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作品名:婚約破棄された令嬢は婚約者を奪った相手に復讐するのが習わしのようです 第二部〔再掲〕 作者:ジン 竜珠

第54回   イルザの想い
 料理長のエックハルトさんに砂糖をまぶした揚げパン……ベニエとか、今朝のデザートに出たカイザーシュマーレンの残り(ゴメンね、みんなのおやつをとっちゃって!)とかをもらって、話に聞いてた林に向かった。
「確かに、わかりやすいわね。あっち方面にある林は、あの、ひとかたまりだけだし」
 あたしは、まるで、平原の中のけもの道も同然の道を歩いて林に向かった。向かいながらなんとなく、

 もともと森だったのを切り拓いて、あの部分だけを残したんじゃないかな

 なんて思った。

 林の中も一本道を歩くことで、一軒の小屋にたどり着くことが出来た。街で見かける普通の民家程度の規模だけど、石造りじゃなくて木を組んで作った平屋の小屋だ。
 あたしはドアをノックする。
「ねえ、イルザ、居るかな? 未佳だけど?」
 しばらくして。
「ようこそいらっしゃいました、ミカさん」
 ドアを開けたイルザは、素敵な笑顔だった。それは「ヴィンフリートの影武者」としてのものじゃなく、普通の女の子のものだった。

 バスケットからお菓子を出して、木で作った簡素な丸テーブルの上に置くと、イルザがハーブティーを入れてくれた。
「レモングラスですが、お気に召しますかどうか」
「あたし、レモングラス、好きだよ」
 カップから湯気とともに、軽くスパイスの利いたレモンの香りが立ち上ってくる。
 そしてしばらく雑談……のつもりだったけど。
 あたし、直球で聞いちゃった。
「ねえ、イルザ。ここに一人で過ごしてて寂しくない?」
 イルザは柔らかい笑みを浮かべ、首を横に振る。
「いいえ。ここに住まわせていただいて、衣食住を保証して下さることは、貧民街出身である私にとっては、感謝の念に堪えません。それに時折、メイド服を着て給仕させていただき、ヴィンフリート様の一挙手一投足、口ぶり、クセ、そしてお言葉から推測するお考え。それらを私のこの身に、そして心に刻み込ませていただいているので、寂しいとも思いません」
「そうなんだ」
 なんていうか、不思議な感じ。何が不思議かっていうと、イルザからは皮肉めいたものが感じられなくて、むしろ透き通った何かが漂ってくるんだ。
 で、そのあとも会話してて、あたし、なんとなく気がついた。

 イルザは「貧民街」出身だっていう。その貧民街っていうのは、このシーレンベック領の領内にもあるけど、庇護下にある街や町、村にもあって、特に村の場合、村まるごとが貧民街扱いされているところもあるそうだ。
 シーレンベック領の北部にフルステンベルクっていう街があって、イルザはそこにある貧民街に住んでいたっていう。で、フルステンベルクに視察に来ていたゴットフリートさんが、イルザがヴィンフリートにそっくりっていうのに気がついて、連れ帰ったのだそうだ。
 その「連れ帰った」っていうのは、ぶっちゃけ「本当の親から買った」っていうことだそうだけど、イルザはそのことに抵抗はなかったっていう。
「私の本当の父は、人間のクズでした。私や母が稼いできたお金を、お酒や、貴族の子息がやっている非公認の賭博(とばく)につぎ込んでしまって……」
「え? 貴族の息子が非公認の賭博、やってるの?」
 話の途中だったけど、ちょっと驚いたんで、あたしは口を挟んだ。
「はい。貧民街の近くまで来て、非公認の賭場を開帳(かいちょう)しているんです。そういう場所の方が一般の人は近づきにくいので。……仮面をつけていましたけど、服装とか、警護の人なんかを見れば、すぐにわかります、貴族の人だって。爵位とか、どこのお家かまではわかりませんけどね」
 なんか、ショックだな。まあ、そういう人もいるってことか。
「でも、イルザも、貴族を見たってことは、その賭場っていうところに行ってたんだ。ひょっとして、一緒にギャンブルしてたの?」
 と、あたしは、ちょっとイジワルそうな笑みを向けてやると、
「そんなことはしませんよ」とイルザも苦笑いして言った。
「夜にも借金取りが来たりしてましたから、父を……あの人を探して。酒場にいなければ、賭場にいることがほとんどだったんです、あの人は」
 父親のことを「あの人」って言っちゃうってことは、イルザ、実の父親のことを好きじゃなかったんだな。
「……どうかなさいましたか、ぼぅとなさって?」
 怪訝な表情でイルザがあたしの顔を見る。
 あたしは取り繕うように言った。
「ああ、なんでもないのよ、なんでも! ただ、あたしはお父さんとは、仲がいい方だから」
「そうですか。それはよかったです」
 イルザは優しい笑みでそう言うと、話を続けた。
「そんな生活に嫌気がさした母は、私を連れて父の元を逃げようとしました。ですが、父に見つかってしまい、母はひどく乱暴され……。そして数日後、目覚めると母は姿を消していました。私は父と二人暮らしになって、暗い気持ちで日々を送っていました。そんな時だったんです、領主様がお見えになったのは」
 あたしには想像も出来ない生活だ。でも、あたしが知らないだけで、多分、現代の日本でもそういう問題は横たわっていると思う。イルザからは、そんな悲壮感は感じないし、多分、感じさせないようにしているんだろうけど、そういったことを想像する感受性が大事なんだと思う。

 そういう感受性がもっとちゃんとしてれば、あたしは夢津美(むつみ)のことを、周りの空気に負けて無視したり、なんてことは……。

「ミカさん?」
 と、イルザがまた怪訝そうにあたしを見る。あたしは「なんでもない」とごまかして、話を続けてもらった。
「領主様から、かなりの額のお金を渡されながら、あの人は『もっとよこせ』だの『自分も連れて行け』だのと、ごねていました。すると、領主様は椅子から立ち上がって剣を抜き、その切っ先を父の喉元に突きつけて、こう仰ったんです」

「そんなに金(かね)が欲しくば、この剣のひと薙ぎをくれてやろう。いや、貴様が望むだけ、この鉄(かね)をその身に刻み込んでやるが?」

「当時、私は八歳か九歳ぐらいでしたが、領主様が救世主に思えたんです。少し後になって知ったんですが、領主様は私を初めて見かけてから、しばらくの間、私や私の家庭環境をお調べになっていたそうです。その上で、私をお引き取りになったとか。それだけに、領主様は私を救い出すために、あのような啖呵(たんか)を父に切ったのではないかと思ったんです。もちろん、これは私が勝手に思っているだけなんですけどね」
 と、イルザは照れたように、はにかむ。その笑顔を見て、あたしは思ったんだ。
 イルザからは、妙に擦れたところや皮肉めいたところが感じられなくて、透き通った何かが感じられる理由。
 それって、イルザにとって、ここが大切な居場所でゴットフリートさんは恩人、だからその居場所を絶対に護るんだっていう使命感が、自然と生きることそのものになってるからなんだ。


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