アストリットがウンディーネの襲撃を受ける、一時間ほど前、ハインリヒは王都王城の謁見の間(ま)にいた。 王が玉座から言う、どこか芝居めいたハイトーンボイスで。 「ハインリヒ・フォン・フォルバッハ、明日の合同演習において、貴公に西部方面軍の指揮を任せたい。その時の働きによっては、貴公には正式に西部方面軍砲兵隊の、総指揮を任せる用意がある。その心積(こころづ)もりで臨むように」 ハインリヒは片膝をつき、頭を下げて答える。 「ハッ! 臣(しん)ハインリヒ・フォン・フォルバッハ、陛下のご期待に応えられるよう、我が家門にかけまして、我が全力を尽くしてご覧に入れます」 「うむ。期待しておるぞ」 次に女王が言った。 「時にサー・ハインリヒ、貴公、シーレンベック侯の令嬢との婚姻を破棄したそうであるな?」 「はい、国王陛下、女王陛下、そしてフロレンツィア王女のお耳汚しでございます。申し訳ございません」 「構わぬ、珍しい話ではない。ところで新たな婚約者に選んだのは、誰じゃ?」 「リヒテンベルク侯エミールのご息女、フロイライン・グートルーンにございます」 女王が満足げな笑みを浮かべる。 「おお、そうか。リヒテンベルクという名には覚えがないが、貴公が選んだ娘じゃ、間違いはあるまい。のう、フロレンツィア?」 「はい、女王陛下」 フロレンツィアは、女王を見て、無感情に応える。 国王フェルディナントは今年で六十一歳、女王グレートヒェンは三十八歳、そして第一王女フロレンツィアは十五歳、第一王子アウグストはまだ三歳で、この場にはおらず、乳母(めのと)のところにいる。 「サー・ハインリヒよ、その娘と幸せに暮らすのじゃぞ」 女王の言葉に、ハインリヒは頭を下げる。 三人の姿を見ていて、ハインリヒは違和感を覚えていた。
帰りの馬車の中、執事のフェリクスが聞いた。 「いかがでございましたか、坊ちゃま?」 どう答えようか、少しばかり考えを巡らせ、ハインリヒは答えた。 「具体的にどこがどう、というのではないが、どうにも違和感が拭(ぬぐ)えないな」 「違和感、でございますか?」 「ああ」と、ハインリヒは頷く。 「喩えは悪いかも知れないが、国王陛下も、王女殿下も、人形のような印象を受けた」 フェリクスが眉根をひそめる。 「人形でございますか?」 「ああ。もしかすると、以前にお会いした後(のち)に、何らかの心境の変化があって、国王陛下は王らしき振る舞いを、王女殿下は取り澄ますようになったのかも知れないが、ひょっとしたら……」 この先を言うのが、はばかられる。もっとも、フェリクスは、もうわかっているはずだ。フォルバッハ家に長く仕えている有能な執事なのだから。 だが、この言葉を言うのは、やはりフォルバッハの嫡男であるハインリヒでなければならない。 しばしの逡巡の後、ハインリヒは言った。 「ひょっとしたら、『ラグナロク』が動き出したのかも知れない」 フェリクスが険しい顔になる。そして。 「旦那様に、ご相談申し上げるべき、かと」 頷き、ハインリヒはカーテンをめくり、窓外の景色を見やる。遠くに、いくつかのコロニーと接続した、シーレンベック侯領の市壁が見えた。
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