この水路は、河から引いた水なのかどうかわからないけど、淡水だ。だから、あたしは立ち泳ぎで体勢を整える。すると、ウンディーネもこちらへやって来て飛び込んだ。そしてニヤリとしてあたしに向かってこようとしたけど。 「水深が深い!? ……クッ、水中では『ユミルの脚』も、無意味かッ!」 よし! 狙い通り! 水深が浅いならあの脚力も生かせるけど、深いなら、無効だと思ったんだ。足に水かきがあるなら話は別だけど。 とにかく、これで条件はイーヴンだわ。あたしは、 「あらあら、水の精霊の名前がついていながら、水の中では、無力なのねえ」 と、嗤(わら)ってやる。するとウンディーネはあたしを睨み、一言。 「ナメるな」 そう言って、短剣を横向きにしてくわえ、こっちに向かってきた……犬かきに似た泳ぎ方で。 よし! これも狙い通り! この領地って、内陸で海が見えない。湖も遠いようだし、ひょっとしたら、ウンディーネは泳げないんじゃないかって思ったんだ。 あたしは、ガブリエラから預かった短剣を横向きにくわえ、クロールでウンディーネの背後に回り込んだ。ウンディーネは体をひねってあたしの方を向くけど、あたしの移動スピードの方が速い。地上とは、逆になった。 ……なんか、快感だわ……。 適当に翻弄した後、あたしはウンディーネが背を向けているのを見計らって、一気に間合いを詰め、右手に短剣を逆手に持って、それを振り下ろした! でも、ウンディーネは動物的カンというか、プロの動きというか、とにかく芸術的ともいえる身のこなしで仰向けになり、膝であたしの腕を蹴り上げる。 あぶないあぶない。あやうく短剣を取り落とすところだったわ。 なんとかそれをよけたあたしは、一度、ウンディーネから離れる。そして、またグルリと回って、ウンディーネにプレッシャーをかけてやる。 しばらく回っていると、何を思ったかウンディーネは突然、潜(もぐ)った。 まさか、水中であたしをつかんで溺れさせる気!? あたしは警戒して、顔を水に浸(つ)ける。でも、ウンディーネの姿は見えない。どこへ行ったのかと思った、その時! 「お嬢さま、壁際です!!」 ハンナの叫び声が聞こえた。 「え? 壁?」 見ると、ハンナたちがいる側の壁際にウンディーネがいた。そして「ニィ」と凶悪な笑いを浮かべて、壁に両足をつけ……。 やば! その手があったわ!! ウンディーネが壁を蹴る。水面ギリギリを飛ぶように、ウンディーネが迫ってきた! あたしは潜って、どうにかよける。水面に顔を出すと、向こう側の壁に足を着いたウンディーネが、こっちを見ているところだった。 「わわわわ!?」 ウンディーネが壁を蹴る。またあたしは潜り、別の位置に顔を出す。 こんなことを繰り返していると、ウンディーネもだんだん“照準”があってくる。まずい、このままじゃ、捕まる! その時、上の方から声がした。その方を見ると、方向的には川下の方から割と大きめの船が上(のぼ)ってくるところだった。 「え? なになに!? なんで船がいるの!?」 船頭さん(?)が「どいてくれ!」みたいなことを叫んでる。……しめた! 何の船かわからないけど、あの船を盾にしよう! あたしは船を挟んで、ウンディーネとは反対側に行った。これでOKと思ったら。 「ドン!」って音がして船が揺れたかと思ったら、少しして船の上にウンディーネが現れた。船にいた人たちが、短剣を手にしたウンディーネを見て、ビビってる。 あたしもビビってる。多分、短剣を刺しながら船の上に上がったんだわ。ウンディーネが短剣を構えて、あたしに向いた! まずいわ、この体勢じゃあ、確実にあたしの近くに着水する。仮に今から泳いで逃げても、ウンディーネに背を向けることになるからヤツの動きがわからないし、こっちは直線的な動きだから、先読みされて飛びつかれる! 「……どうすれば……!」 どうしていいかわからず、あたしは半ばパニックになっていた。ウンディーネが今まさにあたしに飛びかかろうとした時!
風の唸る音、っていうか、なにかの回転する音がした。その回転は徐々に速くなる。ウンディーネもあたしから目を離し、音のする方……ウンディーネから見て右側の岸を見た、その時。 「クッ!?」 風を切って何かの線がまっすぐ伸びて、ウンディーネの脇腹に刺さった。 「え!? なになに、何なの!?」 ウンディーネの右の脇腹になにかが刺さってた。その脇腹に刺さった何か、ロープだったけど、それを逆にたどると、岸に一人の、糸目の少年がいる。年齢(とし)はあたしと同い年ぐらいかな? マントを羽織ってて、なんだか薄汚れてる。 「クソッ!」 ウンディーネが吠えて、短剣を振り下ろしロープを切断する。そしてさらに脇腹に手をやって何かを抜きかけて、それをやめる。多分、刺さってる物を抜くと、大出血を起こすことに気づいたんだろう。看護学で教わった。 あたしを見て、ウンディーネは苦しげにしながら、ものすごい形相で吠えた。 「アストリットォ! 命は、預けたわっ!!」 そして、船の向こう側に落ちた。なにかの影が、上流の方へ移動するのが見えたけど、直(じき)に水底(みなそこ)に沈んで見えなくなった。 「おーい、大丈夫かー」 例のロープを投げた少年が、あたしに言った。 「うん、大丈夫! ありがとう、助けてくれて!」 お礼を言うと、少年が頭を掻きながら笑顔を浮かべて言った。 「いやあ、困ってる人を助けろっていうのが、死んだじいちゃんの遺言(ゆいごん)なんでねえ!」 「アストリットって、まさか、あんた、領主様のお嬢さんかい!?」 不意に船の上から声がした。船の乗員さんたちが、こっちを見てる。 「ええ、領主の娘、アストリット・フォン・シーレンベックよ!」 答えると、船の人たちが慌てて「ロープ持ってこい!」なんて言ってる。そのロープを手繰(たぐ)って船の上に上がり、改めて少年を見ると。 「……は、腹減った……」 そんなことを言って、ぶっ倒れてしまった。 「ハンナ、ガブリエラ! あの人、助けて!」 二人が頷いて、橋の方へ走る。空腹で倒れたのなら、大丈夫と思うけど。
ハンナたちが少年を助け起こすのを見ながら、ふと思った。
あの女性騎士(デイム)、来なかったな。そういえば、ヴィンは今日、用事があるんだったっけ?
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