「では、サー・ハインリヒ、『イグドラシルの秘法』が発動していると?」 シーレンベック邸の会議室に、ゴットフリートさん、ハインリヒ、ヴィンフリート、そして、あたしがいる。あたしは、会議室の天井近くにいて、みんなを見下ろしている感じだ。今の言葉は、ゴットフリートさんのものだ。 「ええ」 ハインリヒが頷く。 「うーん」と唸って腕を組み、ゴットフリートさんが言った。 「だが、私にはその記憶はない。確かにアストリットには『イグドラシルの秘法』を施した。だから、その記憶を引き継げるはずなのだが?」 「ですが、私は前の記憶を引き継いでいます。念のため、この先に起きることを、メモしておきました。あとでご確認下さい。一致しているはずです」 と、ハインリヒは封筒をゴットフリートさんに手渡す。 「ああ、わかった。しかし、卿の高祖母が残した秘術の中に、『イグドラシルの秘法』の影響を受けないものがあったとはな」 頷いて、ハインリヒは言った。 「もしかすると、『ラグナロク』が動いているのかも知れません」 と、ハインリヒは「ラグナロク」について説明する。 「本当に『ラグナロク』が動いているのか、だとしたら、その正体が何者なのか、それはわかりません。ですが、表向き、特に殺される理由のないアストリットが、何度も暗殺者に殺害されたことから見て、まず、間違いないでしょう」 あたしが口を両手で覆い、小刻みに震える。 「そ、そんな、わ、私、暗殺者に殺されたのですか……?」 「ああ。その理由は、おそらく君が持っている創世の巨人『ユミル』のパーツにある。初めて君を見た時に、感じたんだ。君の中に『ユミル』の何かがある、と」 あたしが、手を下ろし、沈んだ表情で言った。 「では、ハインリヒ様が私を選んで下さったのは、『それ』が目的だったのですね……」 そうか、ハインリヒがアストリットを婚約者に選んだのは、ユミル絡みだったからか……。 「それは違う!!」 ハインリヒが強い意志の籠もった声で言った。肩をちょっとだけビクッとさせてあたしがハインリヒを見る。 「アストリット、そんなものに関係なく、私は君を愛している! この気持ちは本物だ!」 うわあ、よくやるわ、ゴットフリートさんとか、ヴィンフリートがいるのに。もしかして、当たり前なのかしら、この世界では? あたしが目を潤ませる。 「ハインリヒ様……」 うん! あれ、あたしじゃないわ。あたしの意識が宿る前の、オリジナルのアストリットだわね。 ……そうか、確か、ゴットフリートさん、言ってたっけ? 初めて「イグドラシルの秘法」が発動したのは、シルフことアメリアに殺された時だったって。ということは、今の話に出てきた「暗殺者」ってアメリアのことか。 ゴットフリートさんが咳払いして、言った。 「あー。話を戻してもらって、よろしいかな、サー・ハインリヒ?」 バツが悪そうに、ちょっとだけハインリヒは、あたふたしたような素振りをして……ああ、やっぱりこの世界でも普通じゃないんだわ、あの対応は……、咳払いをして話を再開する。 「『ラグナロク』の野望をくじくには、その正体を暴いて倒すのが一番ですが、その正体がつかめない現状では、『ユミル』、その最重要パーツである『脳髄』と『心臓』を封じるのが、最良の方法です。そのための『武器』を手に入れる必要があります」 ゴットフリートさんが聞く。 「その『武器』とは?」 「『スルトの剣』と呼ばれるものです。ですが、大まかな地域が分かるだけで、どこにあるのか、詳しくは分からないのです。我が家門から信頼の置ける騎士を派遣し……」 「僕も行きましょう!」 ハインリヒの言葉を遮り、ヴィンフリートが言った。 「ヴィンフリート? しかし、君はシーレンベック家の嫡男だ、もし旅の途上で何かあっては……」 「姉上の命を狙う不届き者は、我が家門としても許せませんし、何より僕も怒りを禁じ得ません!」 「いや、だから君は……」 「長旅かも知れませんが、そのような苦労、命を狙われる姉上のご心痛に比べれば、なんということも!」 「だから、君は……」 おーい、ヴィンフリート、ちょっとハインリヒの話も聞こうか? 「父上、僕が留守の間、イルザに僕の代わりを任せましょう!」 「いや、だから、君は……。え? 代わり?」 頷いて答えたのは、ゴットフリートさんだ。 「うむ。ヴィンフリートには、万が一の時のために影武者が用意してある。それは、卿も同様だろう?」 「ええ、確かに。ですが、そもそも影武者とは命に関わる事態に対して、身代わりに立てるもの。危険な旅に本人が出立(しゅったつ)して、影武者をここに残すのは、本末転倒では……?」 「サー・ハインリヒ、今も言いましたよ? 姉上は命を狙われ、苦痛を味わうのです、それも何度も! そのことを思うなら、僕がここで安穏としている訳には!」 「……それだったら、ここに残ってアストリットを護った方がいいのでは……?」 立ち上がり、ヴィンフリートは首を横に振る。 「いいえ! 何度でも言います! 姉上一人に苦しみを味わわせ、僕はここで惰眠と怠惰の日々を過ごす、そんなことなど、出来るはずがないでしょう!? それに姉上を殺そうとする者を封じる『何か』は、必ず僕が見つけます! いえ、この僕が見つけねばならないのです!!」 ハインリヒとゴットフリートさんが、困惑した表情になってため息をつく。ていうか、ゴットフリートさん、頭、抱えてるわ。
……あ〜、間違いないわ。こいつ、シスコンだ、それも矯正不可能なレベルの。 しばしおいて。
「ならば、ヴィンフリート、君に渡しておくものがある」 今の軽いショックから立ち直ったらしいハインリヒが言った。 「渡しておくもの?」 「ああ。だが、その『物』の性質上、一人で旅をすることになる。それから、細かなことも打ち合わせておきたい。また、後日、来る」 ヴィンフリートが頷く。 「それから、シーレンベック卿、何度か時を巻き戻って、アストリットが暗殺される日について、およその見当がつきました。我がフォルバッハ家で催される舞踏会の、およそ一、二日ほどあとになります。ですが、ある程度の『揺らぎ』というか、不確定要素の影響もあるので、確実ではありません。私がつかんだ日時の数日前からは、特別に注意しておいてもらえますか?」 舞踏会のあとっていうことは、このループは、やっぱりノームっていうヤツが見つかってからあとのことね。 「わかった。今、カレンダーを持ってこさせよう。もし、万が一、失敗しても、その日の前後に注意するよう、何らかの形で注意するようにしておく」 そして立ち上がり、壁の方へ行って、例の、メイドさんが控えている隣室のベルを鳴らす紐を引っ張った。
「……カ、ミカ、ミカ!」 「……え? ハインリヒ?」 「大丈夫か、ボウッとして?」 ハインリヒが心配そうに、あたしを見てる。 え? なに、今の? ……もしかして。 あたしは懐中時計を見る。 このアイテムに記録されたことが流れてきた、とか? いや、でも、このアイテムをヴィンフリート(真)に渡す前のことだよね、今の光景は? じゃあ、なんだったの、今の光景って?
「あ、ああ、うん、大丈夫大丈夫。ごめんね、心配かけちゃって」 ハインリヒを見てそう言うと、あたしはもう一度、懐中時計らしい物を見る。
なんか、いろいろ秘密がありそう、このアイテムには。
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