「そのスパイについては、あとで。まずは、彼女の紹介だ。彼女は中東地方の出身で、その地方の魔術を使うことが出来る。『イグドラシルの秘法』が実行されて、アストリットの中に別の魂が入っていることに気づいた時、殺されてしまう危険を減らすために、その魂が意識を浮上させる際に、敵の攻撃を防ぐ方法を考えておくように、語りかけてもらったんだ」 「………………。んーと、ちょっと待ってね。なーんか、頭の端っこに引っかかってるものがあるのよねえ。なんだったかなあ?」 考えているあたしに、シェエラザードが蠱惑的な笑みを浮かべて言った。 「あなたにとって、最善の行動は何?」
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「んがぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 思い出したぁぁぁぁぁ!!」 奇声を発して、椅子を「ガタッ!」とさせて立ち上がったあたしに、みんながビクッとしたけど、構ってられない! 「いろいろ思い出したわ! ここで出会った時、なんで忘れてたのかしら!?」 「それはおそらく、『忘却の呪文』の効果だと思います」 と、シェエラザードが答える。 「なまじ、覚えていらっしゃった場合、いろいろと不都合があるかも知れませんので、こちらにご奉公に上がる際、夢を通じてお嬢さまに、『忘却の魔術』をかけておきました」 「ああ、そうなんだ。ああ、そう、あたしのことは『未佳』でいいわよ?」 「は?」 首を傾げたシェエラザードに、あたしは自分の名前を教える。 「かしこまりました。では、以降、公式の場以外ではミカ様と呼ばせていただきます」 一礼したシェエラザードは、「ハインリヒ様」と声をかけ、ハインリヒに耳打ちした。 「そうか」と答えたハインリヒの表情が、どこか深刻そうだ。 ゴットフリートさんとフェリクスさんの話がひと段落したのを見て、ハインリヒが言った。 「シーレンベック卿、先ほど私がお話ししかけたことなんですが」 「ああ、そうだったな。なんだね?」 「実は……」 と、ハインリヒはあることを話す。
場の空気が凍り付いた。でも、あたしには、なんとなく繋がるものがあった。 「今、ハインリヒが言ったことのうち、シェラから聞いたっていう話。あたしも心当たりがあるんだ……」 と、あたしも気になったことを話した……。
深夜。 ある人物が屋敷の裏庭に出てきた。 そしてしばらく歩いたものの、突然、歩を止める。かすかに頭(こうべ)を巡らせ、再び歩き始めた。 その人影は周囲を確認しながら、ある木立の根元に腰掛け、何かを始めた。その行為は、持参した籠(バスケット)から取り出した何かを、食べているように見えた。
やがてその行為を終えた人影は裏庭から屋敷に戻って行った。 直後、あちこちの茂みや灌木(かんぼく)、立木の近くからたくさんの人影が現れた。ある影がランタンに火を点(つ)ける。 その人物はアルブレヒト・フォン・トラウトマン。この屋敷の警護長である。 「さすが、簡単には尻尾は出さんか」 アルブレヒトは呟く。辺りに潜んでいた影が、アルブレヒトに集まってきた。みな、この屋敷の警護を担当する騎士たちである。アルブレヒトは集まってきた騎士たちに言った。 「シェエラザードが料理長から聞いた話、及びアストリットお嬢さまがご覧になったことから考えて、メイド・パトリツィアが食材を不正に持ち出していることは明らか。そして、同じくお嬢さまのお話から、その食材は、この屋敷の敷地内に潜伏している何者かに、供給されていると思われる。そしてその何者かは」 と、アルブレヒトは一同を見回して言った。 「殺し屋サラマンダーの可能性が高い」 騎士の一人が言った。 「なぜ、パトリツィアがそのようなことを?」 「ハインリヒ・フォン・フォルバッハ卿(きょう)の話だが。卿(きょう)は先月、王都で行われた御前試合の折、近衛騎士隊の隊員と剣を交えたそうだ。その相手の名前はリタ・フォン・プリルヴィッツ。その面相は、ほくろの位置まで、パトリツィアと瓜二つだそうだ」 一同が息を呑む。 「そして先月から出現している殺し屋ども、どうやら王家が差し向けたものらしい」 一同がざわついた。中の一人が、小声で、それでも興奮したように問う。 「なぜ、王家がお嬢さまを!?」 「わからん。とにかく、サラマンダーは敷地内(ここ)に潜んでいる。夜明けとともに、捜索をかける。なお、敵はオレンジのような香(こう)でこちらを麻痺させ、クロスボウで矢を撃ってくるということだ。捜索の際、オレンジの香りがしたら、急いで風上に回るように。詳細は明朝のブリーフィングで説明する。解散!」
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