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作品名:婚約破棄された令嬢は婚約者を奪った相手に復讐するのが習わしのようです 第一部 作者:ジン 竜珠

第41回   創世の巨人
 往古(おうこ)。

 某所(ぼうしょ)。

 ひげ面の大男が、カンテラをかざし、「あるもの」を照らす。そして随行した者たちに聞いた。
「貴公らは、これをなんと見る?」
 最初に答えたのは、一番小柄の少女だ。
「巨人……でしょうか?」
 最初ではあったが、この答えが出るまでには、たっぷりと十、数えるほどはあったろう。事実、その声は震え、わずかながら汗が額に浮かんでいるように思えた。
「自分は」と、ザンバラ髪の若者が言った。
「単なる岩肌……自然の造形の妙か、と」
 嘘(ウソ)だ、と、長い髪の乙女は思う。
 このような巨人など、存在するはずがない、あり得るはずがない。だから「自然の造形の妙」などと、苦しいことを言っているに過ぎぬのだ。
 同じことは、髪をきちんと整えた若者も思ったようだ。
「いや、いくらなんでも、これを偶然の産物というには、無理があるだろう」
「それを言うなら! このような身の丈百エル(約四十メートル)の人間なぞ、いるわけないだろう!」
 必死の形相で言ったザンバラ髪の若者の言葉に、髪をきちんと整えた若者は、困惑気味に言う。
「旧約のネフィリムよりは、現実的ではないか」
 この言葉に、長い髪の乙女は吹き出しそうになった。ある種、「秘密の共有」という荘厳な場であるにも拘わらず、だ。
 他の者たちも、ああではない、こうでもない、と口々に言い始めた。頃合いを見計らい長い髪の乙女がひげ面の大男に言った。
「お父様。そろそろ」
「うむ。あとは任せたぞ、アンゲリカ」
 長い髪の乙女……アンゲリカは、一同の前に進み出る。自然と水を打ったように静かとなり、皆の視線が集まる。それを確認してアンゲリカは言った。
「ここに集いし、選帝侯(クルフルスト)の皆様、そしてそのご家族の皆様。ここにある者こそ、『いと古きエッダ』に謳(うた)われし、原初にして創世の巨人、ユミルです」
 一同は今の言葉が理解できなかったのか、しばし沈黙し、顔を見合わせている。
 さもありなん。
 アンゲリカ自身、確信を得たのは、ほんの十数日前のことなのだ。
「フ」と、笑いとともに鼻から息が漏れるのを感じながら、アンゲリカは言った。
「私は、このユミルと心を通わせ、その知識と力を手にしました。イグドラシルはエッダに根を張る架空の大樹にあらず、オージンは片足でイグドラシルに逆さ吊りになった『吊され人』にあらず。いえ、旧約にある大洪水すら、エッダの引き写しなのです」
「不遜(ふそん)であるぞ、フォン・マイスナーの小娘が!」
 今、その言葉を吐き出した愚か者は、選帝侯フォン・カレンベルクの現当主だ。
 アンゲリカは相手を見下すように、わざと顎(あご)をしゃくって見せてやる。
「よろしい。貴公が熱烈なるテスタメントの原理主義者であることは、ここの一座、皆が知っていること。ですが、私は今言いましたよ、ユミルの力を手にした、と」
 カレンベルクの当主、ルッツが怪訝な表情になる。
「世界を作った巨人からすれば、世界の果てなど、距離のうちにも入らず。まして、貴侯と私との空間、たかが十エル(約四メートル)程度など」
 そして、右手の指を弾く。その時、指にはほんのわずかの「わたゴミ」を乗せたのだが。
 どのような醜悪な動物とて、ここまで醜い声は出しは、すまい、と思われるような声を上げて、ルッツは仰向けに倒れる。しばらく体を引きつけさせていたルッツだが、周囲の者に起こされ、自分の額を触って、息を引き、体を震わせた。
「あら、失礼。ほんのわずか、力も乗ってしまいましたわ」
 嘲笑混じりに、アンゲリカは言う。まるで石をぶつけたかのような裂傷が、ルッツの額に刻まれていたのだ。そこからあふれ出る血に、ルッツは失神してしまった。
 アンゲリカは再び一同を見渡す。光量の少ない場所ではあったが、皆の顔が青白いのは、そのせいだけではあるまい。
「旧約に曰く」と、アンゲリカは続けた。
「かつて、地に悪がはびこり、神は洪水を起こして地を洗い流された。そして、舟に乗って洪水を逃れた者たち、動物たちがその祖となって今の世界がある。しかし、それは正しくはない。真実は」
 一同が、アンゲリカの言葉を待っている。もし自分の立っているところが、ほんの一エル(約四十センチ)でも高ければ、自分の気持ちは高揚の極みにすら到達するだろう。
 そう思いつつ、アンゲリカはユミルから得た知識を披露した。
「エッダに曰く、ムスペッルヘイムより訪れし炎の巨人、大地を炎に包まん。洪水ではなく、炎の海と化したの、この大地は」
 誰かが、いや、複数の者の、息を呑む気配があった。
「炎によってすべての悪は滅ぼされ、海の底より新たな大地が浮かんで、死せるバルドルがよみがえり、新しき世界を築いた。それが、今ある世界、ここなのです!」
 アンゲリカは一同を、三度(みたび)見渡す。今や、すべてはアンゲリカの聴衆となっていた。
「皆様に、ご提案いたしたきことがございます。……皆様は、この一(いち)小国(しょうこく)の選帝侯(クルフルスト)に止まるを、よしとなされるか?」


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