アンゲリカが事故に遭って、瀕死の重傷。 率直に「有り得ない」と感じた。「ユミルの力」があれば、あの爆発と落盤の中であろうと、逃げられるはずなのだ。 ヒルデガルトが難しい顔をして、右手を顎に当てていたからだろうか、ミリヤムが聞いてきた。 「何か、ご不明の点でも?」 「え? ええ、先日もお話ししましたが、姉が手にした『力』は人知を超えたもの、洞窟の落盤程度で重傷を負うとは思えないのですが?」 「わからんぜ? たとえ巨人の脳髄だったとしても、突然起こった爆発や落盤は予想もしていなかっただろうし、左腕一本じゃ、落ちてくる岩石を防ぎきれないかも知れない。走って逃げようにも、今、言ったような事情じゃあ、脚を活かせないだろうしな」 バルドゥルの言うこともわかるが、あの姉だ、「ユミルの力」を使いこなしてあの危機をやり過ごしたに違いない。 「でも、『ユミルの耳』があります。それを使えば、事前に落ちてくる岩石の音を聞き、どこへ落ちるか予測できるでしょう」 「だが、体がそれに反応できるかな?」 「え?」 「確か、パーツは脳髄・眼・耳・口・右腕・左腕・右脚・左脚・生殖器・心臓の十個だったよな? 肺がないぜ?」 「肺?」 いきなり、何を言いだしたかと思っていたら、バルドゥルは確信をこめたように言った。 「その『ユミル』っていう巨人は、呼吸を必要としないのかも知れない。『鼻』がないもんな。でも、人間は呼吸をしないとならない。ムチャクチャな動きをしていたら、息が上がって、体がついてこないんじゃないか?」 「でも、呼吸なら、口でも……」 言いかけて、思い出した。ユミルのそれぞれのパーツには、魔術的な意味がある。その中に「呼吸」を意味するものはなかった。 「だろ?」 と、バルドゥルがニッとする。 「でも……」 それだとすると、あの高速の移動中は息を止めているということになる。ひょっとしたら、長時間、高速で走らせ続けることが出来たら、姉を行動不能に追い込めたのではないだろうか? そうしたら、あの罠を発動させることも……。 いや、どの程度、走らせる必要があるか、わからない。なら、やはり、あの罠を動かすほかなかった。 そう思っていたら。 「昨夜遅くなのですが」 と、ミリヤムが言った。 「私の話をさせていただいても?」 バルドゥルが頷く。ヒルデガルトも興味があったので、同じく頷いた。 「それでは。……昨日の昼頃から、マイスナー領内の、マイスナー邸宅の動きが慌ただしくなった。そして、夕刻、突然、静かになった」 バルドゥルが腕を組む。そして。 「で、詳細は?」 と聞くと。 「ハンクシュタインは、旅の商人としてマイスナー領に入っております。ご邸宅にまでお邪魔する権限は持っておりません。それに、彼には潜入調査のスキルはございませんので。……聞き込んだ範囲でわかったことは、主治医が呼ばれ、どうやらアンゲリカ様の死亡を確認したらしい、と。これが、昨夜遅くに帰ってきたハンクシュタインの報告でございます」 思わず、息を呑んだ。バルドゥルが気遣うような視線を向けてくるが、それに応じる余裕はない。 空気を読んだのか、わからないが、ミリヤムはこちらを見ずに事務的に言った。 「その後、教区教会から司教と司祭数名が、領主邸宅へと赴いたようです」 胸がつかえ、呼吸が苦しくなる。あの爆発の時、自分はその場を見ていなかった。だから、何が起きたのかわからない。眼と右腕以外の「ユミルの力」を手にしているのだからと、そういう先入観を持っていたが、もしかすると、姉アンゲリカは、とっさのことでその力を使う余裕がなかったのかも知れない。 もともとは洞窟の通路を潰して時間を稼ぐための罠、相手を「怪我」程度で済ますといった手加減など、出来るわけはなかった。
気がつくと、涙がこぼれ、慟哭していた。
いかなる状況に陥ったとしても、やはり姉と妹だったのだ。
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