あれから三十分ほどが過ぎた。 麻枝はすっかり寝入っている。 睡眠薬が、よく効いたようだ。 「さて」 そう呟き、武繁はソファで寝入っている、麻枝の体を抱え上げる。 それをドアのところまで運んで。 「おっと、あれを処分しておかないと」 と一旦、麻枝の体を床に横たえる。もちろん、起こさないよう、細心の注意を払って。 流しへ行き、蛇口につけられた浄水アダプターを外す。この中の活性炭や浄水カートリッジは、別の物にすり替えてある。睡眠導入剤の粉末を大量に入れたカートリッジの空(から)ケースに。 これについては、どこかのゴミ集積場にでも紛れ込ませておこう。 再び麻枝の体を抱え、麻枝が乗ってきた車に乗せる。別宅から毛布を持ってくることも忘れない。武繁が乗ってきた社用車については、ある社員に「午後十時に社に戻しておいて欲しい」と命じてある。 エンジンスタートさせ、車を走らせる。 睡眠導入剤を如何にして飲ませるかについては、随分と考え、仕込んだ。「麻枝が、武繁が盗聴器に気づいたことを知っている」のは、まず間違いなかったからだ。麻枝が指摘した通り、確かに、蓋(フタ)を外したときに向きが変わってしまったから、武繁もそのことに思いを巡らせた。 だから、武繁が何か「飲食物」を提供すれば、麻枝は「何か毒物が仕込んであるだろう」と警戒するのは間違いなかった。 そうならないように、いろいろと振る舞ったが、今日の言葉を聞く限り、やはり武繁のことを疑っていたらしい。やはり、ここで始末するのが正解のようだ。 導眠剤を仕込む先について。まず、ワイングラス。先にあえて導眠剤を塗ったグラスを自分で持ち、勘ぐった麻枝が「取り替えよう」と言ってくることを想定した。だが、そうならない可能性もある。無論、ワインそのものには仕込めない。つまみの類いも、武繁が特定の「何か」を避ければ、怪しまれる。 いろいろと考え、三つのものに仕込むことにした。 一つ目は、ワインの「おかわり」。一本目は普通のものにし、おかわりとなる二本目に仕込んでおいた。自分は飲む振りをすればいい。一本目を一緒に飲んでいるから、麻枝も警戒することなく二本目を飲むだろう。 二つ目はロックアイス。ワインではなく、ブランデーにする。アイスの中に導眠剤を仕込んだものと、そうでないものを仕込んでおく。麻枝の性格上、まず武繁にグラスを作るだろう。なので、上に置くアイスは普通のものに、その下になるアイスに導眠剤をたっぷり仕込んでおく。 三つ目が浄水アダプターだ。最悪の場合、麻枝はワインもブランデーも飲まない可能性がある。そこで、塩気の強いつまみを用意し、自分も一緒に食べる。武繁はワインなりブランデーなりを飲むから一時的にでも乾きを我慢できるが、麻枝はそうはいくまい。必ず水を飲む。「ミネラルウォーターを切らしている」と言えば、水道の水を飲まざるを得ない。 幸い、特に注意することもなく、麻枝は三つ目の罠にはまってくれた。 そうこうするうち、麻枝のマンションに着いた。このマンションは、駐車場が地階にあり、しかも監視カメラがない。麻枝を毛布にくるみ、担ぎ上げる。一瞬、麻枝が呻いたが、起きる気配はない。そのまま非常階段を上がる。この階段にも、防犯カメラはない。このマンションの非常階段は屋上まで通じており、実は屋上の扉は施錠されていない。いつか聞いたことがあるが「緊急避難経路」に設定されているからだそうだ。そこを通って、建物内に入る。内部の階段にも、防犯カメラはない。目的の階を目指し、誰にも会わないよう気をつけながら、麻枝の部屋の鍵を開け、中に滑り込む。そして……。
目的を達した。
時間は午後八時四十五分。早くしないと、最終的なアリバイ工作に間に合わない。 来た時と同じルートを通ってマンションを出ると、昼の間に付近の無人駐車場に停めておいた自家用車に乗る。 時間に間に合うだろうか? あせる気持ちを落ち着かせるように深呼吸を繰り返し、武繁はエンジンをスタートさせた。時間との勝負だ。
(CASE9・了)
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