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作品名:婚約破棄された令嬢は婚約者を奪った相手に復讐するのが習わしのようです 第一部 作者:ジン 竜珠

第65回   信じてみようかな?
 で、シェラのあとについて、応接室に向かった。
 応接室に行くと、ソファに軍服らしい服を着た二十代中頃の青年が座ってて、その近くに執事らしい初老の紳士が立ってる。で、ボブカットの、うちのメイドさん……パトリツィアが給仕していた。
 青年の顔には覚えがある。もう何回も見てるし。
 あたしが近づくと、青年が立ち上がり、神妙な表情をこっちに向けた。そして。
「フロイライン・アストリット、貴女(あなた)には、たいへんなことをしてしまった。本当に申し訳なく思っている。この通りだ、どうか許して欲しい」
 そう言って、深々と礼をする。あたしとしては、正直、こんな風に丁寧な謝罪を受けるいわれはないんで、むしろこっちの方が申し訳ないんだけど、アストリットとしては激怒するべき。
 なので。
「ハインリヒ、顔を上げて?」
 その言葉にハインリヒが顔を上げてこっちを見る。それを見計らって、あたしは右手で彼の左頬を思い切り張った。
 するとハインリヒは。
「ぐおぅわはぁぁぁぁぁッ!?」
 そんな悲鳴を上げ、破裂音とともに、クルクルクルー、って宙で、高速できりもみ回転して、吹っ飛んだ。
「え……、うええええええっ!? なになになになに!?」
 待って待って待って待って!? 確か、いつかの時も平手打ちで、吹っ飛んじゃったけど、なんで、あたしの平手で吹っ飛んじゃうの、この人!?
 床に倒れ込んだハインリヒに、執事さんが駆け寄り、「坊ちゃま!?」と介抱する。
「あの、大丈夫ですか!?」って、思わず聞くと。
 しばらく無言(サイレント)の時間。
 ……白目剥いて、引きつってないかな、この人? どうしよ、死んじゃったら!?

 シーレンベック領内殺人事件!! 執事とメイドは見た、貴族の令息と令嬢の愛と憎悪の涯(はて)!

 ……いやあ、ないわあ。でも、あとで死んでループをすれば、すべてはなかったことに……。

「あ、ああ、大丈夫だ、フェリクス……」
 焦点の合わない目で執事さんを見て、鼻血をダラダラ流しながら、起き上がるハインリヒに、執事さんがハンカチをあてる。

 よかった、死んでなくて。あたしも死ななくてすんで、よかったわ。

 執事さんから渡されたハンカチで鼻血を拭いて、鼻を押さえながらハインリヒが言った。
「だんだん強烈になるね、君の一撃は。あたかも巨人の力のようだ……」
 巨人の力? 何言ってんの、この人?
 あたしの疑問をよそに、執事さんの肩を借りながら、ハインリヒは立ち上がる。
 立ち上がった彼に、とりあえずあたしは。
「えと、あの。ごめんなさい」
 と謝った。
 いや、本当、申し訳ないわ。
 ハインリヒは痛そうにしながらも笑顔を浮かべて言った。……無理してるのが、見えるんだけど?
「いや、気、気にしないでくれ。非は全面的に私にある。償い、というのではないが、もし困ったことがあったら、私に相談してくれ。きっと君の力になる。約束する!」
 最後の方は真剣な表情になってた。
 あ、どうしよう、この人、かっこいい。あらためて見ると、顔もあたし好みだし。やっぱ、いいわ、この人。
「本当に力になってくれる?」
 だからかな、思わず、あたしはそう口走ってた。
「ああ、必ず」
 力強い笑顔で、ハインリヒは頷く。この笑顔と言葉、信じていいかな?
「たとえ、あたしが妙ちきりんなことを言っても?」
 ……なんで、あたし、こんなこと言っちゃったのかな?
「妙ちきりん?」
 ああああああああ、乗ってきちゃったじゃん!
「妙ちきりんなこと、ってなんだい?」
「ああ、気にしないで! 今の忘れて!」
 さすがに、あのことを話すわけにはいかないわ、外部の人に!
「大丈夫、さっきも言ったろ、君の力になるって?」
 うわあ、がっつり食いついてきちゃったわ。
 ……まあ、いいか。
「ハインリヒ、耳、貸して?」
 ハインリヒが顔を寄せてきたので、あたしは小声で言った。
「あたし、死んでは時間を巻き戻って生き返り、ってことを何度も繰り返してるの」
 次の瞬間、ハインリヒが息を引く。
 はい、この次はハインリヒのバカ笑い決定!
 ハインリヒがあたしを見る。でも、その表情は真剣そのものだ。そして、瞳だけを動かして、誰かを見てから、あたしに聞こえる程度の声で言った。
「アストリット、今夜、このフェリクスと、シーレンベック卿、そしてそちらのシェエラザードというメイドを交えて、話がしたい。それからその席には、今ここにいるメイドは外して欲しい」
「え? パトリツィアを?」
「シッ! 彼女を見ないで! いいね?」
 その言葉に、あたしは頷いていた。
 だって、彼の表情、本当に真剣だったんだもん。

「坊ちゃま、そろそろ、お時間です」
 執事さんが、そんなことを言うと、ハインリヒは執事さんに頷いて、こっちを向いて言った。
「申し訳ない、今日は王都に行かないとならないんだ。諸侯の男子のうち、領内で砲兵隊の指揮権を持った者の、いわば合同演習があるので」
 そして応接室を出て行った。
 あたしは思わず、あとを追っていた。
 正面玄関で、ハインリヒは振り返り、あたしをじっと見た。そして。
「じゃあ、今夜、また」
 真剣な表情で、そう言い、屋敷を出た。
 あとに残ったあたしは玄関を出て、その背が馬車に乗るまで追いかけていた。


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