「話が前後してすまないが」とハインリヒが言ったんで、あたしは気持ちを切りかえて、彼を見た。 「我がフォルバッハの家には、その魔術書が完全な形で残されている。今の話にもあったように、『イグドラシルの秘法』にはペナルティーがある。そして、それをかわすため、秘法を実行するとユミルの力をある程度、使えるようになる。しかし、もしそれ以前に、別の秘法を使って、ユミルそのものを甦らせた何者かがいた場合は、その何者かが手に入れた力は、こちらが手にすることが出来ない。だが、それはこちらが先に手に入れた力は、向こうが手に入れることが出来ない、ということでもある」
はっはっはっはっはっ。……参ったなあ、全っ然、理解できないわ。
なに言ってんの、こいつ?
あたしのその気持ちが伝わったみたいで、ハインリヒが「どう言えばいいか」なんて、腕を組んだ。 しばらくして。 「こちらで持っている魔術書に、こういう記述がある。『巨人ユミルを甦らせるものは、世界にラグナロクをもたらすものである』」 「ラグナロク? 『神々の黄昏』ね?」 あたしがそう言うと、ハインリヒたちが首を傾げる。口を開いたのは、マクダレーナさんだ。 「そちらの世界では、そのような表現なのですね。こちらではラグナロクとは『神々の死と滅亡の運命』のことをいいます」 ああ、そうだったわ、そんな感じの言い方だった。 あたしが頷くと、ハインリヒが続けた。 「その記述には、まだまだややこしく長い注釈が続くんだが、それは省くよ。とにかく、何冊かある魔術書の中に、ユミルを復活させる魔術書があって、ユミルを復活させた者は世界を己がままに出来るとある。それこそ、支配するも滅ぼすも、思うがままだ。もっとも、ユミルを復活させる魔術書は、フォルバッハ家には残されていないが。……そしてフェリクスが調べてきた限り、王妃は大陸制覇、そして世界征服へと乗り出すつもりのようだ。つまり、戦争を起こすということでもある」 「へー」 ごめん、異世界から来たあたしとしては、他人(ひと)ごとに思えるわ。
「……。興味なさそうだね、ミカ?」 「え!? そ、そそそそそっ、そんなことないわよっ!?」 あたしのその言葉に、みんなの視線が集まる。 「……うう、ゴメン、ホントのところ、違う世界のこと、今は、あんまり興味が持てない。あたしが今、思ってるのは、どうやったらさっき聞いた『たまよせのひほう』とかいうのが解除できて、あたしが元の世界に戻れるか、ってこと」 ゴットフリートさんがため息をついて言った。 「すまない。アストリットの意識が眠ったことを知った時に、一度、解こうとしたのだが、解けなかった。不完全だったせいか、どうすれば解けるのかわからないのだ」 「……ああ、そうなんですか……」 言葉がないわ。ひょっとしたら、死ぬまでここにいないとならないのかしら? 絶望しかかった時、ハインリヒが言った。
「一つだけ、方法がある」
思わず、あたしはそっちを見た、勢いよく。 ハインリヒは確信めいた口調で言った。 「ユミルは世界の元になった巨人だ。そして、魔術書もユミルの知識で作られている。つまり、ユミルの知識があれば、どうすればいいのか、知ることが出来る」 あたしは思わず、身を乗り出した。 「どうすればいいの、それ!?」 「ユミルは全部で十のパーツに分割されている。その一つ、『ユミルの脳髄』を手に出来ればいいのだが、それはおそらく王妃の元にある」 「……マジで? じゃあ、どうすればいいの?」 あたしの問いに頷いて、ハインリヒは続けた。 「ラグナロク、つまり王妃を倒すかどうかして、脳髄の所有権をこちらのものに出来ればいいと思うのだが」 「……マジっすか……?」 「ああ。でも、君は興味が持てないのだろう、異世界のことには?」 「…………」 ハインリヒが、意味深な笑みでニヤついた。 「君の力があれば、可能だと思うのだがなあ? 『魂寄せの秘法』を実行したことを聞き、また君の平手打ちが人の力を超えたものだということに気がついた時、これはおそらく、別の時空の魂が寄せられたと思った。そして思ったのだ。もしかしたら、別の時空の魂が呼ばれたが故に、正式な儀式を行っていないにも拘わらず、不完全ながらも別の世界にある『ユミルの力』を、アストリットは持っているのだ、とね」 「………………それはつまり、あたしにラグナロク退治に、一枚噛め、ってことでよろしいのかしらぁ、ハインリヒさん?」 ハインリヒが天井を見て、そして、あたしを見る。 「いや、もういいんだ。所詮、君は別の世界の人間だ。ああ、本当に気にしなくていいんだよ? この世界の人間が戦争でどれだけ苦しみ哀しみ、そして死のうとも、別の世界の人間である君にとって興味の対象ではない。そう、子どもたちが泣き叫ぼうとも……」 ハインリヒの言葉を遮り、あたしは言った。 「あたしは何をしたらいいの!?」 ハインリヒがニヤリとした。 「そうだね、君が手を貸してくれるなら、これほど心強いことはない」 ハインリヒがそう言うと、ゴットフリートさんが小声でボソッと。 「策士だな、サー・ハインリヒ」 ヴィンもボソッと。 「いい性格ですね、サー・ハインリヒ」 あたしもボソッと。 「お前、最低だな」
「ところで」 と、ハインリヒがゴットフリートさんに言った。 ほぼ同時に。 「ところで」 と、あたしもゴットフリートさんに言った。 二人の視線を受け、顔をあたしたちに向け、あたしはハインリヒを、ハインリヒはあたしを見た。 ハインリヒが笑顔で言った。 「レディーファーストだ」 「そう。じゃあ、遠慮なく。……ゴットフリートさん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」 「なんだね?」 ゴットフリートさんが、柔らかく応じる。あたしはヴィンを見てから向き直り、言った。 「ヴィンは……ヴィンフリートは、本当は女の子じゃないんですか?」
夜。 王城の地下に設けた特別の部屋……祭儀の部屋。そこに一人の人物……王妃グレートヒェンがいる。 グレートヒェンは、ガスを引いた照明ではなく、燭台のロウソクに灯した炎を、高く壁に掲げて見上げる。その壁には、一枚の絵が彫られていた。
全裸の男。大きさは普通の人間より一回り大きいサイズだろうか。そしてその男を取り巻くように、色とりどりの玉が、円を描くように囲っている。その数、十個。その玉の中には、魔術文字による単語が刻まれている。
グレートヒェンは燭台を持っていない左手を上方に伸ばして、男に触れる。彼女の左手は、男の足の辺りを撫でていた。 グレートヒェンは、やや高揚した声で言う。 「わたくしの手で、ユミルを復活させますわ。そして世界征服に乗り出す時には、必ず、あなたの魂を『魂寄せの秘法』で呼び戻します、お父様。ともに世界を支配しましょう。私たち二人の宿願は、きっと、このアンゲリカが叶えてみせますわ……」
ロウソクの炎に照らされる彼女の表情は、一種、性的な昂揚感に彩られていた。
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