邸宅にいて、ルッツ・フォン・カレンベルクは憤懣(ふんまん)やる方ない仕草で、執務室の中をせわしなく歩き回っていた。 見かねた長男・ オットーがソファに背をあずけ、足を組んで言った。 「落ち着いてください、父上」 「これが落ち着いてなど、いられるものか! この私が! カレンベルクの当主たる、この私が、何故(なにゆえ)あのような小娘に侮られ、軽んじられねばならんのだ!」 つまりは、ほかの選帝侯(クルフルスト)たちがいる中で恥をかかされたことが許せない、ということだ。 不意に立ち止まり、ルッツは鼻から荒々しく息を吹き出す。 「それに、あやつは旧約を侮辱したのだ! 何が、大洪水はエッダから引き写したもの、だ! あの小娘こそ、失楽園を演出したヘビに相違あるまい! そうだ、人に忌み嫌われ地を這いつくばり、埃(ほこり)を喰らって生きるのが、あやつにふさわしいのだ!」 そろそろ話がそれてきた。 「父上、例の申し出について、我がカレンベルク家としてどのように動くのか、お考えをお聞かせいただきたい。父上に一任された以上、父上の判断が我が一族の命運を決めると言っても、過言ではありませんよ?」 「うーむ」と唸り、またルッツはぐるぐると歩き回る。ため息をつき、オットーは言う。 「父上の度量に余ることであれば、親族会議を招集なさってはどうですか?」 一度立ち止まり、再び「うーむ」と唸ってグルグル。 「わかりました、こうしましょう」 と、オットーは立ち上がった。ルッツは立ち止まる。 「フォン・マイスナーに知られぬよう、選帝侯(せんていこう)諸侯に連絡を取りましょう。そして秘密裏に会合を持つのです。その時に、諸侯の意思を統一するも良し、様々な考えを出してもらって、たたき台にするも良し。いかがですか、父上?」 「う、うむ。それでよい、それでいこうではないか」 ルッツの顔が明るくなる。ルッツは四十四歳、オットーは二十歳。 どちらが親か、わからなかった。
かくして、三日後の深夜、会合の発起人であるフォン・カレンベルクの屋敷に、諸侯の当主が集まった。 ヴィッテンベルク公シュテファン……五十七歳、威厳ある男、ザルツブルク公ベネディクト……四十一歳、眼鏡をかけた禿頭の鋭い印象の男、大カレンベルク公グスタフ……五十二歳、恰幅(かっぷく)のいい男、ブランデンブルク伯ミヒャエル……四十七歳、優男(やさおとこ)、カッセル伯アルベルト……五十七歳、白髪でいかにも好好爺(こうこうや)然とした男、発起人たる小カレンベルク侯ルッツである。 グスタフがまず、口火を切った。 「あの小娘の言葉、皆はどう見る?」 蓄えた白いあごひげをさすりつつ、アルベルトが言った。 「我らで世界の盟主を決める選帝侯になる。そのまま解釈すれば、世界制覇に手を貸せ、となるが?」 「愚かなことだ」と、ベネディクトが言う。 「東方にはMing(ミン)という広大な国家がある。そのような国を相手に戦争を起こせば、その年月(としつき)は百年戦争の比ではないわ」 ミヒャエルが「フン」と面白くもなさそうに、鼻を鳴らして言った。 「現実が見えてはおらんのだ、あの娘は。確かに、なにがしかの手品を心得ているようだが、その手品で世界を制覇できるなら、フルダで処刑された、魔女のメルガ・ビーンや、カスティリア王国のエルヴィラなどは、天界や地獄ですら支配できるであろうよ」 ルッツがミヒャエルを見て言う、なるべく怒りを抑えて。 「魔女が天界を支配するなど、口が過ぎますぞ、ブランデンブルク伯」 その言葉に、ミヒャエルは肩をすくめ、涼しい笑みで答える。 「おっと、これは失礼?」 明らかにこちらを見下した態度だが、この場はルッツは呑み込んだ。 シュテファンがルッツを見て言った。 「小カレンベルク侯、貴公はどう思うのだ?」 「同じですな。あの小娘の世迷い言に乗ってはなりません」 頷き、シュテファンは結論づけるように言った。 「我らの意思は統一されたものと考える。そこでだ。フォン・マイスナーに、娘の妄言に対する責任を取らせるべきと思うが、どうか?」 ベネディクトが問う。 「責任、とは?」 シュテファンが目を鋭くして言った。 「『ユミル』の引き渡しだ」 一同が息を呑む。ルッツも驚いて、すぐには言葉が出ない。 ベネディクトが、どうにか、といった調子で言葉を出した。 「貴公の意図が、読めない。どういうことなのだ?」 シュテファンがニヤリとする。 「あのユミルが、どの程度のものか、まではわからぬが。国家間戦争とまではいかずとも、対人あるいは対組織での交渉では、随分と重宝するのではないか?」 なるほど、とルッツも思わないでもない。だが、同時にあの時の屈辱が思い出され、すぐには言葉が出ない。 「なるほど」と、小さな声で言ったのは、ミヒャエルだ。「他国との交渉ごとで、こちらの優位に持って行けるという訳ですな」 その呟きを聞き取ったシュテファンは頷く。 「そうだ。なにも剣をもって騎士を送り込むだけが戦争ではない。外交で敵を畏怖せしめるもまた、戦争」 アルベルトが白いひげをさすりながら言った。 「ほうほう。それは良いことですなあ。では」と、その表情が昏(くら)い悦びを見つけた悪魔の使いの笑みのようになった。 「こちらから黙って押しかけ、有無を言わさぬうちがよかろうぞ?」 一同が顔を見合わせ、誰からともなく頷き合った時。
『お話し合いの結論が出たと思っても、よろしくて?』
|
|