これはもうダメだ、そう思った時。 不意にウンディーネが、あたしの後方斜め上辺りを見たかと思うと、小さく悲鳴を上げて左手のナイフを取り落とした。あたしの眼には、短剣(さっき、リタに飛んでいった短剣に似ていた)が飛んできて、ウンディーネの短剣を打ち落としたように見えた。なんだろうと、あたしも後方を見ようと思ったけど、まあ、無理よね、水の中にいるし、ウンディーネがあたしの服、掴んでるし。 そしたら今度は風の唸る音がして、その音に反応したようにウンディーネがあたしから手を離し、水の中に潜った。直後、ロープに繋がった両刃のナイフのようなものが、あたしの頭の上を飛び越して、水の中に突っ込んでいった。かと思ったら、そのロープが引き上げられた。 「あんた、こっち側に来いっ!」 後ろから声がしたんで、あたしはそのままの体勢からバタ足で後ろへ向かう。ウンディーネが浮かび上がると、また刃物付きロープが飛んでいく。すると、ウンディーネが水中に潜る。 もうわかった。あの武器、前の周回で見たクレメンスが使ってた縄……なんとかっていう武器だわ。 ウンディーネが浮かぶと、刃物付きの縄が飛んで来るんで、避けるために潜り、の繰り返し。六度目ぐらいから、ウンディーネはかなり離れたところに行った。そしてあたしを睨み、そのまま、もがきながら離れ、壁まで行って蹴ると、去って行く輸送船の船尾に、どうにか短剣で取り付いて、去って行った。 対岸を見ると、リタも撤収したらしい。でも。 ハンナもガブリエラも負傷していたのが見えた。ハンナは左の肩を、ガブリエラは額から血を流してた。
クレメンスが縄鏢(ションピアオ)を垂らして、あたしを引き上げてくれて、そこからちょっと離れたところにある橋(普通の橋と違って、あたしの世界にある歩道橋みたいな感じのヤツ)を渡って、二人と合流した。ガブリエラの傷も、見た目ほどはひどくないんで安心したわ。 ちなみに砲丸を投げ込んだのは、やっぱりリタ。腰当ての裏に仕込んでたんだそうだ。全身、武器の塊か、あいつは?
で。 「……は、腹減った……」 と、前の周回通り、クレメンスが、ぶっ倒れた。
あとは、ほぼ前と同じことの繰り返し。 ただ、ハンナとガブリエラが負傷してるんで、近くの商家で手当てをして、っていうのが加わったぐらいかな? お屋敷に帰ると。 メイドさんたちが一斉に鼻を押さえ、ザザザーッと潮が引くように、あたしたち、ていうかクレメンスから距離を置いた。 うん、ここは同(おんな)じだわ、……納得! で、あたしが事情を話したら、すぐにお風呂を用意してくれて、クレメンスをそこに、たたき込んだ。 用事で出かけてたヴィンは帰ってきてて、あたしが応接室へ連れて行って事情を話すと、ちょっと難しい顔をして言った。 「ミカさん、十分用心してください。サラマンダーについてはその素性はわかってないんです。彼がサラマンダーではないという保障はないんですよ?」 二人きりだから、ヴィン……じゃない、イルザはあたしのことを「ミカさん」って呼んでる。 「わかってるって。でも一応、命の恩人だから、無下には出来ないし。お風呂から出たら、お礼のお金と食料を渡して、出て行ってもらうつもり」 一応、前と同じことを言っておいたけど、前の周回のことを考えたら、いた方がいいのかな? 彼のお陰でウンディーネの潜伏先がわかったわけだし、でも、そのせいでイルザは死んじゃったわけだし。 あたしが悩んでると、ドアがノックされて、ガブリエラだったんで、入室を許可した。一礼して、ガブリエラが言う。 「クレメンスの入浴中、その着衣、及び荷物を検査しましたが、弓矢、クロスボウに類するものは所持しておりませんでした。念のため、騎士数名をクレメンスがいた辺りに行かせて、同様の武器を隠していないか調査させると、トラウトマン警護長からの上申です」 イルザが「ヴィン」として頷く。 ガブリエラが応接室を出て行ったあと、イルザがちょっと考えてから、あたしに言った。 「ミカさんたちが持ち帰った、例の矢ですが」 あのあと、あたしたちは、こっちに飛んできた矢を拾って帰った。あたしのいた世界だったら、科捜研とかで徹底的に調べたら持ち主とかわかるんだろうけど、ここじゃあ、さすがにね。でも、かなり変わった矢だから、ひょっとしたらどこかの工房のマイスター辺りに聞けば、何かわかるんじゃないかって、ガブリエラが言ってた。 「うん。何かわかりそう?」 「自作したのであればお手上げですが、もしどこかの工房で作製したものであれば、発注した者がわかりますから、サラマンダーのことがわかるかも知れません。今、フランクに領内の工房を当たらせています」 この返しも、前と同じ。 「ただ」と、イルザが難しい顔をする。 えーっと、確か「モグリがどうのこうの」だったわよね。
やっぱり、イルザが言ったのは、前と同じことだった。 その時、ドアがノックされた。入室を許可すると、ハンナに連れられて、クレメンスが入ってきた。 イルザは「ヴィンフリート」として、笑顔でクレメンスを迎える。 「あなたがクレメンスさんですか。この度(たび)は、姉上を助けていただき、有り難うございました」 「いやあ、お嬢さまにも言ったンだけどもさ、困った人を見たら助けろってのが、死んだじいちゃんの遺言でさ」 クレメンスも笑顔で応える。 ヴィンが握手を求めてクレメンスに近づいた時だった。 一瞬だけど、イルザの眉がピクリと動いた。でも、すぐ何事もなかったように、クレメンスと握手を交わした。 ……イルザって、調香をしてるってことだから、匂いには敏感なのよね、きっと。 ていうか、あたしにもわかるわ。かすかだけど、まだ臭いもん。 仕方ないか、こっちの世界には強力な消臭剤なんてないもんね。
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