予定通り、ハンナがお散歩に誘ってきた。バザールについて説明を聞き、あたしがバザールを見たい、と言うと、ハンナは高台を勧めてくる。 よし! これで、あの「仕込み」が使える! そして、高台のてっぺんへ。 「先回りね!? 復讐に対する!!」 一応、そう言ってみる。 鼻で嗤(わら)い、グートルーンが言った。 「そうね、そう思っておきなさい」 あたしは傘の持ち手をひねり、剣を抜く。そして、左手の開いた傘を投げ棄て、斬りかかる。でも、簡単にいなされた。 そしてグートルーンが向かってくる。でも、彼女が短剣を突き出してからの動きが、ものすごくスローモーに見える。だから、それをかわすことは容易だ。あたしが短剣の一閃をかわしたんで、グートルーンは驚いている。
あたしだって驚いているんだわ、実際のトコロ。
その疑問はおいといて、あたしは適当なタイミングで道を駆け下りた。ちなみに傘はその場に残した。使うことないし。
一番、下まで駆け下りる。そして辺りを見回した。 「グートルーンの姿はない。よし、読みが当たって、あの『仕込み』もうまく機能したみたいね」 あたしはゆっくりと歩を進める。そして。 「……お嬢さま!?」 六、七メートルほど先にいる、驚いた顔のハンナと出会った。 「あら、ハンナ、あたしの警護なのに、ずっとここにいたの、もしかして?」 「い、いえ、あの……」 ムチャクチャ、どもってる。そりゃ、そうだわなあ。あたしはニヤリとして言ってやった。 「グートルーンなら来ないわよ。だって、アイツが下りるのに使う『道』、壊れるようにしておいたから」 「!」 「あなた、言ったわよね、この高台、もともとは櫓(やぐら)とか、射撃用に使われてたって。ていうことは、ここを上り下りするには、この道だけじゃないということ。兵が上り下りしたり、武器を運ぶのに、道を一つしか作らないなんて、有り得ないもの。だから、チェックしたわ。そうしたら、この道の反対側に一つだけ、古い石段が残ってた。だから、石段のいくつかとか、手すりを壊しておいたの。この上に上る時は、普通にこっちの道を使ったでしょうし、今日、事前にチェックなんてことはしないでしょうし、おそらく駆け下りるでしょうし」 その時、甲高い悲鳴がしたかと思ったら、何かが地面と衝突する音がした。 「想像だけど。多分、壊れた石段に足を取られて、手すりにつかまったら、それも壊れて、さっきまでその手すりにぶら下がっていたけど、上に上がる前に手すりが完全に壊れて落下しちゃった、ってところかしら? あの手すり、鉄製みたいだけど錆(さ)びまくってたもんね」 ハンナがメイドらしからぬ怖い形相であたしを見る。 「どうしてわかったの、グートルーン……ウンディーネのことが? それに、私も絡んでいるのがわかってたみたいだけど!? 私がここに誘導するのが、なぜわかったの……!?」 「んー」
前もってグートルーンがあの場所にいるためには、あたしがあそこに行くことがわかってないとならないし。高台に誘ったの、あなただし。
ループしたから、わかったし。
言えないわなあ。 だから、あたしは嘘八百のデタラメを言った。 「フォン・フォルバッハ家の調査に行った人とのつなぎは、あなたなのよね、ヴィンに聞いたわ、重要機密だから、第三者を挟む郵便は使わなかったって」 ハンナは頷く。否定してもしょうがないから、ここは頷くだろう。 「その時に出会ったんじゃないの、ウンディーネと?」 「!!」 ハンナの表情が強ばる。あたしは確信して言った。 「その時に、何か、取引でもしたのよね、ウンディーネと」 「……」 「前ね、殺し屋がお屋敷にやって来てたの。他にもいるからってことで、メイドとかを調べることになって。あなたもその対象だったそうよ」 これは後半、ウソ。前半は、ゆうべ、ヴィンに聞いたんだ。タイミング的に、ノームと同じ頃か、シルフことアメリアと同じ頃に入った誰かが、怪しいんじゃないか、って思って。これにハンナが引っかかるかどうか。 「……! なぜ私を……?」 「アメリア、殺し屋だったの。あなた、同じ時期にお屋敷に雇われたそうね」 「……そうね……?」 「あ、ああ、雇われたのよね!」 うわ、うっかり、「そうね」をつけちゃった。あたしのことは、黙っておかないと、説明がめんどくさそうだし! 「で、殺し屋が来た時期から考えて、まず最近雇ったメイドからチェックしようってなって。あなたに尾行者がついていたの。その尾行者が報告したのよ」 ハンナが歯ぎしりをする。これも大ウソ。我ながら、驚くほど、しれっと嘘ついてるわ。 「くっ、あの時の会話、聞かれてたのか……!」 はい、引っかかった、自白確認! 「だから、あなたがあたしを散歩に誘うのはわかったし、この辺りの様子を調べれば、あの高台が最適だというのがわかったの。……ね、ウンディーネと、どんな取引をしたの?」 ハンナがあたしを睨む、不敵な笑みで。 「あなたを適当な場所に誘導したら、三万ディンの報酬をくれるって……」 ディンっていうのは、この国の貨幣単位。物価についてヴィンに聞いたときに、なんとなく感じたんだけど、日本円に直したら、大体三百万円ぐらいになるかなあ? まあ、基本的な物の価値が違うからなんともいえないけど。 「つまり、あたしの値打ちは、三万ディンなのね?」 ハンナが鼻で嗤った。 「ふん、あなたの値打ちなんて、三百ディンでも高いぐらいよ」 そう言って、どこに隠し持っていたか、やや短いサイズの剣を出して、あたしに向かってきた。間合いは、およそ六、七メートル。 あたしは後退しながら、もう一つの「仕込み」……壁と地面となる石畳との隙間に隠しておいた武器を出した。 この武器はヴィンから借りたもので、「ブランドエストック」っていう。一見、一.五メートルほどの、長柄(ながえ)の戦斧(アクス)だけど、振り回すと。 「ハッ!」 気合いとともに振った武器の先端から、柄とほぼ同じ長さの刃が飛び出した。そして、その刃がハンナが持った剣の間合いの外から、ハンナに迫る。そして、向かってきていたハンナの喉笛を、サッと撫でていった。 「フヒッ!?」 引きつった声を上げ、ハンナが硬直する。その声は、まさか間合いを超えて刃が来るとは、思っていなかった驚きの声でもあっただろう。硬直した姿勢のまま、ハンナは仰向けに倒れる。「ヒューヒュー」と、ハンナの喉から息が漏れる。手で喉を押さえるけど、血と空気の漏出を抑えきれない。 やがて、ハンナは目を見開いたまま動かなくなった。
その日のうちに、リヒテンベルクという貴族は、いないということがわかった。で、おそらく、ハインリヒ・フォン・フォルバッハは、催眠術の類いにかかっていたのだ、という結論になったんだ。 先方に確認するのは後日になるけど、このような事態になっているので、婚約破棄は有効という判断になった。理由はどうあれ、存在しない女を婚約者に仕立てて公(おおやけ)の場でシーレンベックの家名に、思い切り泥を塗っちゃった上、その女のせいでシーレンベック侯爵家の娘の命が危険にさらされることになっちゃったんだから(……と、社交界では判断する)。 ていうか、こちらから破棄をつきつける文書をしたためて、お父様がサインをし、さらに封蠟(ふうろう)に指輪印章(シグネットリング)(これがあるのとないのとで、文書の重要度がかわるらしい)を捺(お)したものを、フォン・フォルバッハ家に届けることになった。 あたしにとっては、その方がいい。 だって、ハインリヒなんて人のこと、全然わからないし。 そんな人と結婚するなんて、まっぴらゴメンだもの。
誰だって、そうでしょ?
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