翌朝、九時にヒルデガルトたちは出立した。振動による、多少の痛みは構わない、と申し出たこともあり、馬車は通常の速度よりも速めに馬を走らせている。 馬車の中で、ヒルデガルトは言ってみた。 「あの、バルドゥル様?」 「ん? なんだ、ヒルダ?」 いざ口にしようとすると、やはり勇気がいる。だが、言わねばならない。 少しばかり「溜め」の時間をおいて、ヒルデガルトは言った。 「実は……」 前夜、ミリヤムに持ちかけようとして機先を制され、言えなかったことを話す。 それを聞き、バルドゥルは苦笑を浮かべて右手の人差し指で右の頬を掻いて言った。 「今朝方、早くにミリヤムから聞かされたのとは少し違うが、まあ、似たような話だな」 少し違う、というのが少し気になった。 「ミリヤムさんは、なんて言ってたんですか?」 「ん? サー・レオポルトは君を閉じ込めて外へ出さないようにするだろう、だから、力ずくででも君をフォン・マイスナーの家から引き離して欲しい、さながら騎士物語(ロマンス)のように。君からは、そういう提案があるだろう、ってさ」 それを聞き、頬が熱くなる。まさかミリヤムがそのような事を考えていたとは思わなかった。だが、ふと、それもいいのでは、と思う自分がいることにヒルデガルトは気づいた。 「ヒルダ」 と、バルドゥルの声がヒルデガルトを現実に引き戻す。 「君が言ったことも、ミリヤムの想像も、結局のところサー・レオポルトに喧嘩を売れ、ってことだ。サー・レオポルトに対しては、『ユミルの力』を盾にすれば、まあ、それなりに牽制には、なるだろう。だけど、それで急にフォン・マイスナーの動きが変わったら、他の旧選帝侯たちが動き出す」 「あ…………」 バルドゥルがまた苦笑を浮かべる。 「考えてなかった、って顔だな。でも仕方ないさ、君にはそこまで考える余裕がなかっただろうし」 その言葉の通りだ。己が家族のことばかり考えていて、そこまで頭が回らなかった。 バルドゥルは続ける。 「何にせよ、旧選帝侯たちの動きには、気をつけないとならない。これまでのような選帝侯の制度が復活するのなら、丸く収まったと考えるべきだが、最悪の場合、国王陛下にいろいろと吹き込んで爵位召し上げに追い込むか、選帝侯の誰かがフォン・マイスナーに暗殺者を仕向けてくるか。どうなるにせよ、無事ではすまないだろうね、君の一族は」 「……話しづらいのですが、血縁の者はほとんどがユミルの贄(にえ)に……」 バルドゥルが苦い表情になって横を向く。 「そうか……」 そして、しばしの後(のち)。 「まあ、あれだ。君については、マイスナー家とは縁を切った方が無難かも知れない。もし可能なら、君も死んだことにするか、行方知れずのままにしたほうが、無用な政争とは無縁でいられるだろうな」 「そう……ですね。その方が、いいですね……」 「それで、なんだが。実は昨日、マイスナー領へ行くという話になった時、俺なりに考えたことがあるんだが」 と、バルドゥルは自分が考えたことを話す。 「いずれは君は、帰ることになる。その時に起こりうることを想定したんだが」 この数日かけて、バルドゥルは考えていたのだろう。一方の自分は、その時の感情に任せ、自分のみならずバルドゥルにも迷惑をかけるところだった。 「わかりました。あなたにお任せします」
だから、即断だった。
馬車は、思いのほか早くマイスナー領に到着した。
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