あの船は物資輸送用の船だった。荷馬車に積むのには大きすぎるとか、多すぎる、重すぎる荷物があるっていう場合に使われるらしい。ただ、大きい水路でないと使えないし、他の国との輸出入にも使われるっていうことだから、頻繁には使用されないんだって。 それはそうと、あたしを助けてくれた少年はクレメンスと名乗り、王国の一番東にあるライマン伯爵領の庇護下にある、ブランケンハイムという街から、王国の南回りの街道を通って北の海を越え、エリン島へ行く途中だと言った。 あたしたちは、まだ例の通りにいて、お行儀悪いけど建物を背にして座り込んでた。だって、クレメンスが腹ぺこで動けない、って言うんだもん。だから、パン屋さんでパンと、肉屋さんで燻製(くんせい)肉と、酒屋さんでブドウ酒を買ってきて、クレメンスにお礼したんだ。 ガブリエラが聞いた。 「エリン島というと、大陸では失われてしまったセイズが、未(いま)だ残るといわれているな?」 パクついたパンを飲み込んで、クレメンスが頷く。 「ええ。俺はそのセイズを学びたくて。あと武者修行とか。ところで、お三人さん、どうして、俺とそんな距離、取ってるんですか?」 あたしは手をヒラヒラさせて答えた。 「ああ、深い意味はないのよ、深い意味は! 気にしないで?」 ……ごめん、なんていうか、生ゴミの中を通ってきたようなニオイが、君からするのよ。 ガブリエラが、興味深そうに聞いた。 「武者修行ということだが?」 「ええ。各地の公営闘技場で闘ったりしましたね、私設闘技場だと、敗北イコール死になっちゃう怖れがあるんで。そうそう、いろいろな武器を使って、結構、いい成績を収めたりしたんですよ」 「いろいろな武器?」と聞いたガブリエラに頷き、クレメンスは自分の装備を見せる。丸い盾(「サークルシールド」というそうだ)に腰には剣、短剣、袋の中には、金槌みたいなヤツとか模様を刻んだ棒とか斧とか(ガブリエラに聞いたら、ウォーハンマー、クウォータースタッフ、バトルアクス、だって)。あと、見たこともない武器もあった。小っちゃい盾みたいなものの上下に、湾曲した長い突起がついたもの。あたしが不思議そうに見てたからだろう、クレメンスが笑顔で応える。 「ああ、これは鉤鑲(コウシアン)という防具です。盾の部分で攻撃を防ぎつつ、上下の突起を相手の、武器を持った手首に引っかけて相手に隙を作るんです。さっき使ったのは縄鏢(ションピアオ)という武器で、長いロープの先に、短剣のようなものを着けて、遠くの敵を狙うんです。どっちも東方のMing(ミン)という国のものなんですよ」 ガブリエラも珍しそうに、二つの武器と防具を見ている。 「ねえ、さっき言ってたセイズ、ってなに?」 あたしはクレメンスに聞く。 燻製肉を口と手で引きちぎって、咀嚼しながらクレメンスは答える。 「ああ、しょれは……」 肉を飲み込んで、クレメンスは続ける。 「大昔、この大陸にも存在した『詩』という形式を取った魔術ですよ」 「へえ、魔術なんだ」 いってみれば、魔法かな? よくわからないけど? そのあとをガブリエラが継いだ。 「主に女性が行使していたそうで、日常生活から戦(いくさ)まで幅広く使われていたんだとか」 ブドウ酒をラッパ飲みして、クレメンスは何だか意味あり気に言った。 「その中に『巫女(みこ)の予言(よげん)』というものがあります。巫女が偉大なる神オージンに語って聞かせる予言です。これが有名なラグナロクです。『神々の死と滅亡の運命』ですよ」 「あ、それ知ってる! 『神々の黄昏(たそがれ)』ってやつね!」 ラグナロクは、あたしの元いた世界でも有名だもの! クレメンスはちょっと驚いたようになって言った。 「へえ、『神々の黄昏』ですか。とても詩的で素敵な表現ですね。さすが、領主様のお嬢さまともなると、教養とセンスが違う」 「え? そういう言い方しないの?」 あたしはクレメンスやハンナ、ガブリエラを見た。クレメンスは頷き、ハンナもガブリエラも、口々に「初めて聞きました」なんて言ってる。 なるほど、これってあたしがいた世界と、この世界との微妙な違いってヤツね?
パンと燻製肉、ブドウ酒を平らげて、クレメンスがあたしに言った。 「実は、お願いがあるのですが」 「お願い? なに、それ?」 クレメンスはあぐらのままこちらを向き、背筋をピン!とさせて言った。 「俺を、護衛役に雇ってください!」 「ええっ!?」 「狙われてるんでしょ?」 「ま、まあ、そうだけど……」 「じゃあ、警護は一人でも多い方がいい」 「いや、そう言われても……」 クレメンスは頭を下げた。 「お願いします! 路銀が尽きて、もう三日、野宿で何も食ってないんです! お願いします!」 あたしは、ハンナ、ガブリエラと顔を見合わせた。二人とも困惑してた。 やっぱ、有能な弟だわ
結局、あたしたちはクレメンスを連れてお屋敷に帰った。……距離を置いて。やっぱり、ニオイが、ね。 で、お屋敷に着くと、メイドさんたちが一斉に鼻を押さえて距離を置いて。あたしが事情を話したら、すぐにお風呂を用意してくれて、クレメンスをそこに、ぶち込んだ……もとい、連れて行った。 もうヴィンは帰ってきてて、あたしが応接室へ連れて行って事情を話すと、ちょっと難しい顔をして言った。 「姉上、十分用心してください。サラマンダーについてはその素性はわかってないんです。彼がサラマンダーではないという保障はないんですよ?」 「わかってるって。でも一応、命の恩人だから、無下には出来ないし。お風呂から出たら、お礼のお金と食料を渡して、出て行ってもらうつもり」 ドアがノックされて、ガブリエラだったんで、入室を許可した。一礼して、ガブリエラが言う。 「クレメンスの入浴中、その着衣、及び荷物を検査しましたが、弓矢、クロスボウに類するものは所持しておりませんでした。念のため、騎士数名をクレメンスがいた辺りに行かせて、同様の武器を隠していないか調査させると、トラウトマン警護長からの上申です」 ヴィンが頷く。 ガブリエラが応接室を出て行ったあと、ヴィンがちょっと考えてから、あたしに言った。 「ガブリエラが持ち帰った、例の矢ですが」 あのあと、ガブリエラがこっちに飛んできた矢を拾って帰った。あたしのいた世界だったら、科捜研とかで徹底的に調べたら持ち主とかわかるんだろうけど、ここじゃあ、さすがにね。でも、かなり変わった矢だから、ひょっとしたらどこかの工房のマイスター辺りに聞けば、何かわかるんじゃないかって、ガブリエラが言ってた。 「うん。何かわかりそう?」 「自作したのであればお手上げですが、もしどこかの工房で作製したものであれば、発注した者がわかりますから、サラマンダーのことがわかるかも知れません。今、フランクに領内の工房を当たらせています」 すごい、仕事が早いわ、この子! あたしの弟とは思えない! ……いや、あたしの弟じゃないし、多分、女の子?だし。 フランクさんっていうのは、お屋敷にいる執事の一人。最年少の人で、なんか、こういう連絡役とかでよく出張してる人、らしい。あまり顔を合わせたことがないから、よくわかんないけど。 「ただ」と、ヴィンが難しい顔をする。 「ただ……、何?」 「かなりの報酬で口止めしている可能性もありますし、場合によってはモグリの工房ということも考えられますから、なんとも」 「モグリの工房、なんてものがあるの?」 「ええ。商人が宝飾品などを偽造させるために、自宅に作っているケースがあるんです」 「なるほどねえ」 その時、ドアがノックされた。入室を許可すると、ハンナに連れられて、クレメンスが入ってきた。 ヴィンは笑顔でクレメンスを迎える。 「あなたがクレメンスさんですか。この度(たび)は、姉上を助けていただき、有り難うございました」 「いやあ、お嬢さまにも言ったンだけどもさ、困った人を見たら助けろってのが、死んだじいちゃんの遺言でさ」 クレメンスも笑顔で応える。 ヴィンが握手を求めてクレメンスに近づいた時だった。 一瞬だけど、ヴィンの眉がピクリと動いた。でも、すぐ何事もなかったように、クレメンスと握手を交わした。 何だったのかな、一瞬の、あの“間”は?
時は遡り、前夜。 料理長エックハルトはメイド長ヘルミーナの部屋に行った。 「大事な話とはなんですか、エックハルト料理長?」 この人は、いつ見ても不機嫌そうだと思いながら、エックハルトは言った。 「はい。どうも、食材が何者かにかすめ取られている形跡があります」 「食材が?」 「はい。パンや野菜、干し肉、チーズ、ブドウ酒など、わずかずつですが、減っていっているのです」 ヘルミーナメイド長は眉間にしわを寄せ、鼻から息を吐いて言った。 「どうせ、誰かがつまみ食いをしているのでしょ?」 「私もそう思いましたので、食料庫とワイン倉の鍵を付け替え、私だけがその鍵を所持したのですが、それでも減っているのです」 一層、難しい顔をして、ヘルミーナメイド長は言った。 「具体的には、どの程度、減っているのですか?」 エックハルトは分量を伝え、「現時点で、ひと一人の一日分の食事量、およそ一週間分に相当する」ことを付け加えた。 「そうですか。ご主人様には、このことは?」 「まだ、ご報告しておりません」 「よろしい。このことは私から伝えます。あなたは引き続き、監視を」 「はい」 そして、下がろうとした時。 「エックハルト料理長」 「はい?」 「あなたに対する処分が寛大なものになるよう、私から口添えしておきます」 これは、自分に対して恩を売っているのか、それとも領主からの信任が厚いのだということを誇示したいのか。 多分、両方だと思いながら、エックハルトは一礼して、部屋を出た。
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