ノルデンはシーレンベック領の東南に位置する、人口八千人の街である。商工業、いずれも発展した街……というと聞こえはいいが、どちらもそれなりで、これといって特色があるという訳ではない。また、徒歩でも、半日もあればシーレンベック領へ行けるということもあって、宿場町というほどでもない。 もともとは三百年以上前にあった、近隣諸国との戦争の時に設けられた、要塞都市が始まりだということもあり、自給自足できるような仕組みがあったが、今はそれもやや衰退の方向にある。その代わり、兵士たちのために作られた賭場や歓楽施設が発展を遂げ、シーレンベック領内にある歓楽街へ顔を出せないものが、ノルデンに来るということは公然の秘密であった。
ウンディーネは、ノルデンでは顔が知れている。「荒鷲(あらわし)亭(てい)」の踊り子として入ったのが、きっかけではあったが、それを縁として様々なノルデン内の様々なところだけでなく、国内のいろいろなところへも行った。 その中で「アストリット抹殺」の依頼を受けた。 アストリットのことを調べ、一度はシーレンベック邸の敷地内への侵入を試みたものの、警戒が異常なほど厳重だった。どうやら、しばらく前にアストリットの暗殺を試みて失敗した者がおり、そのために外から来る者に対して、警戒が厳しくなっているということだった。 もしかすると、自分以外に依頼を受けた者がいて、その者が失敗したために、自分に依頼が回ってきたということか? そこで手を変えることにした。 街で情報収集を行い、アストリットがフォン・フォルバッハの男子と婚約していることを知った。そしてこの国の習わしに「婚約破棄された令嬢は、婚約者を奪った相手に復讐する」というものがあることも。 どうにか、これが利用できないか? そう考えたウンディーネは、一つのプランを練り上げた。自分を殺し屋として育ててくれた師匠から教わった、相手を催眠で誘導する術、そして持ち前の容姿を利用し、フォン・フォルバッハの男子を籠絡(ろうらく)する。そしてアストリットが習わしに従って復讐にやってきたところを、逆に殺す。 仕入れた情報では、その「復讐」とやらは、「相手に泥水を浴びせる」「相手の髪を剃って丸坊主にする」「裸にして、衆目にさらす」といった、直接的に殺人行為に及ぶものではないらしいが。 過去には、実際に剣を斬り結んだということもザラにあったそうだ。英明王とやらの制度改革でそういうことは禁止になったというが、知ったことではない。どうせ仕事を終えたら姿を消す身なのだから。
そう思っていた。 甘かった。 貴族の娘という偽装プロフィールはバレるわ、いかなる魔法か、依頼主から「ユミルの脚」の力というものをもらい、圧倒的に有利に抹殺を行えるようになったはずなのに、アストリットは思った以上の手(て)練(だ)れだわ、謎の騎士は出てくるわ、あげくに林に追い込まれて脚力を封じられ、逃走することになるわ。 おまけに、あちこちの町や村には、手配書が回っており、しかもシーレンベック領から出張(でば)ってきたと思しき騎士たちがいる。この騎士たちを殺してもいいが、もし連絡を取り合っているとすると、連絡のなくなった町なり村に自分が潜伏していることを知らせるようなものだ。とにかく、今は体勢を整え、確実にアストリットを抹殺する方法を考えたい。 そしてあちこちを巡るうち、どうやらノルデンはノーマークらしいことが分かった。 ノルデンには戻ってこないだろう、と踏んでいるのか、あるいはそう思わせて逆にノルデンに追い込む策か。 だが、自分にはノルデンに身を潜めるしか、選択肢はなくなっている。それに、ノルデンは広く土地勘もある。いくらでも隠れる場所はあるのだ。
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