そして、あたしはふと気がついた。 「ねえ、ヴィンフリートのことを観察してその考え方とかを推測するって、言ったよね?」 「ええ。それがどうかしましたか?」 「ていうことは……」 ちょっと言い辛いなあ。でも、イルザが首を軽く傾げて、まるであたしの言葉を待っているかのように、こっちを見てる。 なので、一応、言っておくことにした。 「ヴィンフリートがシスコンって、知ってるんだよね……?」 「え? シスコン? なんですか、それは?」 ああ、そうか、この世界には「シスコン」って言葉はないんだ。シスターコンプレックス、って言ってもわからないよね……。 「んーと、お姉ちゃんのことが好きで好きでたまらない、っていう度合いが常軌を逸しちゃってるやつ」 ちょっとして、イルザが微妙な笑みを顔に貼り付け、あたしから視線を逸らして言った。 「え、ええ……。ま、まあ……」 はははは、イルザぐらいの頭の良さだったら、わかるわな。 「確かに、ヴィンフリート様の、アストリット様への思慕は、姉弟(きょうだい)愛を越えていると思いますが、でも」 と、イルザが穏やかな笑顔を浮かべて言う。 「ヴィンフリート様は、本当に一命を賭してでも、アストリット様をお助けしようとなさっていることがわかるんです。だからこそ、『スルトの剣探索』という、危険な一人旅に出立(しゅったつ)なされたんです。私はその決意に対して、純粋に尊敬申し上げているんです」 その笑顔を見て、あたしはなんとなく聞いてみた。 「もしかして、イルザってば、ヴィンフリートのことが好きなの?」 「は?」 そんな声を小さく上げて、イルザは一瞬だけ固まった。次の瞬間には、てっきり耳まで真っ赤にしてうろたえるイルザが見られると思ったけど。 「それはないと思います」 イルザは笑顔で、あっさり否定した。 「私とヴィンフリート様とでは、顔は似ていますが、身分が違いすぎます。それに、私はあくまでヴィンフリート様の“影”です、万が一の時には、この命を捧げることも厭(いと)いません。それが、領主様へのご恩返しになると思っているんです」 「なんていうか……。イルザって、義理堅いっていうより、忠誠心に篤いって言った方がいいわね。まるで騎士(ナイト)みたい」 「騎士、ですか……」 また、柔らかい笑みを浮かべてイルザは頷く。 「そうですね。私は、身分はこのような者でも、気持ちはそのように生きていたいと思います。でも、もうじきヴィンフリート様は声変わりなさいます。そうなったら……。私はお役御免となり、別の方、今度は男性の方が影武者役をお務めになります」 「えッ!? もしかして、殺(け)されちゃうの、イルザ!?」 あたしの言葉を聞いて、イルザがコロコロと笑った。 「それ、何ですか、ミカさん!? どこの暗黒街ですか!?」 本当におかしいらしく、イルザは笑う。彼女の、こんな笑顔は初めて見るし、こういう明るい、どこか肩の力の抜けたような笑い声も初めて聞いた。 なんか、新鮮だな。 ひとしきり笑ってから、イルザは言った。 「お家(いえ)の秘密を知っている私を、市井(しせい)に住まわせる訳にはいきませんから、私はメイドとしてこちらにご奉公することになっています。そうなってからも私は自分の技能で、こちらに尽くす所存です」 「そうなんだ。すごいね」 あたしの言葉に、イルザが、はにかむ。 微笑ましい気持ちでイルザを見て、なんとなく辺りを見回した時。 「あれ? ここってキッチンよね? なんでベッドがあるの?」 入り口のドアを開けると、そこがキッチンで、今いる場所。でも、ベッドが置いてある。んで、あと二つドアがあるから、その先にも部屋があるはず。 「あ、あー、あー、あー、ええっとー!」 イルザが紅くなって、うろたえたけど。 なんか、「ふう」って感じで大きく息を吐くと、観念したようにイルザが立ち上がる。そして、のろのろと一つのドアの方に行き、開けた。なんだろう、って思ってそっちに行くと。 「うわ! なんだ、これ!?」 三方向の壁際に天井まであるような背の高い本棚がそれぞれ一つずつ、そこにいろんな本がギッシリ! それだけじゃなく、本棚の横にも板を組んだだけの本棚っぽい背の低い棚があって、そこにも本があって、さらに床にも、あたしの腰の位置ぐらいまで、本が積まれてる! で、その中に埋(うず)もれるようにして机がある。 イルザが小さい声で言った。 「領主様やご家族の皆様をお護りするためには、たくさんの知識が必要です。私は貧民街で育ちましたので、学がありません。立場的にも、教会の学校へ行って勉強したり、こちらに見えられる教師の方々に、勉強を教わる訳にはいきません。なので、自然と本が増えて……」 「な、なるほど、ねえ……」 それにしても、この本の量はスゴいわ。ちょっとタイトル見ると基本的な「ラテン語辞書」とか「西ゲルマン語辞書」とか、それから「植物学」とか「昆虫学」とか。おまけに同じジャンルだけで、何冊もあるみたい。 「ねえ、同じ内容の本が何冊もあるみたいだけど?」 イルザが笑顔で応える。 「一冊だけでは不十分なんです。時々、ウソが書かれていたり、抜け落ちがあったりするので。だから何冊か揃えて、内容を補完してるんです」
……………………。
ぐわぁぁぁぁ! ダメだあぁぁ! あたしには絶対、出来ないわァァァァ、そんな真似ェェェェ!
「どうしたんですか、ミカさん? 白目になって、顔が引きつってますよ!?」 「……あ、ああ、ごめんね、イルザ、ちょっと自分の頭の使い方がヘボヘボな現実に打ちのめされちゃって」 「? は、はあ……?」 わかったようなわからないような、そんな困惑した表情のイルザに、あたしは続けて聞いた。 「ねえ、あっちのドアは?」 「そちらはお手洗いとか、お風呂とかです。それから」 と、イルザは北の方角を見る。 「調香や、剣の鍛錬は、この外に別に小屋を作ってもらってるんです。お香は、匂いが籠もりますので」 そのあとも、いろいろと話をしている内に、あたしはヴィンフリートがノルデンへ向かうことを話した。 「そうですか、ヴィンフリート様がウンディーネの討伐に……」 そして顎に右手をやって真剣な表情になると。 「ミカさん、申し訳ございません、そろそろ私、用務に取りかかりませんと」 「うん、わかった。あなたとお喋りできて、楽しかったわ」 「私もです。お菓子の差し入れ、有り難うございました」 そしてあたしは、イルザの家をあとにした。 道を歩く途中で、ちょっと振り返って、あたしは呟いた。
「あたしを助けてくれてる例の騎士になって、ヴィンフリートを護るのよね、イルザ。頑張って!」
あたしの口元には、笑みが浮かんでた。
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