突然の声に、一同が辺りを見回すも、声の主は見つからない。今の声は確かに若い女のものだ。だが、ここに女はいないのだ。それに。 「今の声、フォン・マイスナーの……」 そう呟いたのは、ベネディクトか? シュテファンが訝しげに「まさか?」と言った時。 『我が家門に攻め入る、それが結論かと、聞いているのです』 また、声がした。どうやら、天井辺りからのようだが、そこに潜んでいるとでもいうのだろうか? 皆が無言でいると、秘密の会議室に使っている別宅が揺れ始めた。思わずルッツは、 「地震だ!」 と叫ぶ。そして椅子から立ち上がったが、すぐに揺れは止まる。何だろうと辺りを見ていると、また声がした。 『あなた方の結論、しかと承りました』 四方の壁から。 『では、少しばかり、罰を受けていただきましょう』 ミヒャエルが青い顔で、辺りを見ながら「罰、だと?」と呟く。その直後。 建物全体から、立木の枝打ち作業にも似た、何かを打つような音、それに続き耳障りな軋むような音。音の正体はすぐにわかった。枝打ちのような音は、柱が折れる音、耳障りな軋む音は、部屋が圧縮されて小さくなっていく音だ。 皆が悲鳴を上げ、その場に止まる。部屋を出たくとも、壁自体がこちらに迫ってくるのだ。 天井が下がり、壁が迫る中、シュテファンが叫んだ。 「すまなかった! 先の言は取り消す!」 だが、それでも壁と天井は迫り来る。 次にはミヒャエルが叫んだ。 「攻め込むと言ったのは、カッセル泊だ! 彼一人だ!」 狼狽したように、アルベルトが言う。 「なにを!? 貴公らも同調したではないか!」 ルッツも叫んだ。 「とにかく、我らの非は認める! だから、助けてくれ!」 すでに中腰にならねばならないほど、天井が潰れながら下りてきていた。 グスタフがなにかに気づいたように、言った。 「おお、そもそもこの会合をもうけようと言い出したのは、小カレンベルク侯だ! 我らは、それに乗っただけ! いわば、選帝侯としての礼儀を果たしたまで!」 思わず、ルッツは叫んだ。 「な、何を!?」 声が裏返っていた。 ベネディクトも同調する。 「そうだ! あの者がこのような場をもうけた。ただ、それだけだ!」 皆も口々にルッツの非をあげつらう。頭の中が真っ白になったルッツは、何か反論したいが、言葉が出てこない。胸にあるのは、他の選帝侯たちの薄汚れた保身、本心、それに対する怒りと情けなさ。わかっていたことではあったが、実際にその腹の内をぶちまけられると、今すぐ殺したくなる。 突然、壁や天井の動きが止まった。ルッツたちは、ほとんど四つん這い状態だ。屋敷を構成していた材木や煉瓦などが、空間を占め今にも中の者を押し潰さんとしている。 『このぐらいにしておいてあげますわ。いかがですか、我がマイスナー家に対する襲撃の相談、まだお続けに?』 皆、何も答えない。だが、選帝侯の筆頭はヴィッテンベルクだ。一同の視線を受け、険しい表情でシュテファンが答えた。 「……心にもない妄言であった。申し訳ない」 次の瞬間、かすかにアンゲリカの笑いが聞こえた。そして。 『それでは、力関係についてはご理解いただけた、ということで宜しいですか?』 シュテファンが「ああ」と答える。 『私の申し出も、拒絶あそばした、ということですね?』 「いや、それについては我々の方にも……」 『今さらですわよ?』 シュテファンに対して、ピシャリと言った言葉に、皆、何も言えない。このような会合に集まった時点で、アンゲリカの申し出を断った、と見なされても仕方がないのだ。 『それでは、申し伝えます。明日(みょうにち)零(れい)時(じ)をもって、現行の選帝侯制度は廃止、同時刻から選帝の権利はフォン・マイスナーが独占するものとします』 その言葉に、ルッツは言葉を絞り出す。 「な、……き、貴様、どういうつもりだ!? 二百年も続く伝統を、壊すとは……!」 そのあとをベネディクトが続ける。 「そのような横暴が、通るとでも!? キサマ、何様のつもり……!」 言葉が途中で途切れ、カエルの悲鳴にも似た声がした。 「わ、わかった……」 苦しげなベネディクトの声がした。 どうやら、選択の余地はないようだ。 『皆様、ご納得のことと。宜しいですわね?』 一同、しぶしぶ受諾(じゅだく)する。アルベルトが小さく「あやつ、最初からこれが狙いで、あのようなことを……」と呟くのが聞こえた。そうかも知れない。こちらがすぐには受け入れないだろうことを予想して、「世界の盟主」のようなことを言ったのではないか? 『それでは後日、正式に書類をお持ちいたします。皆様の英断に感謝いたしますわ』 その言葉が終わると、ルッツたちを押しつぶしていたガレキが、見えざる力によって、どけられていく。体が軽くなったと思ったら、小カレンベルク家の使用人だけでなく、諸侯に付き添ってきた従者たちの、こちらを気遣う声が近づいてきた。
「終わりましたわ、お父様。ユミルの眼、耳、口、そして手から逃れられる者は、この世界には、おりません」 「そうか。では、次の段階だな」 「ええ」 と、アンゲリカは岩肌に磔(はりつけ)になったかのような巨人を見上げる。 「この国のどこかに眠る、ユミルの心臓と脳髄を押さえないと」 父レオポルトが頷く。 「王をこちらの手中に押さえられれば、心ゆくまで国内の捜索に当たることが出来るな」 アンゲリカの視線を受ける巨人ユミルは、まるで眠りについているかのようだった。
骸(むくろ)などではなく、午睡(ごすい)に入っているだけのように。
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