サラマンダーの撃ってきた矢をかわし、木に隠れると、イルザは無言でギースベルトに指で「右手に回れ」と指示を出す。それに頷き、ギースベルトは右手に回る。一方、イルザは左手に回り込んで、サラマンダーを挟み撃ちにする。 サラマンダーは一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したようだが、イルザを標的にしたようだ。どうやら「アストリット」の身近にいる人間を殺して精神的ダメージを与える、という狙いらしい。だが。 ギースベルトが、イルザの方に向いたサラマンダーに迫る。足音が聞こえてしまうのは織り込み済み。要はサラマンダーの集中を乱すことだが。
ビィン! ヒュッ!
躊躇(ためら)うことなく、サラマンダーはイルザを狙ってきた。 正直驚いたが、イルザは身を屈(かが)めて矢をかわす。その隙にギースベルトがサラマンダーに迫り、剣を突き込もうとするのが見えたが。 器用に右脚を前に伸ばし、左足は後方に伸ばして、ペタリと地に座り込んだ。ギースベルトもギョッとなったが、イルザも驚いた。なんという、体の柔らかさか。 その中で、サラマンダーはニヤリとし、そのまま前屈してスネの弓に矢をつがえた。 「!?」 地面すれすれに飛んできた矢を、横飛びに飛んで避(よ)けることが出来たのは、ほとんど運だったろう。 気を取り直したギースベルトがサラマンダーに斬りかかるも、それを横倒しに倒れてかわしたサラマンダーは、そのまま首元を支点にして、まるで風車のように脚を回転させてその勢いで立ち上がる。 その時、辺りが焦げ臭くなり、黒煙が漂っているのが見えた。 一瞬、何かわからなかったが、先刻サラマンダーの手から落ちた練香(ねりこう)の火が、地に落ちている小枝などに燃え移り、大きくなった火勢のものだと思い至った。 「若、火事です!」 ギースベルトの声と同時に、サラマンダーの逃走する足音が聞こえたが、かまっている場合ではない。イルザは羽織っていた上着を脱ぎ、それを持って火元に向かった。
ウンディーネにジリジリと包囲網が迫る。その数、男四人、女二人。また近くの木を蹴り折ったが、やはり相手に倒れ込むことはなく、途中で別の木に、もたれかかってしまう。 しばらく周囲を見ていて。 ふと、ウンディーネは気がついた。そこで周囲の木をことごとく蹴り折って、自分の周囲に「盾」を作ると、跳躍(ジャンプ)して近くの木の高枝に足をかけ、木に手をあてて体重を支える。下にいて驚いている騎士たちを鼻で嗤い、ウンディーネは言った。 「じゃあね、おバカさんたち!」 そして高枝を器用に飛び移って、林の外に出ると、そこに待機していて馬の番もしていた四人(男二人、女二人だった)の騎士のうち、女の一人を蹴り飛ばし、馬を奪ってノルデンに向かって逃走した。ちょっとして追走の蹄の音が聞こえたが、街の中はこちらに地の利がある。もともと相手のスタートが遅かったのもあって、振り切ることが出来た。
どうにか本格的な火事になる前に火を消すと、もう辺りがすっかり暗くなっていることに気がついた。火元の近くに先端を尖(とが)らせた、いろんな長さの、細めの鉄棒が数本あったが、もしかするとサラマンダーが使う予定で、ここに落としてしまった武器かも知れない。 すっかり焦げて、ところどころ焼けて穴が空き破れた上着を手に、ギースベルトとともに外に出ると、その場のリーダーであるミレッカー騎爵が報告した。 「猿のような奴です。高枝を渡って外に出て、馬を奪って逃走したようです。今、ペーツェルに追わせていますが……」 ちょっとして、騎士ペーツェルが戻ってきた。 「すみません、街の中に入られて、撒(ま)かれてしまいました」 「そうか。ご苦労だった」 ペーツェルの労をねぎらい、イルザは馬から蹴り飛ばされた女性騎士(デイム)・ヒルトマンに近づく。 「大丈夫だったかい?」 エルケ・フォン・ヒルトマンは蹴られた左肩を押さえ、痛そうにしながらも、笑顔で「大丈夫です」と応える。 頷き返すと、イルザは林とノルデンの方を見る。 出来れば、今日この時この場で、ケリをつけておきたかったのだが。 そう思いながら。
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