ヒルデガルトがフォン・フォルバッハ家の庇護に……というより、フォルバッハの次男・バルドゥルが個人的に持っている別宅に厄介になって五日目の朝。 「バルドゥル様」と、ヒルデガルトはバルドゥルに言った。 「なんだい、ヒルダ?」 キッチンからスープとパン、燻製(くんせい)肉を運んできたバルドゥルは、ヒルデガルトを愛称で呼ぶようになっていた。 「このように匿っていただいて、本当に有り難い限りなのですが、その……、あたしのようなお尋ね者を匿っていて、お立場は……」 ヒルデガルトは、フォン・マイスナーの家から捜索がかけられている身なのだ。それをこうして誰にも……フォルバッハ家の人たち、ここにいてバルドゥルとともにヒルデガルトの世話をしてくれている、ミリヤムというメイド以外の使用人にも知らせていない、という事態は、変な疑いをかけられかねない。「お互い、好意を抱いているから、一緒にいた」などという騎士物語(ロマンス)まがいの誤解なら、まだかわいい方で、下手をすると、マイスナー家に対する交渉材料にしていると解釈される怖れさえあるのだ。 「あーあー、いいっていいって。今、出来のいい兄貴が病床に伏しているからさ、出来の悪い弟のことなんざ、誰も気にも留めないって」 バルドゥルはそう言いながら、笑ってトレイをテーブルに置き、三人分の朝食を並べる。 「そうではなくて、お家のことが……。もしマイスナーに何らかの脅迫でもしようと考えていると勘ぐられたら、フォルバッハ家そのものが王家からお咎めを受けるかも知れません。ご領地召し上げではすまないかも……!」 巨人の力がどうの、というのはさておいて、今やフォン・マイスナーは唯一の選帝侯なのだ。王位継承に関して、絶大な権力を持つといっていい。事実上、現王はマイスナーには逆らえないのだ。 そのような家の娘を、それも捜索をかけられている身の娘を、ひそかに匿っていたなどと、たとえヒルデガルトが「自分が望んでいた」と抗弁したとて、通るものではない。 キッチンからサラダの載ったトレイを運んできながら、ミリヤムが言う。 「そうですよ、坊ちゃま。私はともかく、お家に面倒ごとは……」 難しい顔をしているが、どこか深刻そうではない。ひょっとして、この二人は危機意識などというものを、まったく持っていないのだろうか? そこまで感覚が鈍磨しているのか? 「でも、ミリヤムさんも処罰の対象に……」 「気にしないでください、ヒルデガルト様。どうせ私は……」 と、ふと、ミリヤムは哀しげな顔になる。何やらただ事ならぬ空気に、ヒルデガルトは聞いた。 「あの、なにかあるんですか……?」 「私、妾腹(めかけばら)なのです」 妾腹、つまり領主の愛人の子ということだ。 その言葉に、思わずバルドゥルを見ると。 「もうしばらく、つきあってやってくれるか?」 と、バルドゥルは寂しげな(に見える)笑みで言った。 トレイをテーブルに置いたミリヤムは続ける。 「今から十年前、私が十(とお)の時に、最愛の母が流行病(はやりやまい)で亡くなりました。その時、母は一通の手紙を遺していたのです。それは、私が当地のご領主、ペーター・フォン・フォルバッハ様の子であることを、証明するものでした!」 と、ミリヤムが左手を胸に当て、右手を斜め上に差し伸べて、その方を見る。つられてヒルデガルトもそちらを見るが、何もない。 構わずミリヤムは続ける。 「その手紙を持って私は、こちらへ参りました。最初こそ、ペーター様は私を歓待してくださいました。しかし、奥様は私の存在をお許しにはならず、次の日から、ご領主様のお目を盗んで、私に対するイビリが始まったのです!」 ミリヤムは今度は身と首をひねって床を見る。つられてヒルデガルトもそちらを見るが、やっぱり何もない。 「ペーター様も、表だっては私を擁護できぬご様子でした。ご長男のクーンツ様も、お母様を気遣ってか、私と距離をお取りになっておられました。私は、お屋敷で孤立していったのです。ですが! 私より一歳年下の九つだったバルドゥル様は、そんな私と仲良くしてくださり、庇(かば)いもして下さったのです!」 クルリと体を回して、左腕を伸ばし、上に向けたその掌でバルドゥルを指し示す。バルドゥルは「くい」と片方の眉を上げて、口元に(今度はハッキリと「困っている」とわかる)笑みを浮かべた。 「やがて私の身の上は、少しずつ下女(げじょ)同然となっていきました。ですが、ペーター様のお計らいで、メイドという立場となることが出来たのです。感謝の言葉もございませんでした」 そして、再び体を回して天井を見る。 「ですが! 私の生まれは変わりません! 奥様の中で私は、ご領主様の愛を奪った憎(にっく)き女の娘という立場なのです!」 身をひねり、ミリヤムは、背後の壁を見る。 「……あの? 何かあるんですか、あの壁に?」 つられて壁を見たヒルデガルトはそう問うてみるが、ミリヤムから返答はない。 「なので、いつ何時(なんどき)、私はここをイビリ出されるか、いえ! 毒杯を飲まされるのか、わからないのです! ですので、ヒルデガルト様! 私に対するお気遣いなど、一切、不要なのです!」 クルリと体を回し、ヒルデガルトを見ると、右腕を伸ばして、その掌を差し伸べた。 「……………………ええと、あの……」 困惑していると、バルドゥルが言った。 「ああ、気にしないでくれ、客人から別宅(ここ)やミリヤムについて尋ねられた時の、いつものヤツだから。……満足したか?」 「ええ、燃焼いたしました」 何やらスッキリとした笑顔でミリヤムが応えた。 困惑を続けていると、ミリヤムが言った。 「今も申しましたように、私はここでは、厄介者なのでございます。バルドゥル様のご厚意で、この別宅の管理という破格のお仕事を与えていただいては、おりますが」 肩をすくめ、バルドゥルが言った。 「本宅内には立ち入り禁止、だけどな」 「それはともかく、ヒルデガルト様は療養に専念なさってくださいませ」 この二人が、よくわからなくなってきた。
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