「…………え? これ、は……!?」 ハインリヒは書庫で一冊の本を手に、頭の動きが一瞬止まった。そして。 「私はベッドで、眠りについていたはず。……まさか、アストリットが、死んだのか……?」 窓の外を見る。陽光が大地に降り注いでいた。大急ぎで書庫を出て自室に戻り、カレンダーを確認する。 「……八ヶ月、巻き戻っているのか……! なんてことだ……!?」 ハインリヒは頭を抱える。思った以上に「ラグナロク」の動きは速い。 「こうしてはいられない!」 ハインリヒは自室を出て、まず、父・テオバルトの執務室へ向かう。ノックをする。 『誰か?』 幸い、執務室にいたようだ。自分の幸運を神に感謝しつつ、ハインリヒは言った。 「ハインリヒです! お話が!」 『入りなさい』 「失礼します!」 ドアを開け、中に入る。ドアを閉め、デスクに向かうと、その途中でこちらを見ていたテオバルトが言った。 「カスティーリャ=レオン王国国王フェルナンド一世の在位は?」 いきなり何を言うのかと思ったが、ハインリヒは立ち止まり、記憶を検索する。 「一〇三五年から一〇六五年です」 「カスティーリャ=レオン王国とアラゴン王国との連合成立年は?」 「一四七九年です」 「その時の王は?」 「フェルナンド二世、カスティーリャ王としては、フェルナンド五世」 「その在位年は?」 「アラゴン王としては一四七九年から一五一六年まで、カスティーリャ=レオン王としては一四七四年から一五〇四年までです」 「うむ。落ち着いたかね?」 その言葉に、ハインリヒは肩が上がり、呼吸が若干、速くなっていたことに気づいた。いつもながら、父の洞察力には脱帽だ。本来の用件とは別件で思考を巡らせることで、一瞬、意識をそらして落ち着かせる。時々、父が使う手だ。 「父上、お話があるのですが」 その言葉に、テオバルトは眉を厳しくして言った。 「うむ、わかっている。また『イグドラシル』が発動したのだな?」 頷いて、ハインリヒは言う。 「では、オーストリア大公国に留学しているヴィクトリアに手紙を」 「ああ、文面は同じでいいな?」 頷きかけて、ふと。 「少し、追加してもよろしいでしょうか?」 と、ある「文章の草案」を言う。 テオバルトが問うた。 「それは、初めてのことか? それとも、かつて使ったことか?」 「わかりません。使った手かも知れないし、そうでないかも知れない」 「ふむ」 と、テオバルトは顎に手をやって少し考えると。 「よかろう、その文を書き加える。打てる手は、打っておくべきだ」 「有り難うございます」 ハインリヒは頭を下げる。 「シーレンベック卿への手紙、その文面に新しく加えることはあるか?」 少し考えたが、思いつかない。その様子を見て、テオバルトが言った。 「明日の朝、手紙を出す。今夜、二十一時までに考えておきなさい」 「有り難うございます、父上」 頭を下げ、ハインリヒは「失礼します」と、部屋を出た。 数ヶ月後に、グートルーン・フォン・リヒテンベルクを名乗る女が現れて、妙な催眠術をかけて新たな婚約者の座に着く。高祖母ヒルデガルトが持参してきた写本にあった術を自らに施しているハインリヒには、その術は効かないが、ここは乗っておく。女の目的は、正直なところ、わからない。おそらく詐欺の類(たぐ)いだろうが、アストリットに婚約破棄を言い渡す舞踏会以降、その姿を消すから、無視してもいいだろう。 あとは。 「アストリットの信頼を回復し、その力になる。今度こそ、この巻き戻しを終わらせる!」 強い決意とともに、ハインリヒは書庫へ向かった。
☆なぜ現実の地名等が出ているのか、終盤でわかります。
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