ヴィンの御遺体は、お屋敷の敷地内にある礼拝堂に、一時的に置かれることになった。夜が明けてから教区教会の牧師さんに来てもらい、大聖堂に運び込むことになるという。 あたしは部屋に戻り、ベッドに腰掛けていた、手に短剣を持って。 この短剣を喉に滑らせれば、あたしは死んでまたループし、ヴィンは生き返る。でも……。 ループするのには、特別な条件が必要だとしたら? 例えば人に殺される、というのがあるとしたら? それ以前に、もしループしなかったら? ループには回数制限があって、もう使い切ってるとしたら? あたしは、短剣を喉に当てる。そんな難しいことは抜きにして、賭けてみよう。そう思ったけど。 手が小刻みに震えているのを感じた。刃(やいば)の冷たく硬質な感触が、あたしの中に恐怖をわき起こさせる。 いや、死にたくない、死にたくない! 気がつくと、あたしは短剣を下ろしていた。 大きく息をつく。 あたしは、いくじなしだ。もしかしたら、ループしてやり直せるかも知れないのに。 「……そうよね。あたし、いくじなしよね。だから、あんなことに……。夢津美(むつみ)が、あんなことに……。あたしに勇気があれば」 あたしは、もう一度、短剣を見た。 簡単じゃない、この刃(やいば)を、サッと滑らせるだけ。たったそれだけで、ヴィンは生き返るの。なぁんだ、簡単なことじゃない! そして短剣を喉元へ持っていこうとしたけど。 手が上がらない。 あたしは、また大きく息をついた。いい加減、自己嫌悪に陥った時。 ドアがノックされた。そして『お嬢さま、まだ起きていらっしゃいますか?』と、パトリツィアの声。 「起きてるわよ」 『今、よろしいでしょうか?』 何か、話があるのかな? うん、気分を変えるのに、いいかも? あたしは自分でドアを開けた。 「いいけど、なに?」 「裏庭まで、出ませんか? 夜風の中で聞いていただきたいことがあるのです」 夜風って、もう深夜だけど。 「まあ、いいわ」 あたしは、パトリツィアと一緒に、裏庭まで行った。
さすがに、静かだわ。まあ、車とか走ってないから、静かなのも当たり前だけど。 「お嬢さま、ヴィンフリート様の亡骸(なきがら)を前にして、ご主人様や奥様の態度が、余りに冷淡だったとは、お感じになりませんでしたか?」 「……うん」 確かに、おかしかった。あれは、肉親の死を前にした態度じゃなかったと思う。 「実は、ヴィンフリート様は、ご主人様の本当のお子様ではないのです」 「……え?」 「シーレンベックの家を継ぐ男児が産まれなかったので、さる家から男児を買いました。それがヴィンフリート様です」 「………………」 あたしは体も頭も硬直した。そんなあたしに、気がついているのかどうなのか、パトリツィアは話を続ける。 「奥様は当時、妊娠なさっていらっしゃいましたが、流産なさったそうです。流産した子どもは、女児だったそうです。……そのことは、ヴィンフリート様はご存じで。それは、関係ないのですが……。それで……」 ここでパトリツィアは言いよどんだ。ちょっとショックで頭も回転が鈍ってるけど、あたしは先を促した。 「それで……、なに?」 「はい……」 パトリツィアもなんだか、言いにくいみたい。ランタンを持ってきてるけど、薄暗いから、パトリツィアの顔は青ざめているように見える。 少しだけ間を置いて、パトリツィアは決心したように頷いて、言った。 「ヴィンフリート様は、将来、家督を継ぐ際に、お嬢さまを妻にしたいと」 「……え? そう、なの?」 「はい。それなら特に問題はありません。お二人は血が繋がっていませんし、似たような先例もありますし。ですが、結婚した後は、ある家から養子をとって家督を継がせる、と。もしお嬢さまが懐妊(かいにん)なさっても、その子どもは“よそ”に出す、と」 「……はあ? ちょっと待って? それって、どういうこと?」 「ですから、シーレンベックの血を継ぐ子どもは、よそへ……この世とは違うところへ出す、と」 ここで、あたしにも理解できた。 「つまり、シーレンベックの血を絶やす、と?」 パトリツィアは無言で頷く。 「私もここまでしか知らないのですが、どうやら、ご主人様たちにはヴィンフリート様に逆らえない、何かがあるようで」 「つまり、弱みを握られてる、と?」 パトリツィアは、無言で頷く。 うわ、なんか頭が混乱ていうか、クラクラする。まさか、あの子が、そんなこと考えてたなんて。 「も、もしかして、ヴィンって、シーレンベックの家に、なんか恨みでもあるの?」 「ヴィンフリート様の本当のご両親が、ご主人様に破滅させられたという噂はあるのですが、定かでは……。お嬢さま、ヴィンフリート様は、そのような人間でした」 そして、一礼してパトリツィアは建物の中に戻っていった。 残ったあたしは、とにかく頭が、ごちゃごちゃになっていた。とても素直ないい子だと思ってたけど、心の中には、ドス黒い炎が燃えてたなんて。 ぶっちゃけ、あたし自身はシーレンベックの家とは関係ないから、血が絶えるだの何だのって話には、実感が湧かない。でも、身近でドラマみたいなことが起きてるって思うと、気分が悪くなる。アニメなんかだと、貴族は腐ってたりする。でも、この家は違うって思ってた。 「ああ〜、ほんと、混乱」 あたしは夜空を見上げた。その時、シトラスの香りが漂ってきて……。 「え? これ、まさか!?」 サラマンダー!! 「うぐっ!?」 背中に激痛が走った! 「こ、これ……、あの、とき、の……!」 背中の激痛は胸を貫いて、虚空へと走っていって。 目の前が真っ暗になった。
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