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作品名:婚約破棄された令嬢は婚約者を奪った相手に復讐するのが習わしのようです 第一部 作者:ジン 竜珠

第47回   謎の少年
 この水路は、河から引いた水なのかどうかわからないけど、淡水だ。だから、あたしは立ち泳ぎで体勢を整える。すると、ウンディーネもこちらへやって来て飛び込んだ。そしてニヤリとしてあたしに向かってこようとしたけど。
「水深が深い!? ……クッ、水中では『ユミルの脚』も、無意味かッ!」
 よし! 狙い通り! 水深が浅いならあの脚力も生かせるけど、深いなら、無効だと思ったんだ。足に水かきがあるなら話は別だけど。
 とにかく、これで条件はイーヴンだわ。あたしは、
「あらあら、水の精霊の名前がついていながら、水の中では、無力なのねえ」
 と、嗤(わら)ってやる。するとウンディーネはあたしを睨み、一言。
「ナメるな」
 そう言って、短剣を横向きにしてくわえ、こっちに向かってきた……犬かきに似た泳ぎ方で。
 よし! これも狙い通り! この領地って、内陸で海が見えない。湖も遠いようだし、ひょっとしたら、ウンディーネは泳げないんじゃないかって思ったんだ。
 あたしは、ガブリエラから預かった短剣を横向きにくわえ、クロールでウンディーネの背後に回り込んだ。ウンディーネは体をひねってあたしの方を向くけど、あたしの移動スピードの方が速い。地上とは、逆になった。
 ……なんか、快感だわ……。
 適当に翻弄した後、あたしはウンディーネが背を向けているのを見計らって、一気に間合いを詰め、右手に短剣を逆手に持って、それを振り下ろした! でも、ウンディーネは動物的カンというか、プロの動きというか、とにかく芸術的ともいえる身のこなしで仰向けになり、膝であたしの腕を蹴り上げる。
 あぶないあぶない。あやうく短剣を取り落とすところだったわ。
 なんとかそれをよけたあたしは、一度、ウンディーネから離れる。そして、またグルリと回って、ウンディーネにプレッシャーをかけてやる。
 しばらく回っていると、何を思ったかウンディーネは突然、潜(もぐ)った。
 まさか、水中であたしをつかんで溺れさせる気!?
 あたしは警戒して、顔を水に浸(つ)ける。でも、ウンディーネの姿は見えない。どこへ行ったのかと思った、その時!
「お嬢さま、壁際です!!」
 ハンナの叫び声が聞こえた。
「え? 壁?」
 見ると、ハンナたちがいる側の壁際にウンディーネがいた。そして「ニィ」と凶悪な笑いを浮かべて、壁に両足をつけ……。
 やば! その手があったわ!!
 ウンディーネが壁を蹴る。水面ギリギリを飛ぶように、ウンディーネが迫ってきた! あたしは潜って、どうにかよける。水面に顔を出すと、向こう側の壁に足を着いたウンディーネが、こっちを見ているところだった。
「わわわわ!?」
 ウンディーネが壁を蹴る。またあたしは潜り、別の位置に顔を出す。
 こんなことを繰り返していると、ウンディーネもだんだん“照準”があってくる。まずい、このままじゃ、捕まる!
 その時、上の方から声がした。その方を見ると、方向的には川下の方から割と大きめの船が上(のぼ)ってくるところだった。
「え? なになに!? なんで船がいるの!?」
 船頭さん(?)が「どいてくれ!」みたいなことを叫んでる。……しめた! 何の船かわからないけど、あの船を盾にしよう!
 あたしは船を挟んで、ウンディーネとは反対側に行った。これでOKと思ったら。
「ドン!」って音がして船が揺れたかと思ったら、少しして船の上にウンディーネが現れた。船にいた人たちが、短剣を手にしたウンディーネを見て、ビビってる。
 あたしもビビってる。多分、短剣を刺しながら船の上に上がったんだわ。ウンディーネが短剣を構えて、あたしに向いた! まずいわ、この体勢じゃあ、確実にあたしの近くに着水する。仮に今から泳いで逃げても、ウンディーネに背を向けることになるからヤツの動きがわからないし、こっちは直線的な動きだから、先読みされて飛びつかれる!
「……どうすれば……!」
 どうしていいかわからず、あたしは半ばパニックになっていた。ウンディーネが今まさにあたしに飛びかかろうとした時!


 風の唸る音、っていうか、なにかの回転する音がした。その回転は徐々に速くなる。ウンディーネもあたしから目を離し、音のする方……ウンディーネから見て右側の岸を見た、その時。
「クッ!?」
 風を切って何かの線がまっすぐ伸びて、ウンディーネの脇腹に刺さった。
「え!? なになに、何なの!?」
 ウンディーネの右の脇腹になにかが刺さってた。その脇腹に刺さった何か、ロープだったけど、それを逆にたどると、岸に一人の、糸目の少年がいる。年齢(とし)はあたしと同い年ぐらいかな? マントを羽織ってて、なんだか薄汚れてる。
「クソッ!」
 ウンディーネが吠えて、短剣を振り下ろしロープを切断する。そしてさらに脇腹に手をやって何かを抜きかけて、それをやめる。多分、刺さってる物を抜くと、大出血を起こすことに気づいたんだろう。看護学で教わった。
 あたしを見て、ウンディーネは苦しげにしながら、ものすごい形相で吠えた。
「アストリットォ! 命は、預けたわっ!!」
 そして、船の向こう側に落ちた。なにかの影が、上流の方へ移動するのが見えたけど、直(じき)に水底(みなそこ)に沈んで見えなくなった。
「おーい、大丈夫かー」
 例のロープを投げた少年が、あたしに言った。
「うん、大丈夫! ありがとう、助けてくれて!」
 お礼を言うと、少年が頭を掻きながら笑顔を浮かべて言った。
「いやあ、困ってる人を助けろっていうのが、死んだじいちゃんの遺言(ゆいごん)なんでねえ!」
「アストリットって、まさか、あんた、領主様のお嬢さんかい!?」
 不意に船の上から声がした。船の乗員さんたちが、こっちを見てる。
「ええ、領主の娘、アストリット・フォン・シーレンベックよ!」
 答えると、船の人たちが慌てて「ロープ持ってこい!」なんて言ってる。そのロープを手繰(たぐ)って船の上に上がり、改めて少年を見ると。
「……は、腹減った……」
 そんなことを言って、ぶっ倒れてしまった。
「ハンナ、ガブリエラ! あの人、助けて!」
 二人が頷いて、橋の方へ走る。空腹で倒れたのなら、大丈夫と思うけど。


 ハンナたちが少年を助け起こすのを見ながら、ふと思った。

 あの女性騎士(デイム)、来なかったな。そういえば、ヴィンは今日、用事があるんだったっけ?


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