ゴールデンウィークの初日、その夕方。あたしは商店街を歩いていた。夕ご飯のおかずを買うためだ。この時間にしたのは、タイムセールを狙うため。 「さて、と。やっぱりカレー辺りが無難かなあ?」 スーパーの入り口に向かった時。 「よう、小松崎」 あたしを呼ぶ声がした。振り向くと、そこにいたのは。 「大久保(おおくぼ)先輩」 同じ中学で、二個上の先輩だった、大久保(おおくぼ)貴晴(たかはる)先輩だった。先輩の身長は一八五センチ。あたしは先輩を見上げる。先輩が笑顔で聞いてきた。 「買い物か?」 「はい。お母さん、高校の時の同窓会で今日明日、いないんです。それで晩ご飯をあたしが」 「お? 中学時代、家庭科部で鍛えた料理の腕が、今、遺憾(いかん)なく発揮されるわけだな?」 あたしと大久保先輩は、中学の頃、家庭科部に入っていた。家庭科部、っていっても、実質は調理部だったけど。 「何にするんだ?」 「カレーあたりが無難かと。お父さん、カレー、好きだし」 「おいおい、冒険しようぜ?」と、先輩は呆れたように言う。 「しません。あたしは堅実派なんです」 そして、スーパーの入り口を見る。鏡のようになったガラス戸に、どこか不自然なあたしの顔が映っている。 「……なんか、あったか?」 先輩があたしの背後から声をかけてくる。同じくガラス戸に映る先輩の笑顔は、とても優しい。 「なんかあるんなら、相談に乗るぜ? うちの喫茶店で、コーヒーでも飲みながら、さ」 先輩の家は喫茶店をやっている。 あたしは思わず眉をピクリと動かして、言った。 「先輩、後輩に、たからないでください」 「頼むよう〜。この物価高で、お客さん、減っちゃってさあ」 泣きそうな顔で先輩は言う。 「値下げしたらどうですか?」 「そんなんしたら、うちが潰れるって」 少し考えて、あたしは言った。 「……本当に、話、聞いてくれますか?」 先輩がニッコリして言った。 「ああ。かわいい後輩が悩んでるんだ」 あたしは、先輩に連れられて、喫茶「マイルストーン」へ行った。
「やあ、いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれたのは、この喫茶店のマスターで先輩のお父さんだ。 「未佳ちゃん、もしかして、うちのバカ息子に強引に誘われた?」 「何言ってんだ、バカ親父!」 二人はいつもこんな感じで、軽口をたたき合っている。ちなみに、先輩は高校卒業後、料理の専門学校に通っている。お父さんの手伝いをするのだそうだ。 お客さんは本当にいなかったけど、あたしたちは一番奥のボックス席に着いた。先輩はコーヒー、あたしはココアを注文して、世間話。オーダーしたものが来て、一口、ココアを含む。ほどほどの温かさと甘さが、あたしの心をほぐしていった。 「先輩」 「ん?」 「先輩、『LINEいじめ』って知ってますか?」 「ん? まあ、な」 「あたし、それに加担しちゃったんです」 「加担? お前が? らしくねえな」 先輩は苦笑を浮かべる。でも、あたしは笑う余裕なんてない。 「ささいなきっかけだったと思うんですけど、気がつくとあたしと仲のいい友だちが、グループの中でイジメに遭ってて。あたし、それをやめさせようと思ったんですけど、うかつなことをすると、あたしまで……。それで、いつの間にか、リアルでもその子を無視するようになっちゃって……。その子、学校に来なくなって……」 先輩は無言で話を聞いてくれた。
話を聞き終えて、先輩はコーヒーをすすって言った。 「相談に乗る、とか言っといて、簡単に答えは出せないけどさ。まず、この言葉を最初に言っとくわ」 そう言って、先輩は組んだ両腕をテーブルに置いて、身を乗り出して言った。 「やり直しのきかない人生なんてくだらないものは、ないと思うぜ? 親父の受け売りだけどさ。お前が本当に申し訳ないって思ってるんなら、手はあると思う。そりゃあ、勇気は必要だと思う。でも最初にちょっとだけ踏み出すだけで、何かが動くんじゃないか?」 「先輩……」 あたしは先輩の瞳を見た。なんか、心強いな、今日の先輩。 先輩は、とびきりの笑顔で頷いて言った。 「もし、それでも一歩が踏み出せないなら、また、うちに来い。で、お金、落としてくれ」 「……先輩、後輩に、たかんないでください」 さっきの気持ちは、あたしの錯覚だったようだ。
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