しばらく暖かい空気が、場をしめる。そして。 ハインリヒが咳払いをして言った。 「先ほどシーレンベック卿が仰ったこと、『イグドラシルの秘法』でユミルの力を引き出せるということなんだが、これは魔術文字で書かれた暗号だった。四ヶ月ほど前に、わかったことなんだ。だが、実は、まだ解読出来ていないところもある。そこに何が書かれてあるか、ユミルの力の引き出し方か、あるいはその危険性か。それがはっきりとわかるまでは、みだりにユミルの力は使わないで欲しい」 「ああ、それなら大丈夫。あたしにユミルの力とかなんとかいうの、まったく自覚がないから。だから、普通に暮らしている分には問題ないと思う」 ハインリヒが不安そうな表情になる。 「自覚がないからこそ、問題なんだが。わかってるのか?」 ああ、なるほど、そう言われればそうよね。自覚がないから、無意識に力を使っちゃうってことか。 「うん、ドンマイドンマイ!」 あたしが根拠のない自信で笑顔を浮かべると。 ハインリヒやイルザがまた眉をひそめる。イルザが聞いてきた。 「ドンマイ? それはどういう意味ですか?」 「えーっと、確か『ドント マインド』だったかな?」 …………。 ああ、空気が微妙なものになっちゃった。 「えーっと、あたしがいた世界で、『気にすんな』って意味だわ!」 しばらく間が空いた時。 ドアがノックされて、 『フェリクスと、シェエラザードでございます。よろしいでしょうか?』 なんて、男の人の声がした。 「おお、来たか。シーレンベック卿、二人の入室の許可を願いたいのですが」 ゴットフリートさんが「うむ、許そう」って言うと。 「フェリクス、シェエラザード、両名の入室許可が下りた。入れ」 このハインリヒの言葉で、二人が入ってきた。フェリクスさんは一礼してハインリヒのところまで来ると、鞄から紙の束を出した。 「坊ちゃま、決算書類、及び予算書類をお持ちいたしました」 「わざわざ、フォルバッハ領まで決算書類を取りに戻ってもらって、ご苦労だった」 そう言って頷き、ハインリヒがゴットフリートさんに向いて言う。 「私は、今回行われた砲兵隊の合同演習で、西部方面軍の総指揮を任されることになりました。その権限で、今季の軍事費、その予算書をいただいてきました。それとフェリクスが独自に調べてきた、過去の軍事費の決算、並びに予備費からの流用、そして諸侯ごとによって異なる軍事費の負担など、もろもろの書類です。これをご覧いただければ、国全体で捉えた時、この一、二年で軍事費が急激に増大していることがおわかりいただけるものと」 書類を受け取ったゴットフリートさんは、何枚かの書類を見比べながら、眉間にしわを寄せて唸った。 「確かに、我が領でも軍事費の負担が増えているが、気にするほどのものではなかったし、実質的に軍備を拡張したわけではない。だが、国庫へ納める税については、その使い道について不透明なところもあった。まさか、軍事費に回っていたとは。これは自衛の域を超えている。どこかと戦争をするとしか、思えぬ増え方だ」 フェリクスさんが「失礼いたします」と、ゴットフリートさんの近くへ行き、何か、指さしながら数字の説明をしてる。正直、あたしには、わけわかんない。今は、ゴットフリートさんのターンだなあ、と思っていたら。 「ミカ。シェエラザードを紹介しよう」 そっちを見ると、シェエラザードがハインリヒの傍に立ってた。 「ミカ、彼女は、私のところのメイドだ」 「え? そうなの? 確か、この近くの出身って聞いた様な記憶があるけど?」 「あれは、敵を欺(あざむ)くためのウソだ。……実際、ラグナロクの手のものが紛れ込んでいるのでね」 「それって、スパイがいるってこと?」 厳しい目つきで、ハインリヒが頷く。 それって、ハンナ……じゃないわよね? あの人はお金で動く人だけど、今はこちら側のはずだし。
※念のため。本作と、国防論議は切り離してお読みいただくよう、お願いいたします。
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