斬ろうとした。だが、普通のロープではなかったようで、切断するには至らず。だがそれでも、ロープの軸線を狂わせることには成功した。「よし!」と気合いを入れ、そのまま少年に迫ろうとした、その刹那! 「なにッ!?」 少年がこちらに駆けてきたのだ。それなら、剣で斬りつけてやればいい。腕に切り傷、程度ではすまないだろうが、これもこんな賭け闘技に参加した勉強と諦めてもらおう。そう思って、ニヤリとしたとき。 「ン? ……グワアッ!?」 いきなり体が引っ張られたのだ! すぐにわかった。剣にロープが巻き付いており、それを少年があらぬ方向に引っ張ったのだ。豪快に転び、地面で体がねじれて仰向けになったとき、夜空から、少年の膝が落ちてくるのが見えた。
男が意識を取り戻したとき、その日の闘技は終わっていた。 「派手にやられたな、デニス。お前に賭けるんじゃなかった、大損だぜ」 起き上がると、隣に座っていた友人、エーミールが苦笑いを浮かべて言った。 まだ痛む顎と額をさすっていると、エーミールが言う。 「スゴかったぜ、あのガキ。お前の次のヤツは、首にロープを絡められて、息が詰まった隙に蹴られて負け、その次のヤツは自分の腕にロープを絡めさせてガキの動きを封じ、牽制(けんせい)したつもりだったらしいが、あのガキ、そいつの周りをものすげえ速さで回ってロープで相手をがんじがらめにして、後頭部を蹴った。次のヤツは、ガキがナイフを放(はな)った隙に、背後に回って倒そうとしたらしいが、ガキは投げたナイフをあっという間に戻して、ナイフの切っ先を相手の脇腹に突き刺した。そのまま駆けて行って、ナイフを押し込んで、相手は降参。結局、次は現れず、ガキの勝利だ。ありゃあ、プロだな」 その言葉に、男……デニスは頷いて言う。 「ああ、並みのヤツじゃない。ひょっとしたら、どこかで用心棒稼業でもしてるんじゃないか?」 「そうじゃない」とエーミールが真面目な顔で言った。 「俺が言う“プロ”っていうのは……。殺しのプロ、ってことさ」 「……まさか?」 「あのガキ、相手にとどめの一撃を食らわせたときも、そのあとも、まったく表情が変わらねえ、あの歳で、だ。それだけじゃない、“加減”を知ってる節がある……殺さない程度の“加減”をな」 もし、エーミールの言う通りなら。
自分は、運が良かったのだろう。 そのときになって、初めてデニスの額からイヤな汗が流れ始めた。
貧民街のヤサに帰ってくると、ウンディーネは隠れ家の中で軽く脚の運動をしていた。 「もういいのか?」 サラマンダーがそう聞くと、ウンディーネは頷いて応える。 「ええ。魔法の力が宿ってるせいかしらね。昼には痺れも怠さも、痛みも和(やわ)らいだわ」 ノルデンから脱出して三日、ウンディーネは本調子に復しつつあるらしい。 「そういえば、こんな夜遅くに、あなたはどこ行ってたの、サラマンダー? 子どもはおネンネする時間よ? それに、キースリングのスパイみたいなヤツが、うろついてる。妙な行動は避けた方がいいわ。お尻ペンペンされるわよ?」 からかうような言葉にも拘わらず、その表情はつまらなさそうだ。 「知ってる。あの赤毛の商人だろ? ニコニコしてるくせに、目つきが、たまに鋭くなる。お前を見る時には、特にな。大方(おおかた)、娼館(しょうかん)に売り飛ばしたら、どんだけ儲けられるか、値踏みしてるんじゃないか? お前、美人だから」 こちらも、からかってやる。ただし「美人」という感想は本音だが。 「……………………」 「……………………悪かったよ」 ウンディーネは無表情だが、ちょっと怒っているようにも見えて、つい謝ってしまった。そしてサラマンダーは、自分が行っていた場所を話す。 「棄民街にあるっていう、賭け闘技場だ。そういう情報を仕入れたんでね、軍資金を稼いでおこうと思ったんだ。入り込むには、門衛に金を握らせないとならないが、勝ったときの報奨金はかなりのものだぜ? 何せ、今回のスポンサーはマイヤーハイム公爵の領内に住んでる、オルデンベルク伯爵のところのボンクラ息子だからな」 「知ってるの?」 「半年前、なんかの秘密を知った、とかいう女を始末に行ったら、同じベッドに寝てた。目を覚まして、隣に寝てる女が血まみれで死んでるのに気づいたときの、あのボンクラ息子の顔、お前にも見せたかったぜ」 今思い出しても、吹き出してしまう。 「興味ないわ。その女の死に顔なら、見たかったけど」 ニヤリとして、ウンディーネは言う。多分、冗談じゃなく、本気だろう。 そう実感して、肩をすくめ、サラマンダーは棚の上のブドウ酒の瓶を取る。 「ねえ、サラマンダー。あなたの左腕に、魔法の力が宿ってるのよね?」 ウンディーネの問いに答えながら、サラマンダーは別の棚に置いてあるグラスを取る。 「ああ。なんで両腕じゃなく、左腕なのか、例のひょろ長いノッポに聞いたけど、教えてくれなかった」 少し考えて、ウンディーネは言った。 「私に考えがあるの、アストリットを殺す『手』について」 その瞳には、自信にも似た光が宿っていた。
|
|