あ、そうだ、「ユミルの右腕」っていえば。 「ねえ、ハインリヒ。『スルトの剣』の解読は、どうなったの?」 「スルトの剣」を発動させるためには、いくつかの魔術的手順が必要ってことだったんだ。でも、テキスト通りの呪文を唱えて、儀式を行っても何も起きなかった。あたしの右腕とか目の奥が、軽いとはいえ痛みや痺れを覚えるぐらいだから、偽物とかってことはない。 だから。 ちょっと困ったような表情でハインリヒは答える。 「最初見た時は、ごく簡単な呪文と儀式だと思ったのだが。どうやら、魔法円はそのまま使っても問題ないが、呪文の方に暗号が混ざっているらしい。昨夜、何気なく呪文を口にしていたら、妙な間隔で韻を踏んでいることに気がついた」 イルザが聞いた。 「妙な間隔? なんですか、それは?」 「一語おき、二語おき、三語おき。こういった感じのサイクルで、韻を踏んだ単語を含んだセンテンスが、一部分で続いている。多分、この部分に何らかの暗号が含まれてる。その暗号を解読して、正しいテキストに戻さないと、意味はないんだろうな。だから、その暗号の解読に取り組むことにした。解読ができ次第、『スルトの剣』を、ミカに装備してもらう」 あたしは、右腕を見てから頷いた。 それを確認して、ゴットフリートさんが言った。 「さて、当面の対策だが。正直なところ、打てる手がなきに等しい。ウンディーネどもがどこに潜伏したか、不明だし、あのクーフリンという男の所在も分からない。唯一、殺し屋どもに助力したリタ・フォン・プリルヴィッツだけはその所在は調べられるが、なんといっても奴は近衛騎士だ。我々は手が出せない。誰か、妙案はあるか?」 一応、考えてみたけど、まったく見当がつかない。あたしがいた世界だったら、防犯カメラのチェックとかでなんとかなりそうだけど。 みんなも、何も思いつかないみたい。 ふと、あたしは聞いてみた。 「シェラの魔術とかで、なんとか調べられないかな、ウンディーネの居場所とか?」 ハインリヒが首を横に振りながら、答えた。 「生年月日が分かれば、あるいは……」 ああ、無理だな、それは。
結局、また連中の襲撃待ち、てことになった。それにともなって、トラウトマンさん指揮の下(もと)、これまでとはちょっと違ったシフトやフォーメーションを組むこと、アメリアには引き続き、あたしの護衛をやらせること(ちょっと不安だけどね)、そして、ヴィンフリート(真)は、“これまで通り”、あたしのことを「姉」として敬うこと、なんてことが決められた。 「努力はしますよ、努力は。なので、あなたも努力して下さい、僕に尊敬されないまでも軽蔑されない程度には!」 と、ヴィンフリート(真)があたしを冷たい目で見て言う。 うがっ!! やっぱ、コイツ殴るわ、「ユミルの右腕」で! みんなに羽交い締めにされて止められたけれども!!
キースリング領にある、貧民街の通りを、紙に包んだパンや同じく紙に包んだ干し肉などを抱え、サラマンダーは一軒のあばら屋に入る。 「晩飯、買ってきた。どうだ、脚の調子は?」 中にいるのは、ウンディーネ独りだけだ。壁に背を預けて座っているウンディーネは、首を横に振る。 「まだ、無理ね。この家の中なら伝え歩きでどうにかなるけど、外を歩くのはちょっと……」 ため息とともに言った言葉に、サラマンダーは言った。 「まあ、無理ないさ。俺を抱えて、あのスピードでここまで来たんだからな」 あの距離を、まるで馬のように走ったのは、改めてすごいと思う。 「ねえ、サラマンダー。思うんだけど、あのアストリット、替え玉じゃないかしら?」 「替え玉?」 「ええ。あの身体能力と腕前、貴族の令嬢がたしなむ武術程度のものじゃないわ」 壊れかけのテーブルの上に、買ってきたものを置き、サラマンダーも考える。 「確かにな。令嬢というよりは、戦士って感じだ。……じゃあ何か、全くのムダ働きだったのか?」 もしそうなら、バカバカしくなる。 「だとしても、あの替え玉は邪魔だわ」 「おいおい、お前さんの気持ちも分かるが、ここは冷静になって、本物の居所を探った方が、いいんじゃないのか?」 「そうね……」 と、ウンディーネは右手親指の爪先を、カツカツと音をさせて歯に当てる。 代わりにサラマンダーが言った。 「順当に考えたら、シーレンベック領、その市壁内にあるゴットフリートの両親、通称・大シーレンベックが住んでる邸宅だろうが」 「そうね……」 「あるいは、市壁外にある邸宅、例えばバルヒェット騎爵の邸宅か」 「そうね……」 まったく気のない返事だ。どうやらウンディーネの頭の中にあるのは、あの「アストリット」への報復だけらしい。 気持ちは分からないでもない。おそらく“仕事”に失敗したことなど、この数年、ないのだろう。それが、あの水路通りではいいようにあしらわれ、ノルデンでは最大の武器である脚を封じられ、殺られる寸前まで行った。もし自分が同じ立場なら、やはりまずは、あの「アストリット」の抹殺を考えるに違いない。 少し置いて、サラマンダーは言った。 「わかったよ。まずは、あの替え玉の抹殺だ。だが、向こうには頭のいい奴がついてるんだろう? じゃあ、こっちも何か、うまい手を考えないとな。その前に、晩飯にしようぜ」 そして、紙包みをウンディーネに挿しだし、自分は棚に置いてある安ワインとグラスを取りに行った。
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