料理長のエックハルトさんに砂糖をまぶした揚げパン……ベニエとか、今朝のデザートに出たカイザーシュマーレンの残り(ゴメンね、みんなのおやつをとっちゃって!)とかをもらって、話に聞いてた林に向かった。 「確かに、わかりやすいわね。あっち方面にある林は、あの、ひとかたまりだけだし」 あたしは、まるで、平原の中のけもの道も同然の道を歩いて林に向かった。向かいながらなんとなく、
もともと森だったのを切り拓いて、あの部分だけを残したんじゃないかな
なんて思った。
林の中も一本道を歩くことで、一軒の小屋にたどり着くことが出来た。街で見かける普通の民家程度の規模だけど、石造りじゃなくて木を組んで作った平屋の小屋だ。 あたしはドアをノックする。 「ねえ、イルザ、居るかな? 未佳だけど?」 しばらくして。 「ようこそいらっしゃいました、ミカさん」 ドアを開けたイルザは、素敵な笑顔だった。それは「ヴィンフリートの影武者」としてのものじゃなく、普通の女の子のものだった。
バスケットからお菓子を出して、木で作った簡素な丸テーブルの上に置くと、イルザがハーブティーを入れてくれた。 「レモングラスですが、お気に召しますかどうか」 「あたし、レモングラス、好きだよ」 カップから湯気とともに、軽くスパイスの利いたレモンの香りが立ち上ってくる。 そしてしばらく雑談……のつもりだったけど。 あたし、直球で聞いちゃった。 「ねえ、イルザ。ここに一人で過ごしてて寂しくない?」 イルザは柔らかい笑みを浮かべ、首を横に振る。 「いいえ。ここに住まわせていただいて、衣食住を保証して下さることは、貧民街出身である私にとっては、感謝の念に堪えません。それに時折、メイド服を着て給仕させていただき、ヴィンフリート様の一挙手一投足、口ぶり、クセ、そしてお言葉から推測するお考え。それらを私のこの身に、そして心に刻み込ませていただいているので、寂しいとも思いません」 「そうなんだ」 なんていうか、不思議な感じ。何が不思議かっていうと、イルザからは皮肉めいたものが感じられなくて、むしろ透き通った何かが漂ってくるんだ。 で、そのあとも会話してて、あたし、なんとなく気がついた。
イルザは「貧民街」出身だっていう。その貧民街っていうのは、このシーレンベック領の領内にもあるけど、庇護下にある街や町、村にもあって、特に村の場合、村まるごとが貧民街扱いされているところもあるそうだ。 シーレンベック領の北部にフルステンベルクっていう街があって、イルザはそこにある貧民街に住んでいたっていう。で、フルステンベルクに視察に来ていたゴットフリートさんが、イルザがヴィンフリートにそっくりっていうのに気がついて、連れ帰ったのだそうだ。 その「連れ帰った」っていうのは、ぶっちゃけ「本当の親から買った」っていうことだそうだけど、イルザはそのことに抵抗はなかったっていう。 「私の本当の父は、人間のクズでした。私や母が稼いできたお金を、お酒や、貴族の子息がやっている非公認の賭博(とばく)につぎ込んでしまって……」 「え? 貴族の息子が非公認の賭博、やってるの?」 話の途中だったけど、ちょっと驚いたんで、あたしは口を挟んだ。 「はい。貧民街の近くまで来て、非公認の賭場を開帳(かいちょう)しているんです。そういう場所の方が一般の人は近づきにくいので。……仮面をつけていましたけど、服装とか、警護の人なんかを見れば、すぐにわかります、貴族の人だって。爵位とか、どこのお家かまではわかりませんけどね」 なんか、ショックだな。まあ、そういう人もいるってことか。 「でも、イルザも、貴族を見たってことは、その賭場っていうところに行ってたんだ。ひょっとして、一緒にギャンブルしてたの?」 と、あたしは、ちょっとイジワルそうな笑みを向けてやると、 「そんなことはしませんよ」とイルザも苦笑いして言った。 「夜にも借金取りが来たりしてましたから、父を……あの人を探して。酒場にいなければ、賭場にいることがほとんどだったんです、あの人は」 父親のことを「あの人」って言っちゃうってことは、イルザ、実の父親のことを好きじゃなかったんだな。 「……どうかなさいましたか、ぼぅとなさって?」 怪訝な表情でイルザがあたしの顔を見る。 あたしは取り繕うように言った。 「ああ、なんでもないのよ、なんでも! ただ、あたしはお父さんとは、仲がいい方だから」 「そうですか。それはよかったです」 イルザは優しい笑みでそう言うと、話を続けた。 「そんな生活に嫌気がさした母は、私を連れて父の元を逃げようとしました。ですが、父に見つかってしまい、母はひどく乱暴され……。そして数日後、目覚めると母は姿を消していました。私は父と二人暮らしになって、暗い気持ちで日々を送っていました。そんな時だったんです、領主様がお見えになったのは」 あたしには想像も出来ない生活だ。でも、あたしが知らないだけで、多分、現代の日本でもそういう問題は横たわっていると思う。イルザからは、そんな悲壮感は感じないし、多分、感じさせないようにしているんだろうけど、そういったことを想像する感受性が大事なんだと思う。
そういう感受性がもっとちゃんとしてれば、あたしは夢津美(むつみ)のことを、周りの空気に負けて無視したり、なんてことは……。
「ミカさん?」 と、イルザがまた怪訝そうにあたしを見る。あたしは「なんでもない」とごまかして、話を続けてもらった。 「領主様から、かなりの額のお金を渡されながら、あの人は『もっとよこせ』だの『自分も連れて行け』だのと、ごねていました。すると、領主様は椅子から立ち上がって剣を抜き、その切っ先を父の喉元に突きつけて、こう仰ったんです」
「そんなに金(かね)が欲しくば、この剣のひと薙ぎをくれてやろう。いや、貴様が望むだけ、この鉄(かね)をその身に刻み込んでやるが?」
「当時、私は八歳か九歳ぐらいでしたが、領主様が救世主に思えたんです。少し後になって知ったんですが、領主様は私を初めて見かけてから、しばらくの間、私や私の家庭環境をお調べになっていたそうです。その上で、私をお引き取りになったとか。それだけに、領主様は私を救い出すために、あのような啖呵(たんか)を父に切ったのではないかと思ったんです。もちろん、これは私が勝手に思っているだけなんですけどね」 と、イルザは照れたように、はにかむ。その笑顔を見て、あたしは思ったんだ。 イルザからは、妙に擦れたところや皮肉めいたところが感じられなくて、透き通った何かが感じられる理由。 それって、イルザにとって、ここが大切な居場所でゴットフリートさんは恩人、だからその居場所を絶対に護るんだっていう使命感が、自然と生きることそのものになってるからなんだ。
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