で、シェラのあとについて、応接室に向かった。 応接室に行くと、ソファに軍服らしい服を着た二十代中頃の青年が座ってて、その近くに執事らしい初老の紳士が立ってる。で、ボブカットの、うちのメイドさん……パトリツィアが給仕していた。 青年の顔には覚えがある。もう何回も見てるし。 あたしが近づくと、青年が立ち上がり、神妙な表情をこっちに向けた。そして。 「フロイライン・アストリット、貴女(あなた)には、たいへんなことをしてしまった。本当に申し訳なく思っている。この通りだ、どうか許して欲しい」 そう言って、深々と礼をする。あたしとしては、正直、こんな風に丁寧な謝罪を受けるいわれはないんで、むしろこっちの方が申し訳ないんだけど、アストリットとしては激怒するべき。 なので。 「ハインリヒ、顔を上げて?」 その言葉にハインリヒが顔を上げてこっちを見る。それを見計らって、あたしは右手で彼の左頬を思い切り張った。 するとハインリヒは。 「ぐおぅわはぁぁぁぁぁッ!?」 そんな悲鳴を上げ、破裂音とともに、クルクルクルー、って宙で、高速できりもみ回転して、吹っ飛んだ。 「え……、うええええええっ!? なになになになに!?」 待って待って待って待って!? 確か、いつかの時も平手打ちで、吹っ飛んじゃったけど、なんで、あたしの平手で吹っ飛んじゃうの、この人!? 床に倒れ込んだハインリヒに、執事さんが駆け寄り、「坊ちゃま!?」と介抱する。 「あの、大丈夫ですか!?」って、思わず聞くと。 しばらく無言(サイレント)の時間。 ……白目剥いて、引きつってないかな、この人? どうしよ、死んじゃったら!?
シーレンベック領内殺人事件!! 執事とメイドは見た、貴族の令息と令嬢の愛と憎悪の涯(はて)!
……いやあ、ないわあ。でも、あとで死んでループをすれば、すべてはなかったことに……。
「あ、ああ、大丈夫だ、フェリクス……」 焦点の合わない目で執事さんを見て、鼻血をダラダラ流しながら、起き上がるハインリヒに、執事さんがハンカチをあてる。
よかった、死んでなくて。あたしも死ななくてすんで、よかったわ。
執事さんから渡されたハンカチで鼻血を拭いて、鼻を押さえながらハインリヒが言った。 「だんだん強烈になるね、君の一撃は。あたかも巨人の力のようだ……」 巨人の力? 何言ってんの、この人? あたしの疑問をよそに、執事さんの肩を借りながら、ハインリヒは立ち上がる。 立ち上がった彼に、とりあえずあたしは。 「えと、あの。ごめんなさい」 と謝った。 いや、本当、申し訳ないわ。 ハインリヒは痛そうにしながらも笑顔を浮かべて言った。……無理してるのが、見えるんだけど? 「いや、気、気にしないでくれ。非は全面的に私にある。償い、というのではないが、もし困ったことがあったら、私に相談してくれ。きっと君の力になる。約束する!」 最後の方は真剣な表情になってた。 あ、どうしよう、この人、かっこいい。あらためて見ると、顔もあたし好みだし。やっぱ、いいわ、この人。 「本当に力になってくれる?」 だからかな、思わず、あたしはそう口走ってた。 「ああ、必ず」 力強い笑顔で、ハインリヒは頷く。この笑顔と言葉、信じていいかな? 「たとえ、あたしが妙ちきりんなことを言っても?」 ……なんで、あたし、こんなこと言っちゃったのかな? 「妙ちきりん?」 ああああああああ、乗ってきちゃったじゃん! 「妙ちきりんなこと、ってなんだい?」 「ああ、気にしないで! 今の忘れて!」 さすがに、あのことを話すわけにはいかないわ、外部の人に! 「大丈夫、さっきも言ったろ、君の力になるって?」 うわあ、がっつり食いついてきちゃったわ。 ……まあ、いいか。 「ハインリヒ、耳、貸して?」 ハインリヒが顔を寄せてきたので、あたしは小声で言った。 「あたし、死んでは時間を巻き戻って生き返り、ってことを何度も繰り返してるの」 次の瞬間、ハインリヒが息を引く。 はい、この次はハインリヒのバカ笑い決定! ハインリヒがあたしを見る。でも、その表情は真剣そのものだ。そして、瞳だけを動かして、誰かを見てから、あたしに聞こえる程度の声で言った。 「アストリット、今夜、このフェリクスと、シーレンベック卿、そしてそちらのシェエラザードというメイドを交えて、話がしたい。それからその席には、今ここにいるメイドは外して欲しい」 「え? パトリツィアを?」 「シッ! 彼女を見ないで! いいね?」 その言葉に、あたしは頷いていた。 だって、彼の表情、本当に真剣だったんだもん。
「坊ちゃま、そろそろ、お時間です」 執事さんが、そんなことを言うと、ハインリヒは執事さんに頷いて、こっちを向いて言った。 「申し訳ない、今日は王都に行かないとならないんだ。諸侯の男子のうち、領内で砲兵隊の指揮権を持った者の、いわば合同演習があるので」 そして応接室を出て行った。 あたしは思わず、あとを追っていた。 正面玄関で、ハインリヒは振り返り、あたしをじっと見た。そして。 「じゃあ、今夜、また」 真剣な表情で、そう言い、屋敷を出た。 あとに残ったあたしは玄関を出て、その背が馬車に乗るまで追いかけていた。
|
|