あたしの脳裏に、ふとバザールで見かけた、ひょろ長い男のことが浮かんだけど、それを言う前に、ミレッカーさんが口を開いた。 「若のお命じになった通り、ウンディーネを待ち伏せておりましたところ、奴はノルデンの方から、恐るべき速さで現れました。あの速さは、文字通り矢のようです」 そうか、走ってやって来たか。まあ、あの脚なら、馬に乗るよりも速いわね。 「そして作戦通り、奴を包囲し、包囲網を飛び越えようとしたところを、矢で狙いました」 あたしがウンディーネについて話したことから、そういう作戦を組み立てたのか。イルザってすごいわ。 「しかし奴はその矢を手で弾いたため、傷を負わせることは、かなわず。そこで林の中に追い込んで、その脚を封じる作戦に移行したのですが」 林の中に追い込む。……本当、そういう作戦を練るってイルザってマジ、すごい。 「奴はことごとく立木(りつぼく)を蹴り折り、我々を牽制。最後には高枝に飛び乗り、飛び移りながら、馬を奪って逃走いたしました」 「木を蹴り折ったの、あの女?」 ミレッカーさんが頷く。 うわ、あたし、そんなヤツのキック、受けてたのか。よく無事だったなあ……。 ゴットフリートさんが考え込むように腕を組んで、時間をおいてから言った。 「おそらく、もうノルデンに奴はいないだろう。となると、こちらから打って出るのは、不可能だが」 「それについては、私に考えが」 と、イルザが言った。
部屋を出ると、ちょっと遅い、お夕飯。 応接室を出て食堂に向かいながら、イルザ……もとい、ヴィンが「なぜサラマンダーが、あたしを助けたか」について説明をしてくれている時、ヘルミーナさんがやって来た。一緒に応接室を出たゴットフリートさんに用があるみたい。 「ご主人様、サー・ハインリヒの使いの方が、これを」 そう言って、手紙をゴットフリートさんに手渡す。一礼してヘルミーナさんが去ると、それを開いて、ゴットフリートさんが読む。あたしとヴィンも、なんとなく興味を覚えて、立ち止まった。 読み終えたゴットフリートさんが口元に笑みを浮かべ、それをヴィンに渡した。ヴィンが受け取り、目を通す。なんとなくあたしは読んじゃいけない気がして、ヴィンから離れていると。 やっぱり、ヴィンも口元に笑みを浮かべて頷いた。 ? 二人にとって、なんかうれしいことでも書いてあるのかな?
深夜。 寝所(しんじょ)に王妃グレートヒェンが入ると、何者かの気配。だが、すぐにわかった。 「お前か」 その言葉で、痩せて背ばかり高い男が、闇からにじみ出るように現れた。 「ご報告を」 男が、ノルデン付近でのことを報告する。それを吟味し、グレートヒェンは唸った。 「やはり、『パトリツィア』の正体を見破られたことが痛かったか。これまでの展開では、サラマンダーが屋敷に直接、乗り込んだ時は、ヴィンフリートには、『パトリツィア』が部屋から部屋の移動についていた。おそらく、そのことでヴィンフリートは誰とも接触できず、サラマンダーの正体を知っている者と接触できなかったのであろうな。しかし、何者なのじゃ、サラマンダーのことをヴィンフリートに伝えた者とは?」 考えてみるが、見当もつかない。強いて言えば、バザールの時に割り込んできた騎士。女だということらしいから、鎧を脱げば、屋敷のメイドに化けることも出来るのだろう。あるいは、最初から屋敷のメイドだったのか? 「あの屋敷で腕の立つメイドといえば、ハンナか、ゲルデ・シュターデじゃが。ハンナは、バザールの時にいたというし、ゲルデは屋敷勤めをやめ、シーレンベック領にある実家の商家を手伝っているはず。……フム、ゲルデの方は調べる必要があるのう。よし、まずはそれを調べよ」 「かしこまりました。ところで、ウンディーネですが、帰りは馬を使ったにも拘わらず、脚への負担はかなり大きかったようで、今、まともに闘える状態ではない、とのこと」 「木を何本も蹴り折るとは、なかなかに豪快な奴じゃ」 思わず、笑いがこみ上げる。ウンディーネは「ユミルの脚」を、使いこなしているようだ。 「私(わたくし)も出ましょうか?」 「いや、『ユミルの耳』の力、その二分の一をお前に授けてある今は、諜報(ちょうほう)・連絡役に勤めよ。アストリットどもの動きを把握せねばならぬ」 「かしこまりました。では、ゲルデ・シュターデの動向を探ります」 そして、気配は消えた。
どうにも、以前の様に事態を思うように制御できない。これはアストリットの動きが変わったことが大きい。 「これはもしや……」 ふと、グレートヒェンは、ある可能性に思い至った……。
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