右手にある最初のドアを開ける。騎士たちや使用人たちが使うダイニング。真っ暗だけど、誰もいないのはわかる。あ、ちょっといい匂いが残ってる。あたしたちと、まったく同じ献立じゃないけど、今夜は同じ、野菜と肉のスープだったみたい。 次のドアは同じダイニングのドアなんで、その次のドアを開ける。ここは休憩室みたい。真っ暗だけど、やっぱり誰もいないのがわかる。 次の部屋は左手にある。ここは厨ぼ……。 「あれ? 鍵が開いてる?」 南京錠が解除されて、ドアが開いてる。で、入って、しばらく歩いて右にある部屋のドアも開いてた。遠目に見ても、解除された南京錠がぶら下がってるのがわかる。なんだろうと、そこに近づくと、ごそごそと、物音がしてる。 まさか、泥棒!? どうしよう、誰かに報せなきゃ! でも、騎士が表門で警備してるこのお屋敷に、泥棒が入るなんて! あたしが騎士の詰め所に向かって駆け出そうとした時、その部屋の中から明かりが動いてきて、ランタンを手にした誰かが出てきた! 悲鳴を上げそうになって息を引くと、その人物と目があった。 「パ、パトリツィア!?」 「お嬢さま!?」 お互い、驚いた。ていうか、パトリツィアが、普段見せないビックリ顔をした。 「な、何してるの!?」 「え、えと、あ、あの……」 パトリツィアが困惑しきった表情で目を泳がせる。初めて見たな、この子の、こんな表情。 ちょっとしてパトリツィアがうつむいて、答えた。 「……す、すみません、お腹が空いてしまって、その……」 見ると、ランタンを持ってない方の手には、小さめのバスケット。その中には、パンや干し肉、ブドウ酒なんかがあった。 「お腹が、って……。まあ、今日はいろいろあったからね。でも、鍵は、どうやって開けたの?」 「私たちメイドの宿舎に、いろんなお部屋の合鍵があるんです」 「ああ、そうなんだ。初めて知ったわ」 うなずいてるあたしに、もじもじして、パトリツィアが言った。 「あの……。すみません、見逃してください!」 そして、パトリツィアが深々と頭を下げた。 それを見ていると、なんか、かわいくなってくる。あたしも、夜中に冷蔵庫開けて、スイーツとか出してお夜食にしてたなあ。 「うん、わかった。でも、今晩だけよ?」 あたしがそう言うと、パトリツィアがパァッと明るい笑顔を浮かべて(笑顔、出来るんだ、この子……)、何度も「有り難うございます!」とお辞儀してた。
鍵を閉め、パトリツィアは廊下を歩き、裏庭へと出た。さすがに、お屋敷の中では食べられないか。 あたしは、そのまま、廊下を歩く。左手には、お風呂へ通じるドア、おトイレがあって……。角を曲がって書庫があって、応接室、エトセトラ。 でも、誰もいなかった。 他の階も見て回ったけど、人影はなかった。 今夜は、あの白い影、出現しなかったのかな?
王と王妃の閨(ねや)に、ある人物が現れた。 ベッドから起き上がり、王妃はその影を見る。 「お前か。……ン? 怪我をしているな。何があったのだ?」 「攻撃されました」 「攻撃?」 「はい」 「誰に?」 「アストリット・フォン・シーレンベックでございます」 その返答に、王妃は思わず目を見開いた。 「なんと!」 声も大きくなった。王が起き上がり、寝ぼけ眼(まなこ)をこする。しかし、それには気を留めず、王妃は言った。 「フ、フフフフ。これは面白い。以前のアストリットは戸惑い怖れ、翻弄されているだけの小娘であったが、ここ十回近くのアストリットは、まるで別人だのう。シルフを退(しりぞ)け、ウンディーネを退け、今日はお前を負傷させた。まさに、別人だわ。何度も死んでいるうちに、度胸が据わったのかしら?」 影は何も答えない。王は、ただ、ぼんやりと影を見ているだけのようだし、事実、そうであった。王妃は呟いた。 「フフフフ、それならそれでもよいわ。『イグドラシルの秘法』そのものとは無縁の妾(わらわ)じゃが、こちらには『ユミルの脳髄』がある。記憶を持ち越せるのは、お前だけではないぞ、アストリット。今度は主(ぬし)の思惑をさらに外してみせようぞ。そして必ずやお前を殺し、『ユミルの眼』を取り返してくれる。もう、お前には『時間』もさほど残ってはおるまいからのう」 愉快な心持ちになって、王妃は笑う。王は王妃を見たが、特に何を言うでもなく、横になった。 影は一礼して言った。 「どうぞ、ご下命を」 王妃はニヤリとして、影を見た。
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