食堂のドアがノックされた。お父様が入室の許可を出すと、ドアを開けて入ってきたのはメイド長のヘルミーナさんだ。年齢は四十前後、メガネをかけて、ちょっと神経質そうで、実際、いろいろとうるさい。 「ご主人様、ライトマイヤー様の伝令がお見えになりました」 「ロード・ワルターの? ということは、例の紋章官について、何かわかったのか?」 「私には、何も。ご主人様に直々に申し上げたいと」 「うむ、わかった」 そう言って、お父様は立ち上がり、食堂を出て行った。
今、出ていた話題について。ワルター・フォン・ライトマイヤーっていう人は、領内の騎士の一人。「騎爵(きしゃく)」っていう、多分、この世界独自の爵位を持ってて、領内千五百の兵を動員でき、傭兵国家とも契約を結んでいる、領内では最大勢力の騎士。紋章官っていうのは、領内の貴族や騎士が使う紋章を管理する役職。 ちなみにシーレンベック領の総人口、これは庇護に入っている周辺の町とか村も含むんだけれど、これが約十万人。侯爵の中では最大らしい。で、領内にいる騎爵が十八人。この人たちが、いわゆる正規の騎士・兵士を持ってて、その総数が約四千人。あと千人まで兵士を増やすことが出来る。この数は、王家によって厳格な指示があって、侯爵以下は総人口の五%を超えちゃいけないんだそうだ。んで、なんらかの紛争が起きた時は、騎爵が兵を率いて戦う訳だけど、騎爵のランクによって、動員できる兵の数が決められてる。これらは、難しい政治的なものがあるんだって。今、話に出てるライトマイヤーさんが、常時、雇っている兵士の数は三百人ぐらい。もし紛争が起きた時は、この人はあと千二百人、兵を雇うことが出来る。足りない分は予備役っていって、いわゆる現役を退いた人たちを召集したり、他の騎爵から融通してもらったりして、数を合わせるんだって。でも、必ずしも千五百人でなくてもいいそうだ。実際のところ、ほとんどは契約している傭兵国家から兵を募るという。意外にも、徴兵はない。まあ、ぶっちゃけ、使い物にならないからだそうだけど、生産者階級の人たちが大勢戦死すると、国力に響くから、っていうのが大きな理由だそうだ。
話を戻すわね。 今、うちの領の内外で、ある騎士の紋章が不正に使用されるっていう事件が起きてる。そこでお父様が、ゲッフェルトっていう紋章官に調査させた結果、犯人は国内を騒がせているフォクスっていう詐欺師だっていうことになった。で、すぐに捕縛のお触れが出たけど、どうやらもう、うちの領地を出た後らしかった。 ところが、フォクスことブルーノってやつが、他の貴族の領内で捕まって、取り調べの結果、うちの紋章詐欺には関係ないことが判明。そこで、もう一度ゲッフェルトに調査を命じると同時に、念のため、ライトマイヤー騎爵にも、ひそかに調査をさせた。すると、どうもゲッフェルト自身が怪しいってなって、騎爵が紋章官を極秘で調査するって事になってた。………………って、ヴィンからおととい、話を、ていうかレクチャーを受けた。
お父様が出て行ったんで、食堂にはあたしとヴィンだけが残された。 なので、お父様にはあとで話すことにして。 「ねえ、ヴィン、聞いて欲しいことがあるの」 「はい、なんですか、姉上?」 「あのね、あたし、本当は……」
あたしの話を聞いたヴィンは、難しい顔をして、ちょっと頭を抱えて言った。 「姉上、失礼を承知で申し上げます。それは、最近お読みになった、騎士物語(ロマンス)とか、詩でしょうか?」 「いいえ、あたし、こっちに来てから本は読んでないの」 「夢、とか……?」 「違うわ、あんなリアルなもの、夢なんかじゃ、断じてない」 「……では、もしかして、姉上の心の平衡が……」 「ヴィン、信じがたいのは、わかるけど一番信じられない思いしてるのは、あたしなの」 あたしの言葉に、ため息をつくと、ヴィンは立ち上がった。 「姉上、このことは、まだ僕の心にだけ、とどめておきます。父上は確かに開明的なところを持っていらっしゃいますが、さすがにこのようなことは……」 そこで口を閉じると、少し頭を振ってからヴィンは話を続けた。 「今日は、僕は馬上鎗(ランス)の鍛錬で、領内北方のアルテンブルク伯のところへ行かねばなりません。今夜、また改めて、お話し致しましょう。それまで誰にもお話しなさいませぬように」 あたしが頷くのを確認して、ヴィンは食堂を出て行った。 一人残されたあたしは。 「確か、今日は看護学を学ぶ日だったのよね。あーあ、なんか貴族の子女って忙しいのね、何かしら毎日お勉強があるし、しかも一つのものを一日中。まあ、今は緊急事態だから、ほとんどのお勉強は『なし』らしいけど、今日の看護学はヘルミーナさんが教えられるから、ってことで、一日中、びっちりあるみたいだし」 ぼやきながらあたしは立ち上がった、その時。 「……なに、この香り? シトラスかな? いい香り」 あたしが、どこからか漂ってきた爽やかな香りに気を取られていた時。 何かが風を切る音がしたかと思うと。 「うぐッ!?」 あたしの背中の中央に激痛が走った。その傷みは全身を走った後、みぞおちを貫いて、外へ出たように思った。 震えながらあたしは自分のみぞおちを見たけど、そこにはなにもない。スピードと傷みだけがあたしの体を突き抜けていった感じだ。 ていうか。 「……くぅ……、ぐ、……だれ……か……、たす、け……」 言葉になったのは、そこまで。 あたしの思考が止まり、目の前が真っ暗になっていって……。
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