その日、ムッチャクチャしんどい看護学を終えたあと、ハンナの春闘ばりの演説を受けたんで、あたしが話を通してお父様から報酬アップの約束を取り付けた時。 ヘルミーナさんが食堂に入ってきて、言った。 「失礼いたします。ご主人様、フォン・フォルバッハ家嫡男、ハインリヒ様がご主人様にお目通りを願っておりますが、いかがいたしましょう?」 お父様が頷いた。 「うむ、来たか。構わない、通しなさい」 「かしこまりました」 一礼してヘルミーナさんが食堂を出る。 しばらくして軍服姿のハインリヒと、執事さんが入ってきた。 「これは、失礼いたしました。お食事中でしたか。では、別の部屋でお待ちいたし……」 ハインリヒの言葉を制し、お父様が笑顔で言った。 「構わんよ。よかったら、卿(けい)も食卓を囲まないかね?」 驚いた表情でハインリヒが「畏れ多い」と断る。まあ、そうだろうなあ、舞踏会なんていう公式の場であたしを振っちゃったんだもの、ここじゃ、どんな顔していいやら。 「気にしないでくれ。先日も手紙を出した通り、予定通りに事が運んでいるのだ」 ……え? 予定通り? 何が? 執事さんが「ここはご厚意に甘えましょう」なんてことを言うと、ハインリヒも「それではご厚意に感謝いたします」なんて言って、食卓の一角に着いた。 急きょ、人が増えたにも拘わらず、ちゃんとハインリヒの分も用意されてた。どうやら、この時間に来てもいいように、と、お母様が配慮していたらしい。
食事を終え、食後のコーヒーやら紅茶やらが並べられた。ハインリヒがお父様を見る。 「シーレンベック卿、出来れば事情を知っている人間だけで話を進めたいのですが」 「心配ない。マクダレーナも、ヴィンフリートも、知っている」 ハインリヒの視線を受け、お母様とヴィンが頷く。 「そうですか。それでは、どの辺りからお話を?」 ハインリヒの言葉に「うむ……」と言ってから、お父様があたしを見た。 「アストリット。私の祖母ラウラはフォン・ブルクミュラーの家から我が家に嫁いできた。だが、元はフォン・フォルバッハの生まれで、訳あってブルクミュラー侯の家で育てられたのだ」 「そうなの?」とは言っておいたけど、正直、誰が誰やら、さっぱりだわ。 「うむ。ラウラの母であるヒルデガルト・フォン・フォルバッハは、双子の女の子を産んだ。当時は『双子は家を割る』という迷信があってな、家名にとって禍根を残さぬために双子の片方、ラウラをフォン・ブルクミュラーの家に養女に出したそうだ。だが、その際、ヒルデガルトから、ある魔術書を託されたらしい」 「魔術書?」 頷き、お父様は続ける。 「その魔術書だが、不思議なことにブルクミュラーの家では興味を持たなかったらしい。我が家に嫁いでくる時に、それを持参していた」 ハインリヒが捕捉するように言った。 「おそらく『所有権』をラウラ殿に固定していたのでしょう。それにより、フォン・ブルクミュラーの人間の、誰一人として興味を抱かなかったのだと思われます」 「へえ、あるんだ、そういうことって?」 あたしが聞くと、ハインリヒが答えた。 「重要な物を第三者に奪われないようにする魔術だ。だが複雑な上、成功率が驚くほど低い魔術で、騎士物語(ロマンス)にさえ、詠(うた)われることのないマイナーな魔術だよ」 「ふうん。そういう魔術があるんなら、泥棒対策はバッチリよね」 「ああ、確かに」 と、ハインリヒが柔らかい笑みを浮かべる。 あ、この人、こういう笑顔も親しみやすさがあって、素敵だな。 「話を進めるぞ、アストリット?」 お父様が言ったんで、あたしたちは黙って、お父様を見た。 「その魔術書には、ある、驚くべき魔術が記されていた」 「驚くべき魔術?」 復唱したあたしにお父様が頷いた。 「不慮の死を遂げた時、時間を遡って甦る魔術、『イグドラシルの秘法』だ」
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