「コイツ……大羽睛のものより、僕の方が、何十倍も優れているはずです……! それに、そもそもコイツは……!」 と、志足が睛を睨んで指さした。 その瞬間、心臓をつかまれたような息苦しさが、睛を襲った。 「コイツは、女のなりをしていますが、男なんです!!」 全身の神経に過電流が流れ、膝が震える。呼吸が速くなり胃がけいれんを始めた。今にも嘔吐しそうだ。 下を向き、睛は目をきつく閉じ、歯を食いしばる。嘔吐をこらえるため、喉に力を入れた。
睛が自分の性自認が違うと、はっきりと気がついたのは、小学六年生、修学旅行の時だった。男子と一緒に入浴するということが、恥ずかしく、そして恐ろしいことに思えたのだ。何かされたら、どうしよう? そんな危機感と恐怖すら覚えた。 同時に、男性に対して、「このようになりたい」という憧れではなく「恋愛感情」を抱いていることにも気づいた。 以降、睛はそれを隠しながら生きてきた。家族にカミングアウトしたのは高校に上がってから。何かに悩み続けていることを察した母に、促されてのものだった。 当然ながら、両親との間のケンカの種になった。父は厳格というほどではなかったが、それでも睛の性自認について怒りを口にした。母は表向きは睛の肩を持つ様な素振りを見せたが、折に触れ「睛が男である」ことを自覚させようとしていた。 だが、高校二年生の三学期頃に、ようやく両親も諦めた。「納得」ではない、「諦めた」のだ。そして短大に入学したのを機に、思い切って表面を「女性」として飾り始めたのだ。 何かから解放された様な気がした。それは、魂が牢獄から解き放たれたかのような想いだったのだ。 そんな時、声をかけてきたのが柘植口志足。彼は睛を完全に女性として見ていた。だが、睛がトランスジェンダーであると知ると、離れていった。周囲の目を気にしてか、公然と誹謗中傷はしなかったものの、裏では、やはり睛のことを悪く言っていたらしい。 もっとも、それは志足だけではないようだったが。 世の中は、まだまだ変わっていないのだ。
それが、ここでも現れた。 “ああ、またか。短大時代、コンテストに応募しても落ち続けた。「大羽睛」という人間としても、表面的にはともかく現実的には受け入れられなかった。どんなに頑張っても、わたしはこの世界で必要とされてないんだね? まるで「シシュフォスの岩」じゃない。頑張って頑張って、命を削って岩を持って上がっても、その岩はまた下に落ちてしまう。何度も拾いに行っては、何度も落としてしまって。何をしたって報われない。なんでわたし、生まれてきたの? わたしなんか、この世界に必要ないじゃない!” 涙がにじんできた時。 「知っている。それがどうかしたのかね?」 まるで何でもないようなことのような、そんな声がした。 思わず顔を上げると、祥一郎が平然として志足を見ていた。 志足は「え?」と、不思議そうな顔になっていた。 祥一郎は言う。 「エントリーシートの記入項目に性別があったのを、君は忘れたのか?」 その言葉に志足が「あ」と、今、思い出したかのように目と口を丸くする。 「君に聞きたいのだが、トランスジェンダーであることとデザイナーの才能との間に、何らかの因果関係でもあるのかね?」 祥一郎の、その言葉に志足は、やや、しどろもどろになったが、 「え? あ、ああ、ええと、いや、あの……。そ、そうです! こいつらは異性じゃなく同性が好きなんです! 同性同士じゃ、子どもが生まれない! 生産性がないんです! 何かを生み出すことが出来ない者が、いいデザインを生み出せるわけがないでしょう!」 一転、勝ち誇ったかのような笑いを顔に貼り付けた。 それを聞いた祥一郎は一瞬、眉間にしわを寄せて厳しい表情になったが、やや、それを緩め(それでも厳しめの表情だったが)、言った。 「じゃあ、君に尋ねよう。仮に君が、心が男で体が女だったとする。そして両親から『いい男と結婚して立派な子どもを産んで育てろ』と言われたら? 君は、“同性”と結婚し、毎晩のように好きでもない男に抱かれるんだぞ? そんなとき、君は周囲にどんな対応を求める? どんな社会を望むんだ?」 「そ、それは……」 思いもしない質問だったのだろう、志足は答えない。否、答えられないのだろう。 人は自分の主観でしか物事を理解出来ない。故に差別や他者否定、そして排撃が起きるのだ。 だが、それは時に睛もすることであり、誰でもがすること。 要は、祥一郎のように「そのこと」に気づけるか否か、なのだろう。 「それに、子どもを『生産力』呼ばわりすることについて、ここで疑義を唱えたいところだが、置いておく。柘植口くん、だったね? 君は、現在この国の児童養護施設に、どれだけの児童が保護されているか、知っているか?」 「は?」と、虚を突かれたような表情を、志足は浮かべた。睛も、いったい何を言いだしたのか、と思う。 「五年おきの調査なので古いデータになるが、およそ二万七千人だ。そのうちの一万二千人あまりが、虐待やネグレクトのために保護されている。……つまり、保護されなかったら、それだけの命が失われていたかも知れない。君が言う貴重な『生産力』が、普通のカップルの間で生まれた子どもでさえもが、殺されていたかも知れないのだ。だったら、法改正をして同性カップルでも養子縁組できるようにすればいい。立派な『生産力』を育てることが出来る。……例え親に捨てられたのだとしても、その後、大人に必要とされて育てられた子どもは、貴重な『生産力』になるんじゃないのかね?」 志足は何も言わない。睛も黙って聞いていた。 「これは秘密でも何でもないが、私も養護施設出身だ。里親には本当に感謝している。才能や技術力は、確かに生まれ持ったものもあるだろうが、後天的な努力で磨くことが出来る。トランスジェンダーかどうかとは、関係ない。どれだけ己を鍛え、磨いたか、だ」 しばし、空白の時間が流れた。 そして。 志足は、部屋を後にしようとドアまで歩き、振り返る。その時、祥一郎の手にしたファイルが見えたのだろう、嘲笑に似た笑いを顔に浮かべ、捨て台詞のように言った。 「フッ、やっぱり僕のデザインの方が優れているな。大羽のデザインは、幼稚だ。頑張っても、その程度か」 目を閉じた祥一郎が、ふう、と息を吐き、言った。 「柘植口くん、確かに君のデザインはいいと思う。きらびやかだ。だが、その中に『自分はこれだけスゴいのだ』と必要以上に己をアピールする、イヤミさが見て取れた。それから最後に言っておく」 祥一郎は振り返って志足を見る。 「人の“一生懸命”を笑うな!」 まるで猛獣に睨まれた小動物のように身を萎縮させ、志足は去って行った。 閉じきらないドアの隙間から「こっちから願い下げだ、こんな三流会社」と毒づく志足の声が聞こえたような気がした。 それを聞いたかどうか。 祥一郎はこちらを向き、笑顔で言った。 「じゃあ、大羽くん。これから打ち合わせをしよう。君のデザインを元にしたジュエリーについて、ね」 祥一郎の言葉が、胸の中に太陽が輝き始める暖かさと希望を感じながら、睛は「ハイ!」と答えた。 先刻までにじんでいた涙は、うれし涙となって頬を伝っていった。
「これにて、閉廷! ……で、いいの、これ?」 ジャスティスが、恐る恐るハンマーを地面に打ち付けた。 「コン!」と、小さな音がした。 そしてヘルマの元に、理鉈がやってきて、笑顔を浮かべて言った。 「あなたが抱えていた問題、クリアできたかな?」 心の中に暖かな日射しが差し始め、涼やかな風が吹き始めたかのような気持ちで○ュアヘルマ……大羽睛は答えた。 「ええ。まだ完ペキではないけれど、少なくとも、わたしを理解してくれる人がいて、この世界にいてもいいんだっていう気持ちには、なれたかな?」 控えめに言ったが、多分、自分は晴れやかな笑顔を浮かべているのだろうと思いながら。
セイギズラーが消えたのを確認し、丘の上でドクゼーンは呟いた。 「なるほど。弱き者の声を聞き出す、○リキュアどもの、あれも正義の形か」 心の中に満足感にも似た思いがわずかながらも生まれ、ドクゼーンは口元にかすかな笑みを浮かべる。だが、次の瞬間、何かを感じ、ドクゼーンは空を仰ぐ。 「この気配は! ……まさか、ヤツらがこの世界にも……?」 ドクゼーンが睨んだ空の先には、何ものの姿もなかったが、彼には確かに感じられた。
「ヤツら」の気配が。
かつて、伝令の神ヘルメスと美と愛の女神アフロディーテとの間に生まれた美少年は、泉の精サルマキスと一つになり、両性具有となった。 その名を、ヘルマプロディトス、ヘルメスとアフロディーテ、両神の美を受け継いだ、両性具有の神である。
(○リキュア Psy! Bang! Shock! 第五話・了)
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