「ミカさん?」 シェラが訝しげにあたしを見る。 「ああ、ゴメン、なんていうか……。あたしのいた世界でも、話だけは聞いてたの、『そういうこと』って。でも、実際の体験談を聞くと……。ごめん、話の腰、折っちゃって」 鼻をすすり、あたしは先を促す。 「わたしたちは、町を抜け、辺境伯統治下の街外れの、適当なところまで逃げました。逃走する時の馬車の御者をしていた人たちは、母を襲った兵士を殺した人たちでした。その人たちの中には、棄民街にいた人もいましたけど、話してみると気さくな人で、わたしたちに逃亡時に奪い取った貴金属や宝石の一部をくれたんです。わたしと母は、肌の色も顔立ちも、この国の人とは違いますから、ある林の中でその人たちとは別れました。その後、同じような方法で逃げ出した同じ国の人たちと合流することが出来て、大人の男性三人、女性は、大人が母を入れて三人、子供がわたしともう一人……二つ上の女の子、その計八人で行動することになりました。そして近くの森の奥まで行って、そこで潜伏したんです」 どこかで虫の鳴く声がする。小刻みな信号音のような甲高い声だ。どこか、目覚まし時計のアラーム音を連想させる。 ……似てはいないけど。 あたしは、少し自分の中に蓄積された緊張をほぐすつもりで、シェラに聞いた。 「シェラ、今鳴いてるこの虫、なんていう虫?」 「ああ、この鳴き声ですか。ヤブキリですね。ポピュラーな虫です。飼っている人も多いですし、このお庭でも放していますね」 「ああ、そうなんだ」 へえ、ヤブキリか。聞いたことない名前だな。もしかして、この世界特有の虫かな? あたしたちは、しばしの間、紅茶を飲みながら、静かに虫の声に耳を傾けた。
あたしの中の緊張感はほぐれたけど、シェラの中の緊張感もほぐれたらしい、柔らかい表情でシェラが話を再開した。 「潜伏生活の始めの頃は、行商人の持っている売り物の食べ物や生活必需品と、もらった宝石類とを物々交換していました。ですが、それがなくなると、やはり、略奪行為に走ってしまったんです。それがわたしたちが生きるための、唯一の方法でした。そうしなければ、生きていけなかった。でも、一つの決め事として、決して人を殺すことだけはしませんでした。信じていただくほか、ないのですが」 そういう極限状態になったことがないあたしは、その話を肯定することはできないし、ましてや否定は出来ない。 ただ、黙って聞くことだけしか、できない。今さらながら、あたしがどれだけ安全な環境に身を置いていたか、実感する。 「同じ所だけで略奪行為をしていると、行商人の荷馬車も警戒してルートを変えます。なので、わたしたちは森の中を移動しながら、襲撃する街道のポイントを変えていました。そんなある日、襲撃した荷馬車には、商品ではなく、武装した騎士たちが乗っていたそうです。その騎士たちは、テオバルト様の部下でした」 「ああ、そうなんだ。でも、ここの地理がよく分からないんだけど、フォルバッハ領と随分、離れてないかな?」 「その前に襲撃した荷馬車が、フォルバッハ領に関係したものだったそうです。そこでテオバルト様は治安維持のために動かれ、襲撃場所のクセから、わたしたちの潜伏場所まで突き止めていらっしゃいました。いきなり騎士たちに取り囲まれた時には、恐怖を覚えました。今でもその時のことは、はっきりと思い出せます」 かすかにシェラの表情が強ばる。相当、怖い思いをしたんだろうな。 「捕らえられたわたしたちは、何日もかけて移送され、テオバルト様の前に引き出されました。そして、テオバルト様の取り調べに応じたのです。もっとも、わたしともう一人の子供は詳しい事情を知りませんが、それでもその場にいて、取り調べの空気にさらされていました。このまま殺されるのではないか、子供心にそう思っていました」 その中でも、決して人を殺さなかったこと、生きるためには仕方がなかったことを、大人たちが強調していたことは理解出来たっていう。 「取り調べが終わって、わたしたちは特別の施設に入れられました。裁断が下ったのは、翌日です。テオバルト様は、こう仰いました」
「お前たちの事情には、十分、酌(く)むべきものはある。そうせねば、異国の地で、生きられなかったというのも、同情の余地はある。だが、お前たちによって金品を奪われた者の中には、それによってその日の糧や、信用をなくして生きていく術(すべ)、生業(なりわい)を失った者さえいる。お前たちが他国人であろうと、我が国で罪を犯した以上、我が国の法に照らして裁かねばならない」
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