背後で、なにかが転がる音が響いた。最初の罠(トラップ)である、落石の音だ。しばらくして、今度は金属がぶつかるような音。第二の罠(トラップ)・大弓に仕掛けた矢羽根突きの複数の鎗が発動したのだろう。それを剣で弾く音だ。もしかしたら騎士や兵が装着した鎧に当たる音かも知れない。 上り坂にさしかかった時、遠くでくぐもった何かの音。多分、第三の罠・底に先端をとがらせた木杭(きぐい)を仕掛けた落とし穴だ。くぐもった音は、その木の杭に刺し貫かれた兵の絶叫か? ここまでのことをしなければならなかったのか、と、己(おの)が浅慮(せんりょ)を悔いながら上り坂を駆け上っていると、突然、風が背後から迫ってきた。そして、その風が過ぎると、前方二十五エル(約十メートル)ほどのところに、あちこちが破れた簡素なドレスを着た少女が立っていた。 執事がカンテラを向けると、その少女の姿、面貌が明らかになる。少女が憎悪をにじませた凄惨な笑みで言った。 「ふざけたマネをしてくれたわね、ヒルデガルト。『ユミルの眼』だけでなく、『ユミルの右腕』まで、かっぱいでいくとはね」 もう少し時間があれば、左腕もこちらのものにすることが出来たのだが。そう思いながらも、ヒルデガルトは言った。 「あの罠を、よくかいくぐって来られましたね、お姉様?」 鼻で嗤い、少女……アンゲリカが答えた。 「落石。こんなものは、罠のうちには入らない。『ユミルの耳』があれば、石を留めている網(あみ)、それを岩肌に止めている綱(つな)の一つを切ろうとしている何者かの、息吹(いぶき)さえ聞こえたわ。進路を塞いだ石も、巨人の膂力(りょりょく)があれば、なんということも。第二の罠も同じ。大弓の弦(つる)を留めている綱を切る騎士の息吹が、耳元で聞こえたわ。こっちに向かって飛んできた鎗も、我が家門に仕える騎士たちには、何ら障害にならない。もっとも、その資格のない者は、その時に鎗に貫かれて、絶命したようだけど?」 アンゲリカがゆっくりと歩み寄ってくる。 「三つ目の落とし穴に至っては、罠とさえ言えないわ。巨人にとっては何十エル、いいえ、何百、何千エルでさえ、ほんの一またぎ、一瞬のことだわ。もっとも、多くの者はその穴に落ちて、さらにそこに待機していた騎士が放った、板バネ式でなだれ込んできた土砂で、動けなくなっていたようだけど? あなた、せっかくの巨人の右腕で土木工事をやるなんて、どうかしてるんじゃないの?」 ヒルデガルトの背後から、坂道を駆け上る足音と、鎧のすれる金属音がした。 「ヒルデガルト様!」 罠を発動させた騎士、三人が、こちらに追いついてきたのだ。ヒルデガルトは言った。 「ごめんなさいね、あなたたちに同士討ちをさせて」 本当に申し訳ない気持ちで言うと、三人の中のリーダー格が言った。 「いいえ。あの者たちは、非道の振る舞いを是(ぜ)とする者たちでした。いつかレオポルト様が粛正(しゅくせい)なさるのでは、と思っていたところです」 他の二人も頷く。 アンゲリカが言った。 「さあ! 何をやったのか知らないけど、『ユミル』の眼と右腕を返しなさいッ!」 ヒルデガルトたちは、少しずつ後じさる。騎士たちは、ヒルデガルトと執事をかばうように、剣を構えて前に出る。 「……そう。いい度胸だわ」 二十エル(約八メートル)ほど斜め上の位置から、アンゲリカが左腕をこちらに伸ばした! ヒルデガルトも、右腕を伸ばす! 両者の間の空間で爆裂音が響き、赤や青の閃光がいくつも弾けた! 「グウウウゥッ!?」 念を込め、アンゲリカの左腕を防ぐも、相手には「ユミルの腕」の行使に一日(いちじつ)の長(ちょう)がある。「右腕」に、完全にヒルデガルトの支配が及んでいないのがわかった。アンゲリカに押され、ジリジリとヒルデガルトは坂道を滑り降りていく。 その隙に騎士たちがアンゲリカに斬りかかる。 だが、アンゲリカはその騎士たちを軽々と、否、むしろ華麗とさえ見える動きで蹴り飛ばした。一人は岩肌に背中を強く打ち、二人はヒルデガルトの後方へ、転げ落ちていった。
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