あれから七日。 ハインリヒが「スルトの剣」の呪術の謎を解いた以外は、何にも事態は動かない。
「わかってみれば、なんということのない暗号だった。韻を踏んだ単語の前に置かれた言葉が一つの場合は一回、二つの場合は二回、三つの場合は三回、その韻を踏んだ単語を繰り返せば良かったんだ」
ということで、アストリットじゃなく、あたし、つまり小松崎(こまつざき)未佳(みか)の生まれた月日を鍵にして、右腕に「スルトの剣」が“装備”された。前も話題になったけど、異世界人である「小松崎未佳」に「スルトの剣」を装備させたのなら、異世界に帰っちゃえば、もはや誰にもどうにも出来ない。 なので、気持ち的にも、ひと段落したその日の朝。 「ねえ、シェラ。あたし、街を散歩してみたいのね? だから、ハンナと……」 「かしこまりました。では、ご主人様のお伺いを立てて参ります。護衛のこともございますので」 「うん、そうねそうねそうだわね、あたし、狙われてるのよね」 いけない、平和な日が続いてたから、あたしの立場を忘れそうになってたわ。……でも、おかしいな、なんで自分の身の安全を無視した言葉、言ったのかしら?
これまでの周回じゃあ、こんなに緩んだ考え方しなかったよねえ、なんて思ってると、シェラとハンナ、それからガブリエラがやって来た。 「ご主人様の許可をいただきましたので、ハンナとガブリエラ様に同行していただくことにいたします。お嬢さまも、その方がよろしいですよね?」 と、シェラが笑顔で言った。 ハンナが大げさな仕草とともに、笑顔で言った。 「お嬢さま。お嬢さまの街歩きにお供できまして、わたくし、光栄でございます! 地獄まででもついて行く所存でございますわ!」 「……んで、本音は?」 「いやあ、お屋敷のお仕事は、単調で面白くなくて」 と、苦笑いで頭を掻く。 「やっぱり、本音が別にあったか。……それはおいといて、ガブリエラ、よろしくね」 笑顔であたしが言うと、ガブリエラが敬礼した。 そしてシェラが続ける。 「それから、アメリア様にも陰ながら同道させるように、と、ご主人様が……」 「あー、あー、いいっていいって、あいつに『様』とか、つけなくて」 あたしは手をヒラヒラさせて言う。 「そ、そうですか?」 と、シェラは困ったような表情になったけど、構わないって。 なので、もろもろ準備とかして、十分後に出発することになった。
ゴットフリートが執務室で書類整理をしていると、ドアがノックされた。 『ご主人様、お客様でございます』 ヘルミーナの声だ。 「うむ。誰かね?」 『キースリング侯爵の、お使者の方でございます。侯の紹介状を持参なさっておいでです』 「キースリング侯の? さて、何用だろう?」 キースリング侯ヨナタンとは、それほど深い付き合いではない。もっとも先日、キースリング侯の紹介状を持ってきた「パトリツィア」と名乗るメイドは、「王家(ラグナロク)」の回し者だったが。 さては、なんらかの直接的手段に出るつもりか? となると、白を切るのが良いのか、あるいは「パトリツィア」の件で責を問うべきか。 紹介状の件については、「偽造だ」と主張されるかも知れないし、本当に偽造かも知れない。そう、今回も。 ならばここは、何も知らぬ振りをして白を切るのが良いだろう。 そう考え、ゴットフリートは入室の許可を出した。 ドアが開き、ヘルミーナと、二人の騎士に連れられて入ってきたのは、若い男。着ている服は、見るからに旅の行商人。 「紹介状につきましては、私が確認致しましたが……」 そういうヘルミーナも、やはり疑っているのだろう、若い男をあまりよい目で見ていないのがわかる。何せ、自分の部下の中に、仕える主人の娘の命を、危険にさらした者がいたのだから。 訝しげな顔になっていると、行商人が言った。 「このような出で立ちで失礼致します。私はヨハン・ブレッカーと申す者、キースリング侯のお屋敷でお世話になっている、小間使いでございます」 「ほう? ただの小間使いを寄越すほど、キースリング侯は、うつけではあるまい? 君の本当の身分は何だね?」 指摘すると、一礼してヨハンは言った。 「ご慧眼(けいがん)、恐れ入ります。閣下の仰せの通り、私は小間使いではございません。それは表向きの役目。私は侯に仕える密偵の一人でございます」 いきなり身分を明かしてきた。ゴットフリートも密偵を雇っているが、「すすんで身分を明かせ」という指示をしたことはない。特に親しい間柄ではない者に対しては、なおのこと。 果たして信じてよいものか? こういう時、イルザがいるなら適切な助言がもらえるものを。 だが、今から呼びにやるという時間もない。ならば、ここは信じることにしよう。 ゴットフリートは、咳払いを一回した後、ヘルミーナに言った。 「ヘルミーナ、紅茶を持ってきてくれ」 「かしこまりました」 一礼して、ヘルミーナは退室する。
咳払い一回の後、紅茶をオーダーする。
これは「トラウトマン他、数名の騎士を呼び、待機させよ」との符牒(ふちょう)だ。 ヘルミーナが出て行った後、ヨハンが懐から油紙(あぶらがみ)に包んだ長方形の薄いものを出した。 「キースリング侯からの親書でございます。お目(め)通(どお)しを」 そう言って、ヨハンはそれを騎士の一人に手渡す。 騎士がゴットフリートのところまで“それ”を持ってくる。 油紙を開くと、封筒があり、封蝋(ふうろう)の指輪印章(シグネットリング)は確かにキースリング侯のものだった。
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