ヒルデガルトの身元についてどうしよう、ということになって、バルドゥルは領主ペーター・フォン・フォルバッハに相談した。ペーターは驚きながらも、さすがに一領主の貫禄で受け止めたが、ペーターの妻トルーデリーデは弱々しい声を上げて、卒倒してしまった。 兄のクーンツは病床にあることから、バルドゥルはペーターと二人で話し合い、その結果、フォルバッハ家とも親交の深い伯爵家、フォン・ビンゲンの養女としてヒルデガルトを迎え入れてもらうことになった。フォン・ビンゲン家では、その一年前に一人息子を亡くしており、また伯爵夫妻が高齢ということもあって、もう子作りも難しいということから快く受け入れてもらえた。 その直後、闘病の末、クーンツが世を去った。二ヶ月前に出かけた狩りで落馬し、骨折。予後がよいとはいえず、敗血症を引き起こし、そこから多臓器不全を起こした末の死亡だった。しかし、この世界の、この時代に多臓器不全の概念はなく、クーンツの死因は強く症状の出た肺病とされた。 そのため、家督はバルドゥルが継ぐことになった。家督相続条件の一つである婚姻について、花嫁選びのために開いた舞踏会にヒルデガルトが出席。以前の経緯から、お互い憎からず思っていたこともあり、その場でバルドゥルは両親に報告。トルーデリーデは難色を示したが、最終的にはバルドゥルの意志が通り、二人は婚約した。 そして数年後、結婚。長男ヘルベルトが誕生し、その四年後に双子の女子が生まれた。 この当時、「双子は家を割る」として不吉に思われ、また数年前に、ある子爵家で家督争いの決闘騒ぎにまで発展した例もあった。
相談の結果、ブルクミュラー侯爵家に養女として出すことになった。 昼。 部屋で作業していると、バルドゥルが声をかけてきた。 「何をしてるんだ、ヒルダ?」 手を止め、ヒルデガルトは振り返る。 「魔術書をね、あの子のために作っているの」 「魔術書?」 「ええ。持たせてあげようと思って」 バルドゥルが歩いてきた。 「例の魔術書か?」 「ええ。『イグドラシルの秘法』の、真の力がわかったから、それを書いたページをつけてね」 バルドゥルが考える仕草をする。 「えーと。殺されても生き返る、だっけ?」 そんな風に理解していたかと、自分の説明のマズさに思わず苦笑いを浮かべ、ヒルデガルトは言った。 「ああ、ごめんなさい。あなたを笑ったわけじゃないの。うまく説明できなかったのが恥ずかしくてね。……これはね、不慮の死、つまり寿命以外で死んだ時、その死の時点より時を遡って、生き返る秘法なの」 「ああ、そうだったっけ。しかし、時間を遡るとはねえ」 と、バルドゥルがヒルデガルトがペンを走らせている羊皮紙を見る。 「あたしもね、まさか、とは思うの。でも、潜在的ゼフィラの魔術文字通りに解読していくと、そういう風になるのよ」 「ふうん。でも、解読ミスってこともあるんじゃないか?」 ヒルデガルトは黙って、バルドゥルを見る。口元に笑みを浮かべて。 しばらくして、バルドゥルの顔が強ばってきた。 「お、おい、まさか……!」 「本当によかったと思うわ、十日前に魔術を自分自身に施しておいて。でなきゃ、あたし、明日、死んじゃうもの」 バルドゥルが頭に手をやる。 「えーっと、ちょっと待て。十日前に魔術を施して明日、死ぬ? なんだか、よくわかんねえぞ?」 バルドゥルの困惑そのものの表情に、思わず、笑みがこぼれる。 「そうね。あたしも、何が何だかわからなかったもの。でも、明日になれば、わかるわ」 訳のわからない表情をしているバルドゥルに、ヒルデガルトはウィンクして見せた。
そして、翌日。 バルドゥルとヒルデガルトは、定期的に行っている修道院でのボランティアに出かけた。そう近い距離ではないが馬車ではなく、いつも徒歩で行っている。 その途中。 「ねえ、あなた。今日はいつもの道じゃなく、違う道を通りましょ? なんだかイヤな予感がするの」 「……イヤな予感、って割りには口元が笑ってるぞ?」 「いいからいいから」 と、ヒルデガルトはバルドゥルの腕に腕を絡め、引っ張っていく。 「お、おいおい!」 戸惑いながらも、バルドゥルはついてきた。 いつもとは違う通りを歩き始めて、すぐだった。轟音が響いたのだ! 「なんだ、おい!?」 音がした方を見ると、土煙がもうもうと起きている。バルドゥルがそちらに駆けて行った。ヒルデガルトには、何が起きたか、わかっている。何らかの理由で暴走してきた馬が建物に衝突し、さらに立てかけてあった数枚の板状の石材にもぶつかって、石材が石畳に倒れたのだ。 その石材はそんなに大きいものではなかったように思ったが、運悪くヒルデガルトに倒れかかり、それが頭に当たって、前の周回の彼女は死んでしまったのだ。 魔術を施した翌日に時間が巻き戻った時には、何が何だかわからなくて混乱したが、その後の経過が記憶通りであり、しかも干渉して変えることが出来た。一瞬、予知かとも思ったが、あの時の恐怖と痛みは夢ではないと確信できる。だから、予知ではなく「イグドラシルの秘法」の効果であると、実感した。 バルドゥルは、まだ混乱したような表情をしていた。
帰宅し、ヒルデガルトは秘法の性質、そしてペナルティについても説明した。 「せめて、この子に、これを残してあげたいわ」 「しかし、こんな秘法が載ってる魔術書なんて、ブルクミュラーに取り上げられるんじゃないか?」 「それなら心配いらないわ。所有権をこの子と、その血を引く者に固定するから。必要なら、いつでも解除できるし」 そして、シーツにくるまって、すやすやと眠っている愛し子を見る。 愛しい子を見ていると、むしろこの子の所有権を自分に固定したくなるが、家(・)の決めたことには逆らえない。 ならば、せめてこの秘法で神のお決めになった定命(じょうみょう)を全(まっと)うして欲しい。 バルドゥルが肩を抱いてきた。それに体を預けると、バルドゥルが言った。 「ユミルを甦らせる魔術書は、こっちにあるんだろ?」 「ええ」 「……出てこないといいな、アンゲリカみたいな天才が」 「……姉は、百年、いえ五百年に一人の天才よ。でも。……うん、ヘルベルトやノーラの子孫が、アンゲリカのような野心を持った天才にならないといいわね……」 布団の上で眠る女児が、笑う。何かいい夢を見ているのだろう。 「許可されるかな、『ラウラ』っていう名前……」 そう呟くと、バルドゥルがさらに抱き寄せる。 「ああ。きっと、その名前で呼んでくれるさ、この子を……」 ヒルデガルトは赤子の頭を撫でる。 赤子がうれしそうに声を立てて笑った。
ふと。
姉が有していたユミルのパーツが未だにこちらの手に出来ず、それ故(ゆえ)、ユミルの封印が出来ないことに対する不安が鎌首をもたげてきたが、我が子の笑顔がそれをかき消してくれた。 この子の未来がきっと、なんとかしてくれる。 そんな希望が、胸に湧いてきた。
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