ハインリヒはあたしを見て、続ける。 「あくまで仮定の話だが、君にかけられている『魂寄せの秘法』は、かなり変則的なものになっているはずだ。『本来はアストリットが死ぬ直前にだけ意識が現れるはずだった』という、シーレンベック卿の話から考えるに、常に君の意識が表に現れているということは、君の方にもここに留まるだけの何らかの『鍵』があると思われる。つまり、君がここに留まろうという意思表示をしてくれれば、おそらくは王妃がかけてくるだろう、キャンセル魔法にも対抗できるはずだ」 「……………………」 何も答えないあたしを見ていたハインリヒは、ちょっとだけ、ため息めいた息を吐き、言った。 「そうだな、君にも、考える時間が必要だろう。だけど、これは覚えておいて欲しい。この世界の平和は、君の決断にかかっている。君が望むと望まないと、それに拘わらず、ね」 あたしは、とりあえず頷き部屋を出た。
部屋を出たミカを見送ったハインリヒに、ヴィンフリートが言った。 「彼女は、ここに留まってくれるでしょうか?」 「わからない」 としか、ハインリヒは答えられない。 イルザも言う。 「私は、彼女と行動を共にしていた時間は、意識できる範囲ではそんなに長くありませんが、彼女は責任感や使命感の強い女性です。彼女を、信じたいです……」 すでに、願望になっていた。 仕方のないことだと、ハインリヒは思う。確かに、ミカは使命感の強い少女なのだろう。だが、それはここにいるほかない、という諦観から生まれたものだとしたら? あるいは、単純に「死にたくない」という生存欲求から生まれたものだとしたら? そういった感情が、これまで彼女が戦ってきたことの理由だったとしたら? 頭を振り、その考えを追いやると、ハインリヒはヴィンフリートに言った。 「ヴィンフリート、君が旅に出る前に預けておいたものだが。あれを返して欲しい。これからのことに向けて、『調整』しておきたい」 「ええ、構いませんが。でも、どうするんですか?」 ハインリヒはミカが出て行ったドアを見る。 「もしミカが協力してくれたら、必要になるかも知れない」 「え? でも、異世界人の彼女に、使えるんですか?」 「わからないな。だが使えると信じたいし、何より、ミカが協力してくれることを願いたい」 言ってから、ハインリヒも「信じる」ではなく、「願う」になっていることに気づいた。
夜。 食事を終えてから、あたしはお屋敷の前庭にあるテラスで、ぼんやりしていた。 空に輝く月は、まだ満月じゃない。それが、なんとなく「あたしの覚悟とか決心とか、まだ、まとまらない」ことを象徴しているように思えて、思わずため息を漏らす。 あーもー、どうしたものかなあ? 正直、元の世界に帰れるんなら、願ってもないことだし、でも、こっちの事情も知っちゃったら、放っておくのも寝覚め、悪いし。 あ、ひょっとしたら、戻ったら、こっちの記憶とか消えてなくなる、とか? だったら、罪悪感nothingだけど。 「その保証ないしなあ……」 「ミカさん」 「ふおぉぉぉっっふうううう!!」 「うわあっ!? どうかなさいましたか!?」 振り返り、あたしに声をかけてきた人を見る。シェラだった。 「ああ、ごめん、考え事してるところだったから、ビックリしちゃって」 「考え事、ですか……」 そう呟き、シェラは押してきたワゴン(石畳の上を、キャスターが転がる音も聞こえなかったわ……)から、お茶会セットをあたしが着いてるテーブルに載せていく。 「お茶にしませんか? 恐れながら、わたしもご相伴(しょうばん)させていただきます」 「ええ、一緒にお茶しましょ」 シェラはそれぞれのカップに紅茶を注(そそ)ぎ、あたしの向かいの椅子に座る。 「ミカさん、ハインリヒ様から、お話は伺いました。悩まれても、当然です。そして、ミカさんがどのような決断を下そうと、誰も責めることは出来ません」 「有り難う、シェラ。……うん、確かに、そうだと思う。誰もあたしを責めないと思う。だからこそ、どこか辛いのよね、まるであたしが世界を無慈悲に見捨てる外道に思えてさ……」 しばらく沈黙の時間が流れたか、と思ったら、シェラが静かな笑みで言った。 「ミカさん、ちょっと昔話にお付き合いいただけますか?」 「え? 昔話?」 「はい。もう、十年以上も前、この国の東の端、シュペール辺境伯が治める町で起きた、哀しくて愚かな昔話です」 そして、シェラが話し始めた……。
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