「我が領内には『ユミルの陵墓(りょうぼ)』があります」 バルドゥルは、応える。 「ああ、確か、うちの領の外(ばず)れにもあったな、ミリヤム?」 顔を向けると、ミリヤムと呼ばれたメイドが頷く。 「はい。国内に何ヶ所か、あったと記憶しております。ご主人様の御領地ではそうではありませんが、観光地となっているところも、ございます」 それに頷き返し、ヒルデガルトは言った。 「かつて、その骸(むくろ)が世界の礎(いしずえ)となった巨人。ユミルについてはそのような伝承があります。そして、国内各地にその陵墓と呼ばれる場所があります。場所によっては、ユミルの顔や手など、体の一部を岩肌や崖に彫りつけているところも。要するに、みな、偽物です。ですが、我が領にあるモノは、本物だったのです、……いいえ、姉が本物にしてしまったのです」 バルドゥルがミリヤムと顔を見合わせる。二人ともが首を傾げ、バルドゥルが聞いてきた。 「ごめん、君の言っている意味がよくわからないんだけど?」 「そうでしょうね。……そもそもは、姉の興味だったそうです。我が領地にある『ユミルの陵墓』には、その地下に不自然な空洞や洞穴があります。専門家の話では、迫害された異民族が隠れ住むために作った住居跡だといいますが、姉は、そこに霊的な力を感じると言い、もしかしたら、ユミルのスピリットを呼べるのではないか、と思ったそうです」 そして、ヒルデガルトは背嚢(ザック)を見る。 「背嚢の中に、本が入っています。その中に『Itinerarium mentis in Deum』という写本があります。その中に書かれてあるのは、『自己の中に神を見いだし、そうやって自覚された己の魂を、外なる神と合一させる魔術』です。姉はそれを実行することにより、我が領にあった『ユミルの陵墓』に、巨人ユミルの実体を……」 言いかけて、バルドゥルは眉をひそめ、ミリヤムがきょとんとなっていることに気がついた。少々、専門的なことに踏み込んでしまったと思わず苦笑が浮かぶのを感じる。 「お? なんか、笑いが浮かんだな? スープを飲む余裕が出来たか?」 バルドゥルがニヤリとする。そういう笑みではなかったが、その軽口にわずかばかり気持ちがほぐれる。 「すみません。要するに、姉が魔術を実行した結果、形ばかりの偽物であった『ユミルの陵墓』の地下に、本当に巨人ユミルの姿が現れたのです」 「君の姉さんが、そんなことを?」 「はい。あたしには姉がいます。四つ年上で、アンゲリカといいます」 「ほう、アンゲリカ・フォン・マイスナーが、ねえ……」 バルドゥルが右手を顎に当てる。気になって、ヒルデガルトは尋ねる。 「あの、姉がなにか?」 ミリヤムが笑顔で応えた。 「有名ですよ、選帝侯の家の中で、もっとも知に秀(ひい)でた才媛(さいえん)だ、と」 「そうなのですか?」 二人が頷く。 驚いた。自分は、ある意味で「籠(かご)の中の鳥(とり)」のような状態であったから、外のことをほとんど知らなかったが、それは言い換えれば、外から見た自領地のことも知らないということでもあるのだ。 「ああ、ごめん、話を続けてくれ」 バルドゥルが促したので、ヒルデガルトは続けた。 「それからの姉は、蔵書の魔術書、各地から取り寄せた魔術書、様々な物を試したようです。そして、ある日、言ったのです。『巨人ユミルを甦(よみがえ)らせることが出来る』と」 にわかには信じられない話だ。バルドゥルもミリヤムも、どこか、おとぎ話を聞いているかのような表情だし、ヒルデガルトもこの目で確認し、自身に体現させなければ、信じられない世迷い言だろう。 「そして、その巨人を甦らせるために、姉や父は……」 ここから先は、自然と喉に言葉が詰まった。誰かに身内を告発するのが、これほど心痛であったとは、想像すら出来ていなかった。 だが、二人は視線でその先を促す。その目は事情を知らぬ無知であるが故に、残酷で同時に、他人の家を覗いてその恥を言いつのろうとする、いやらしくて悪趣味極まりない外道にさえ思えた。 だが、ここは避けては通れない。ヒルデガルトは、まさに血を吐く思いで言った。 「姉や父は領民たちを、生け贄にしたのです」 二人が息を呑む。ミリヤムは両手で口を覆い、バルドゥルは眉の間にしわを寄せて口の端を歪(ゆが)めている。 「姉によると、世界を形作るために失われた血と肉が、『ユミル』には必要なのだそうです」 それを告げた時の、姉の狂気にも似た笑みが忘れられない。
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